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Viva La Vida/美しき生命



「っだ!お前、ヒーロースーツはっ?」
「……本社ですけど」

 突然の詰問に、どう答えるか一瞬迷ってしまった。ウエストシルバーにある小さな病院の門前に立つ二人のヒーローの内訳は、1ミニットのヒーロースーツを着込んだワイルドタイガーと、いつもの私服のバーナビーだ。この本革のジャケットはかなり気に入っているので、末永く使い込むつもりでいる。が、ワイルドタイガーが聞きたいのはもちろんそんな答えではないだろう。

「今日はこの病院でのイベントがオシゴトだろ?そんでヒーロースーツでって言われてたろ」
「ああ、そうなんですか?」
「そうなんですかってお前……」

 気の無いバーナビーの返事にワイルドタイガーはすっかり言葉を失ってしまったようだ。それを内心愉快に思いつつ、極力表面に出さないよう澄ました顔を作ってみせる。眼鏡のフレームを指で押し上げた。

「今回のイベントは二部ヒーローの仕事でしょう?僕は一部所属でもありますから。僕がヒーロースーツを着てイベントに顔を出すと、ギャラの額が一桁変わるんです。それは病院側の本意じゃないでしょう」

 コンビヒーローとして格好がつかないのでバーナビーとしても不本意なのだが、そもそもバーナビーには声のかかっていない仕事なのだった。ワイルドタイガーの予定に組み込まれていたので、ボランティアで構わないから参加したいと申し出たのである。渋られるかと思ったが、そちらの方が良いアピールになるんじゃないとかなんとか、半ば投げやりに許可が出た。コンビ結成時から度々苦労をかけてきたロイズには、最近はすっかり諦められてきている気がする。

「お分かりですか?」
「……ハイハイお分かりお分かり」

 ワイルドタイガーはあからさまに嫌そうな顔で唇を尖らせた。バーナビーの選んだ言葉が気に入らないのだろう。我慢できず苦笑する。

「拗ねないでくださいよ。僕が貴方に付いて来たかっただけですから、経理や病院側にあまり迷惑をかけたくなかったんです」
「ほーえらいえらい」
「あ、信じてないですね!言っておきますけど、僕は貴方じゃないんですからスーツ着るぐらい無精したりしません」
「あーもー、そーいうことでいいけどな」

 のらりくらりとワイルドタイガーが歩き始めるので、バーナビーもそれを追う。真面目な二部ヒーローたちは既に到着して待機していることだろう。バーナビーが現れれば多少は驚いてくれるかもしれない。

「お前、たっのしそうだなあ……」
「悪いですか?」
「いんや?いいんじゃねーの?」

 ワイルドタイガーが小さく笑う。余計なことは言わず、ただバーナビーの「今」を認識してくれている。バーナビーは虎徹のそういうところが好きだ。行きますよ、と歩調を速める。脳内にふとよぎる春の夕暮れの映像に、今は気づかないでいるために。

 生みの親であるマーベリックの事件により一時はその存続が問われたHERO TVだが、シュテルンビルト市民はヒーローが歴史の中に埋没することを望まなかった。舞台や仕掛けにどのような思惑があろうとも、市民のためだけを思い尽力するヒーロー自身の姿勢は確かな信用を勝ち取っていたのだ。ワイルドタイガーの存在もあり、現在では二部リーグもかなり注目されてきている。今日も二部ヒーローだからと言って冷遇を受けることもなく、イベントは盛況だった。退屈な入院生活に飽き飽きした患者――主に子供たちの餌食になってしまった感は否めなかったが。ショーが終わっても子供たちに登山され好き放題されているワイルドタイガーを、和やかに眺めつつその場を離れる。裏切り者だとか言われた気もするが心外な話である。市民との楽しい触れ合いの時間を邪魔しないようにしただけだ。ついでに何か飲み物でも買ってきてやろうと陽光が暖める白い廊下を歩く。イベントの行われている中庭の喧騒がここでは遠い。ほんの少しの人の気配が肌の上を控えめに撫でていくだけだ。靴音ばかりが大きい。

 思わず足を止めたのは、あの春の夕陽の中と同じ理由だった。見知った色が目に飛び込んで、それが見間違いでないことを確認してしまったからだ。春の柔らかい陽射しがタッチを柔らかくした一枚の窓絵の向こうには、緑の茂る木々とベンチが見えた。男が一人、パジャマ姿の数人の子供たちに囲まれて楽しげに口を動かしている。窓に歩み寄って桟のあたりに手をかける。まだ肌寒い春先の空気を迷い込ませないためだろう、窓は閉まっていて、きっと空気に満ちているだろう和やかな声は届いてこなかった。静かな病院の中で、サイレント映画でも見ているように、その場にじっと佇んでいる。

 ふと、後方をそろりと人が通った気配がして振り返った。スマートフォンのカメラと目が合って面食らう。気まずげな顔の看護師にひとまず笑みを作る。

「あの」
「は、はい!」
「彼は……病院の関係者ですか?患者や見舞いには見えないんですが」
「彼?……ああ、グッドマンさんですね!」

 後ろめたさが看護師の動きを随分俊敏にしている。身を乗り出してバーナビーの指先を目で追い、答えられる問いだったことに安心した様子だ。

 「グッドマンさん」は一年ほど前、ある老人が徘徊しているのを保護したことがあるのだという。その老人がこの病院に入院している間も度々見舞いに訪れ、他の患者──特に子供たちと仲良くなったのだという。一年前なのに聞いた覚えのない話だった。

「好かれてるんですね」
「患者さん相手なのにちょっと無茶なところがあって、ヒヤヒヤしますけどね。病院の子供たちは長い入院に退屈したり塞ぎ込んだりしているから、彼と居ると楽しいみたい」

 赤ん坊相手に無謀なあやし方をしていたことを漠然と思い出す。今は静かに過ごしているように見えるが、「無茶なところ」も容易に想像ができた。つい苦笑が漏れる。それをどう思ったのか、あの子たちは人見知りが激しくて、ヒーローイベントに行きたくても行けなかった子たちなんです、看護師が見当外れなフォローを入れる。

「でもグッドマンさんみたいな方は本当にありがたいんです。特に最近はあの子のことがあって……」
「あの子?」
「ああ、いえ、なんでもないの……仕事があるので私はこれで!」

 先程まで真剣にスマートフォンを構えていた人の言葉とは思えなかったが、バーナビーは敢えて引き留めなかった。仕事があるのは間違いないだろうし、アクシデントの行き着く先は大抵警察か病院かの二手に分かれる。それはヒーローの有無に関わらないことだ。バーナビーに話せない事情がいくつあってもおかしくはない。

 バーナビーもその場を離れようと思うのだが、足が動かなかった。目についたベンチに腰掛ける。窓の向こうから見ればバーナビーの肩から上が見える形になるだろうか。しかし若干距離があるため、窓の向こうの人々がバーナビーに気づく様子は無い。

 随分子供みたいに笑うんだな、そう思った。笑みの印象が強いとは思っていたが、子供のようだと思うことはあまりなかった。ベンチの中央で子供たちに挟まれてそういう表情をしているのを見ていると、まるでそういう水彩画のようだ。光に溢れる春を表現したパステルカラーだ。

『君は、光の塊みたいだ』

 まるで内緒話でもするかのように、彼にそう言われたことがある。は、と右肩上がりの一音を発したっきり、何も言えないでいるバーナビーを、キースは嬉しげに見つめていた。あれは確かジャスティスタワー内の、ヒーロー事業部関係者のみが使用できる小食堂での言葉だ。次第に記憶が蘇るのに伴って、ぼけた画像が自動再生の鮮明な映像になっていく。初めはキースが正面に座っているだけだった画像に、味気ないテーブルが、ランチのプレートが、コーヒーのカップが、遠くで野次馬根性を隠そうとしない仲間たちが加えられていく。

「うまく言えないが……君が生きているということが、とても眩しく映る。それがきっと素晴らしいことだからだね」

 そうやってバーナビーを覗き込むキースの瞳は、電灯の光を取り込んで爽やかなブルーで輝いていた。あなたの瞳に光があるから、それが映り込んでいるだけじゃないんですか。そう思ったのだったか、言ったのだったか。ともかくキースはいつもの調子で両腕を上げてポーズを決めた。

「もっと近くで見ていられたら嬉しいと思っていたんだ。バーナビー君、ありがとう!そしてありがとう!」

 反論したり、呆れたり、やりたいことはいくつかあった。しかしキースの過剰とさえ思える爽やかさに全てが馬鹿らしくなる。バーナビーは手元の紙に目を落とした。ペンを手に取る。

「……『サングラス着用』でも、加えておきます?」
「名案だ!実に名案だ!」
「念のため言っておきますが冗談ですからね」
「えっ」

 その紙は、本当に馬鹿げた名目を背負った『契約書』だ。しかしそこにはバーナビーとキースが互いを慮る内容しか詰め込まれてはいなかった。今思い返せば、本当に尊い、この世でたった一枚の紙切れだったのだ。

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