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天つ国、いずくにか (未完パラレル)



 この仕事をしていると、こんな残され方があるかよ、という場面を見る。死んだほうがマシだなんて言葉は決して使いたくないが、もしかしたらその人のある一瞬にとっては真実なのかもしれないと考えてしまう。長く生きていればその真実はゆっくりと覆っていくはずだけれど。そう信じて毎日を生きていくしかない。残された者はいつも。

 その日、村田が事件現場への立ち入りに付き添うことになった少年も、そういう「残され方」をした者の一人だった。名は竈門炭治郎。六人兄弟の大家族で、父を亡くしたばかり。家業のパン屋のおかげで路頭に迷うことは無かったようだが、少年の暮らしは楽ではなかった。朝早くから開店準備を手伝い、登校ギリギリまでパンを売る。帰宅してまたパンを焼き、一段落したところで配達に出る。しかし少年の家族は地域の人々に慕われていたから、少年は半ば世間話の相手にされているところがあったようだった。パンを配達したはずなのにそれより多くの手土産を持たされてやっと帰宅したのが八時半過ぎ。事情を聞いた者の話ではぎっくり腰になった配達先の老婆を町医者まで運んでやっていつもより遅くなったらしい。パン屋の閉店は六時。雪のちらつく真冬、日没は早い。

 少年はその日現場に立ち入ることを許されなかった。とても見せられない惨状だったからだ。だが少年は強硬にそれを拒んだ。入らせろと暴れた。自分が入れば「匂い」で分かるはずだから、と。鬼の頸は既に斬られていたが表向きには犯人は不明で処理される。錯乱状態だとみなされた少年は昏倒させられて軍病院に収容された。村田の同期が先に運び込んでいた少年の妹と同じく。

 現場への立ち入りの付き添いと聞いて事前に調書を読んだが、途中から何度投げ出したくなったか知れない。この少年の辛さだけではない。今まで自分が体験した、見てきた様々な体験と記憶が調書に重なった。たった十三歳のこの少年もそれを背負っていくのだと思うと気分が重かった。

「忙しいところありがとうございます。お願いします」

 少年は硬い表情を浮かべているが、礼儀正しく頭を下げた。特徴的な耳飾りが目下で揺れる。

 大切な何かを突然奪われた時、人の反応は色々だ。事実が受け止め切れずに呆然自失になる人、何もかもに攻撃的になってしまう人、身も世もなく泣き暮れる人。気丈に自分を保とうとする人ももちろんいる。しかし事件の日は暴れたと聞いていたから、こんなに幼い少年までもがそんな風に振る舞おうとするとは思っていなくて、村田は更に気詰まりになった。泣いて縋って役立たずとでも罵られたほうがまだ気分は楽だと思う。比較論だが。

 地域の人びとに慕われている何の罪もない家族を襲った悲劇。情報規制はかけているものの人の口にまで戸が立てられるわけではない。興味本位の野次馬に何かの断片が知られるようなことがあれば、鬼殺隊の任務に大きな支障が出る。生き残った少年たちにしても、生活を脅かされることになるかもしれない。そのため、事件の起きた少年の家は鬼の痕跡を完全に消した上で、ほとぼりが冷めるまで軍部の管理下に置かれることになった。その後は竈門家の親族の意向によって取り壊される予定らしい。この少年もそれに同意していて、大切なものだけは持ち出したいという希望を受けて村田がこうして付き添っている。

 少年は目隠しのボードを貼りつけられた店のドアをスライドさせ、薄暗い室内をじっと見つめた。室内は殺風景でがらんとした印象だ。パンを並べるためのスチールラックが壁際に寄せられている。消毒が行われたのか薬品の匂いが鼻に染みた。

「ただいま」

 小さく呟いて、少年は静かに足を踏み入れる。振り返らずに部屋の奥へと入って行った。胸が痛くなり、村田は玄関から入ってすぐのレジカウンターの前から動かずに待つことにする。任務には少年の保護だけでなく監視──鬼に関する情報の取得を万一にもさせない、という指令も含まれていたが、少年を邪魔せずにしたいようにさせてやりたかった。

 カウンターの向こう、住居になっている部屋を行ったり来たりする姿を数往復見たが、少年は三十分もせずに戻ってきた。両手にはそれぞれスポーツバッグと紙袋が握られている。心苦しいがこれも任務だと割り切って、カウンターの上で中身を検めさせてもらう。スポーツバッグには妹のものと思しき服。紙袋にはアルバムやそれに収まりきれなかった写真、手紙の類が入っていた。他にはもう無いと言う。

「これだけで大丈夫です」

 思わずこれだけでいいのかと問う村田に、硬い表情のまま少年はきっぱりと言った。それなりの荷物を想定して車も手配していたのにあまりに少ない。

「家族より他に、俺に大事なものは無いから」

 この仕事をしていると、こんな残され方があるかよ、という場面を見る。それはもう見る。死ぬほど見る。絶望する人、怒る人、泣く人を見るとそりゃそうだよなと思う。生き残った時に良かったと喜び合える人がいなきゃ、むしろ苦しいだけなんだから。大切な人の手を離してしまって、自分一人残ったことを手放しで喜べるやつがいるわけがない。

「ありがとうございます。俺のために泣いてくれて」

 少年は初めて硬い表情を崩し、村田を弱い笑みで見上げている。泣きたいのは俺じゃないだろう、幼いのに立派な少年を前にみっともないと思うのだがどうにも止められなかった。五人も兄弟がいる大家族だ。毎日騒がしく明るい生活がそこにあったことは想像に難くない。それが今は、こんなにがらんどうな静かな家に変わり果てている。

「大丈夫です。俺は、長男なので。妹のために頑張れる。妹が残ってくれたから」

 少年は笑みのまま言う。気丈に振る舞おうとするこの少年をこれ以上困らせるわけにはいかない。軍服の袖で目元を乱暴に拭った。少年がハンカチありますよとカウンターの前に出てくる。気を遣うどころか遣われて一体何をやっているのやらと自分が恥ずかしくなる。

「匂い……」

 しかし、ふと少年が足を止めた。村田を見上げているが、鼻に指を当てて何か別のことに気を取られているように見える。嗅覚が優れている少年だとは聞いていた。何かを嗅ぎつけてしまったのだろうかと涙を拭い拭いどうしたと問う。

「いえ、少し『違う』匂いがしたと思って」
「違う?どう違うんだ?」
「優しくて、寂しい……」

 うわ言のような呟きが途切れて、変わりにぽろりと一筋、少年の右目から静かな涙が零れて頬を滑った。

「なんだろう、俺にもよく分からないです。すみません」

 何がきっかけだったのかは分からない。だが、それから少年は堰を切ったように涙を零し始めたのだった。

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