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Viva La Vida/美しき生命



 パチパチと何か耳障りな音が不規則に踊っている。眉根を寄せて音源を探せば、それは夜を煌々と照らす灯火が爆ぜる音だった。随分古風な照明だ。いや、感心している場合ではない。先程まで昼間の病院に居たはずなのに、その認識と何一つ合致しない風景に囲まれていて混乱する。何もかもが唐突で、仮説を立てる足がかりすら見つからない。ひとまず状況観察に徹することにした。ボロ布が乱雑に張られたテントがいくつも寄り添いあっていて、用心深く観察しながら狭い隙間を歩く。まばらに立てられた松明がバーナビーの影をテントに作っては揺れる。古い時代を題材にした本や映画で時折見かける夜営そのものだ。
 ふとひとつのテントから押し殺したような話し声がしたので、声をかけようと閉じられた幕に手をかけようとした。

「怪しい奴が居るぞ!捕まえろ!」

 ハッと視線を動かしたが、それによってバーナビーの行動は一拍遅れることになってしまった。と言うのも、視線の先に居た男の格好があまりにもバーナビーの常識の外にあるものだったからだ。牡牛のような兜と槍、そして円盤状の盾。古代ローマの兵士の姿を完璧に再現していた。兜や盾に刻まれたキズや汚れが年季まで演出している。

「追え!」
「追っ手かもしれないぞ!逃がすな!」

 挙動に悩んだが、番組の企画だろうと何だろうとここで易々捕まるのは面白くない。能力を発動させてテントの上へ飛び移る。少々安定性に不安を感じていたが、見た目よりしっかりした骨組みが為されている。しかし一箇所でバーナビーの体重を支え続けるのはさすがに難しいはずだ。次々にテントに飛び移る。騒ぎを聞きつけてテントの中やテント同士の隙間からわらわらと人が出てきた。見た目以上の人間がここには集っているようだ。皆一様に白亜のウール布を身にまとっている。

「おい!ローマのゲス野郎はどこに居る!この俺が相手をしてやるぜ!」
「ロックバイソン様だ!」
「ロックバイソン様、あれです、あいつです!」

 突然聞こえてきた耳慣れた声を探す。二本の雄々しい角に厳つい戦車のような鎧。それはいつも現場で見るロックバイソンそのものだった。だがロックバイソンはバーナビーを視認しても態度を改めるようなことはしなかった。バーナビーの居るテントを豪快に破壊している。バランスをわずかに崩しつつ隣のテントに移った。

「ロックバイソンさん、一体これはどういうことですか!何かの企画ですか?」
「気安く呼ぶな!しかもやっぱり俺たちの動向を探ってやがったのか……!ローマの手先め!」
「ちょっと、話を聞いてください!」

 中に居る奴は逃げろと叫びつつ、猛烈な勢いでロックバイソンがバーナビーの後を追ってくる。マスクで表情などは伺えないが、そこにふざけた様子はまるで見受けられなかった。本気でバーナビーを敵と認識しているようだ。虎徹の事件を思い出した。もしかしてまたあのような事態に巻き込まれているのだろうか。それにしてもあまりに異常な状況だ。ひとまずここは逃げるしかない。

 ロックバイソンを振り切ろうとするのだが、味方であれば心強い粘り強さが今は厄介だ。着地して目晦ましでも仕掛けた方がいいかもしれない。多少卑怯だがやむを得ない。ひとつ先のテントに飛び移ってから実行しようとしたが、そこで能力が切れてしまった。状況にばかり気が取られて時間のことがすっかり頭から抜け落ちていた。

「そこだ!」

 鎧を含めた強靭な巨躯に能力切れの状態で体当たりされるとさすがに応える。地面に片膝を付けたところを両脇から兵士に押さえ込まれた。

「牢に放り込んどけ」
「ちょっと!だから、これは一体……!」
「ロックバイソン様!」
「何だ?」
「王がお呼びです。捕まえた者も連れてくるようにと」

 バーナビーの言い分に耳を貸そうともしないロックバイソンは、部下らしき兵士の報告にわずかに首を傾げた。それから顎を上げて兵士にバーナビーを立たせるよう促した。

「嫌な予感がするが……まあ仕方ない。連れて来い!牢より先に行くところがある!」

 例え能力が無くとも、あまり訓練された様子の無い二人の兵士ならなんとかなるだろう。だが前を歩くロックバイソンに見つかればそこまでだし、『王』という人間にも多少興味があった。ここがどこなのか知る手がかりになる。同じような形のテントをいくつか抜けると、明らかに他とは違った規模のテントが神殿か何かのように待ち構えていた。ロックバイソンが何の遠慮も無くその幕に手をかける。

「入るぞ」

 兵士が控えている狭い空間の奥にまた間仕切りの布があり、ロックバイソンが更にそれを払う。布が作る広い空間の中央、レリーフの掘り込まれた椅子に足を組んで座っている男に、バーナビーはまたも見覚えがあった。

「やあ、よくぞ来た」

 こちらはヒーロースーツ姿ではなく、麻布をゆったりと重ねる服装だ。青い目は爛々と輝き、松明の不安定な光の下でも血色が頬に映えている。アントニオが大儀そうにマスクを外し、雑な礼をした。それはつまり、これがカメラのある番組ではないことを明確に示している。

「連れて来たがどうする?」
「ありがとう、そしてありがとう!後は任せてくれたまえ!」
「これは……一体、どういうことなんですか……!」 

 兵士たちに無理やり両膝を付かされたまま椅子に座る男を睨み上げる。しかしキースはいかにも人が良さそうな笑みを困惑で歪ませるだけだ。

「それは我々が聞きたいところだ。見たことのない服装をしているが……それがあの国の間諜の新しい服なのかい?」
「あの国……?」
「君はあの国から派遣された兵ではないのか?では、私たちと志を同じくする者だろうか」
「そんなわけがねえ、妙な力を使って散々逃げ回りやがったんだ!」

 妙な力も何も、アントニオだってさっきまで使っていたNEXT能力に過ぎない。あの国と突然指示語を使われても類推できるような国家も浮かばない。現在交戦・緊張状態にある国は無いはずだ。

「全くわけが分かりませんが……どうやらカメラは無いようですね……」
「困ったな、私も君の目的が全く分からない。では、簡単で確実な方法を取ることにしよう」
「お、おいまさか……!」
「彼を解放するんだ!」

 戸惑い気味に両脇の兵士たちが離れていくが、バーナビーだって充分困惑している。すぐに立ち上がれないでいると、その膝元に古風な盾と剣が放り出された。

「これが君の盾、そしてグラディウスだ。受け取りたまえ」

 王座に立てかけられた同じ物を手に取ってキースはゆっくりと立ち上がる。好戦的な笑みを見るのは初めてかもしれない。マスクの下ではこういう顔をする時もあるのだろうか。悠長にその問いについて考えている暇は無さそうだが。

「君たちが好むやり方だろう?勝てば権利を、負ければ死を得る。実に簡単だ、実に」
「貴方、本気ですか……っ?」
「私はコロッセオを仲間と共に抜け出した時から本気だ!構えろ!」

 グラディウスがバーナビーの喉元を正確に狙ってきたので、盾を引き寄せ立ち上がって交戦する。突き、押し、払う、キースのその一手一手が妙に重い。ガチンガチンと剣戟の音までも重く聞こえる。

「くそ……っ、ここは、シュテルンビルトではないんですか!」
「ローマの兵は地図も読めないのかい?散々虐げてきた我々に手を噛まれるわけだな!」
「ローマ……っ?わけが分かりません!僕は!貴方がたを害すつもりは、ちょっと聞いてください!」
「問答無用!喋りたければ勝利したまえ!」

 バーナビーに気づいた様子の無いキースに手加減は無いが、バーナビーはそうもいかない。よく似た他人だとしてもやり辛い。そもそもこの状況だってうまく飲み込めていない中途半端な状態なのだ。

「だから!スカイハイさん!」

 剣が弾かれてしまった無防備な体勢にキースの剣が迫ってくる。多少の怪我は免れないか――

「……あれ?」

 覚悟を決めていたというのに、キースは剣を振り上げた姿勢でピタリと動きを止めていた。
 間の抜けた声を上げたキースは、ぎこちない動きでまず己の手中にあるグラディウスを眺める。そしてそこで初めて気づいたかのように己の服を不思議そうに引っ張り、最後に息を詰めて身構えているバーナビーを見つめた。その瞳に正気と困惑の色を確認し、バーナビーはやっと体の力を抜くことができた。はあ、思わず深いため息が零れる。

「これは一体……!すまない……!私はなんてことを、大丈夫かい!」

 剣を地面に投げ捨てたキースはバーナビーの肩から腕にかけて軽く触れ、怪我がないか確認している。多少服に乱れや汚れはあったが、幸い目立った怪我は無い。やんわりとその手を遠ざけることでそれを示した。自覚の無かった人間に服のクリーニング代を請求する気も起きない。

「まあ、いいです……よく分かりませんが、僕だと分かっていなかったようですし。ともかく、ここはどこで、貴方は一体何をしているのか教えてください」

 キースも混乱しているのだろう。腕を組み、口元に手を当てて情報を整理しているようだ。古風な身なりに不思議と馴染んでいて、そうしていると古代の哲学者の大理石像のようだ。その間もアントニオは不審げな視線をバーナビーに遠慮なく送っている。こちらは未だバーナビーに気づいていない状態らしい。突然の奇襲に備えて気を配っておく。仲間に確保されるような真似はもうごめんだ。

「……私にも事実しか分からないが、落ち着いて聞いてほしい」

 キースは気づけばローマの剣闘士だったという。仲間たちと共に脱走を図り、その賛同者やローマへの叛乱軍を吸収し、ついには大軍となってローマの討伐軍をも返り討ちにしていた。記憶の中に綴られた歴史書をぺらぺらとめくる。もしそれが真実ならば、ここは紀元前のイタリア半島ということになる。

「どうしてここにいるか、どうして君やシュテルンビルトでのことを忘れてしまっていたのかは分からない」
「それですっかり順応してしまっているのが貴方らしいと言うか……」
「これかい?」

 キースは一度放り捨てたグラディウスを再び手に取った。目が淡く発光している。どうやら先程の重い剣戟には風の能力が加えられていたらしい。誰もいない空間をまっすぐ突いて、キースは苦笑する。

「昔、修得しなければならなかったんだ。下手くそだったが、今はズルが使えるからね」
「いえ、そういうことではなく」

 咄嗟に返すが、キースにはバーナビーが何に呆れているかはまるで伝わっていないだろう。この状況を疑いもしないところは相変わらずだ。だからこそこうしてこの風景に馴染んでしまっているのかもしれない。異常な事態にばかり気を取られているが、こんな風に何の気負いも無く言葉を交わすのは随分久々だと感じる。

「随分乗り気だったじゃないですか。本当に命を懸けて貴方と殺し合いをしなければならないのかと覚悟を決めるところでした」
「それは……君だと分からなくて……すまない」

 あからさまに狼狽する様は、自信と冷徹を夜着のように軽やかにまとっていた先程までとはまるで別人だ。あまりの落差につい笑みを漏らしてしまい、易々と冗談であることを明かしてしまった。キースも安堵の笑みを浮かべる。そうだった。小さな言葉や表情を交わしては、笑みや呆れを時折交換する。バーナビーはそんな他愛も無い空間をこうやってこの相手と共有していた。今なら何故だか、形になることさえ嫌っていた粘性の液体のような感情が、するりと言葉になって夜風に紛れてくれる気がする。スカイハイさん、声をかけようとした。

「そしてそれが……私に期待された務めだから」

 しかし、目前にある笑みはもう無邪気の色を潜めていた。全てを受け入れるようで、何もかも完璧に拒む、この頃に作られた彫像を思い起こす笑みだ。パチパチと爆ぜる灯火がスカイブルーに濃淡の波を作る。キースはバーナビーをその正面に捉えているが、その言葉はバーナビーの向こう、世界の全てに向けているように思われた。

「奴隷としてローマに虐げられる人々が助けを求めている。彼らは『王』という希望を欲している。だったら私はそれに全力を尽くすさ。それはシュテルンビルトでもここでも変わらないことだよ」

 その言葉はいかにも正しく、誠実な色をして天幕にまでまっすぐ達する。しかしその言葉には本来必ず含まれている要素が決定的に欠けている。バーナビーは表情を引き締め、キースに一歩近づいた。警戒するアントニオをキースは目で制す。

「少し整理しましょう。貴方はここをどこだと思っているんですか?」
「だから……古代ローマの、レギウム……」
「現代のシュテルンビルトからそんなところへ?あまりにも非現実的だ。しかも貴方もロックバイソンさんも記憶の操作を受けていた可能性があります。それを考慮せず軽率に動き過ぎだとは思わないんですか?」
「いや、バーナビー君、ここは……」
「結構な志だとは思います。けれど、貴方が本当に守るべきものと、そのための本来の役目を思い出した以上、こんな馬鹿げた舞台を退場する方法を一緒に考えてもらわなければ困ります」

 現在手中にある情報はごくわずかだが、グラディウス程度の武器には組み立てることができたはずだった。しかしキースはきょとんと目を丸め、バーナビーを凝視している。ズレてはいるが、鈍い人ではない。理解が追いつかないはずもないだろうにと困惑する。

「何意外そうな顔してるんですか。理由は不明ですが、僕らは身に覚えの無い場所に居るわけです。元凶を突き止め元居た場所に戻ろうとするのは当然のことでしょう。ロックバイソンさんにも早く思い出してもらわないと……」
「君たち二人でそうしてくれ」

 キースは相変わらず笑顔だが、それはまた先程までと違う感情を含んでいるように見える。何かを堪える笑みだった。今にも涙を浮かべて泣き出しそうにも見えるし、声を上げて笑い出しそうにも見える。その意図が掴めず、益々バーナビーの困惑は深くなった。

「……何言ってるんですか?」
「ここがどこであれ、助けを求める人々を私は見捨てることはできないよ」
「じゃあこのままここで戦うと?」
「そうなるね。決着がつくまでは」
「決着って……何を以って決着ですか!ローマに代わって貴方が世界を統治することですか?」
「誰かが呼んでいるんだ。私に……助けてくれと訴えている」

 その声が止むまでだよ。キースは己の左胸に手を添えた。それから心配してくれてありがとう、そしてありがとうとまた微笑む。気味の悪い焦燥が背中のあたりを這った。何を馬鹿なことをともう一歩踏み出そうとしたところ、間仕切りの帳が払われた。キースがハッと顔色を変え、跪いた兵士を見つめる。呼吸の整わない若い兵士は、目だけを爛々と輝かせて力強く頷いた。たちまちキースの顔色が明るくなる。

「みんな!聞いてくれ!船だ!船が使える!」

 控えていたアントニオが大声を上げた。テントの中も外も歓声で揺れる。バーナビーは沸き立つ空気に揺さぶられる視線を左右へ巡らせた。

「船……?」
「ああ!我々はこのままここに留まっていればいずれは敵軍に包囲される」

 キースは兵士の一人に羊皮紙に粗く描かれた地図を持って立たせ、興奮気味に現在の状況をバーナビーに解説した。海を渡り、シチリア島を反逆の本拠地とするために、地中海を本拠地とする海賊に船を借り入れる交渉をしており、ついにそれが結実したのだという。強い既視感にバーナビーは眉根を寄せた。

「これは……」
「バーナビー君?」
「負け戦です」

 バーナビーの記憶が正しければ、この状況は世界史上と寸分たがわぬ道を辿っている。この後の歴史はこうだ。海賊は約束を反故にし、イタリア半島の先まで追い詰められた叛乱軍は大敗、首謀者は命を落とす。

「逃げるべきだ」

 ざっと体の先から血の気が引く感覚がした。ここまで完璧に時代劇を誂えるなんて悪趣味にも程がある。これもウロボロスの仕業なのだろうか。けれど一体どんな目的があって。考え込むバーナビーをよそに、キースはひとつの動揺も見せなかった。

「君はいつも、私の見えないところを見ている。君の言葉はいつも私に新しい刺激を与えてくれるんだ。ありがとう、バーナビー君。ありがとう」
「僕は参考にしろと言ってるんじゃないんです。何を一番優先すべきか考えろと忠告しているんだ」
「返事は分かっているだろう?」

 ヒーローという激務をこなす条件は様々あるだろう。能力だとか、正義感だとか、挙げれば際限がない。けれどその内でかなり大きい比重を占めているのは頑固さではないかとバーナビーは時々考えることがある。それぐらいヒーローたちには頑固者が揃っているし、キースもその例に漏れないことを知ってしまっていた。

「……勝手にしてください。僕も、勝手にします」
「そうしてくれると有難い」

 キースはバーナビーの寝床の提供をアントニオに依頼した。恐らくバーナビーにアントニオと話す機会を与えたつもりなのだろう。彼と話すべきことはまだあるはずだったが、まともに抵抗もせず、嫌そうな顔のアントニオに引きずられてテントを出る。
 そう時間は経っていないはずだが、一歩外に出ると空気が光の気配を含んでいた。丁度深夜と黎明の間に居たらしい。今にも太陽をその王座に迎えようとする東の空は不吉なほど赤い。名前も分からない焦燥に苛立つ。

「ロックバイソンさん」
「なんだよ」

 兜を被り直すロックバイソンの返事はどこまでもぶっきらぼうだ。キースはその名を呼ぶことで我を取り返すことができたが、彼に同じ方法は通用しないらしい。

「本当にお前、ローマ野郎じゃねぇんだよな?どうも怪しい……」
「スカイハイさんとの話、聞いていたでしょう。分からないところもあったかもしれませんが、僕たちはみんな仲間なんです。話せば長くなりますが……とにかく。ここは危険です。一度この場から離れましょう」
「ああっ?」

 逆効果になることは分かっていた。実際、ロックバイソンはバーナビーへの嫌疑をより色濃くしてしまったようだ。だが他に方法もないのだ。とにかくロックバイソンが我に返るまで、その足がかりとなりそうな言葉を投げかけ続けるしかない。案内された粗末なテントも結局使わず、野営を監視するロックバイソンに食い下がり続ける。ロックバイソンが我を取り戻せば、必ずキースの行いを止めるはずだ。ロックバイソンの言葉なら聞き入れるかもしれない。

 その内に陽は昇り、兵士もそれに従う女子供たちもテントを出て移動の準備を始めている。ロックバイソンとバーナビーに送られる視線は不審げで遠慮が無い。

「あーモウ!しつこいぞ!」
「命がかかってるんです。これ以上言っても分かってもらえないなら、実力行使で貴方を抱えて脱出します」
「それが!怪しいって言ってんだろうが!スカイハイも俺たちの仲間なんだろ?なんでアイツを残して逃げ出そうなんて言えるんだよ」
「それは、」

 彼の意思がこの場に残ろうとしているからだ。バーナビーにそれを無理やり引き剥がすことはできない。そんなことができる位置にバーナビーは立ってないはずだ。マスクで緩和されることなく、ロックバイソンの疑念は言葉に詰まったバーナビー一点に注がれている。

「みんな、少し急いでくれ!敵に嗅ぎ付けられる前に動くんだ!」

 兜と胸当てを身につけ馬にまたがるキースが声を張り上げると、地鳴りのように人々がそれに答えた。朝陽は彼の瞳や肌、その周囲を漂う粉塵までに等しく光を与え、輝かせる。その姿はまさにローマに牙を剥く剣闘士であり、人々が待ち望む理想の王を描いた一枚の絵だ。額の向こうに居るバーナビーには、初めから触れないものなのかもしれない。

 ふと、キースが馬の鼻先を変えた。探すような視線がバーナビーに辿り着き、ほんの少し和らいだ。考えを口に出したはずもないのに返事をされた気分だ。ばつが悪い。なんて大仰で馬鹿げたことを考えているんだろう。僕はただ――

 ひゅっと、呼吸が鋭く絞られる音がやたらに鮮明だった。視覚が伝えた情報が脳に行き渡らず立ち尽くす。まず隣に立つロックバイソンが地面の揺れるような大声を上げた。奇襲だ!人々が右に左にどよめく。カンカンカンカン、粗悪な金属を乱暴に叩く鐘の音が耳を劈く。喉元を貫く矢を押さえたまま、馬上の人はぐらりと体勢を崩した。それを受け止めようと駆け出す。目端に何かがちらついて目をやれば、遠い丘の上に黒い影が見えた。反射でハンドレッドパワーを発動させる。黒い布を身に纏う人間の手には弓。その意味をやっと悟る直前に両腕にずしりと重みがかかった。

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