※ Pixiv掲載: https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=14376253
「また来たのか」
「はい!」
玄関の戸を開けるなり現れる満面の笑みは、もうこの幾月ですっかり見慣れている。お陰様で「ごめんください」という大声を聞くだけで口元が緩むようになってしまった。禰豆子たちを伴っている時もあるのだが、今日は独りらしい。ただの娘に戻った禰豆子の足ではなかなか短い時間で遠出はできないし、禰豆子が行かないとなれば善逸も行きたがらない。伊之助は自由気ままな男だから、今日はその気分ではなかったのだろう。馴染みの者たちの見ていない姿を想像するのも愉快なものだ。口元に笑みを浮かべたまま外へ出る。炭治郎もすっかり「勝手知ったる」の様子で、義勇が先導するまでもなくスタスタ納屋へと向かう。戸を開けてやると、炭が積んである一角に籠を下ろし、手早く新たな炭を積み増していく。
「又売りできそうな量になってきたな」
「なるほど、いいですね!」
皮肉のつもりだったが、口下手のせいか炭治郎の気質のせいか伝わらなかった。炭売りの義勇さん、と愉快そうにくすくす笑い始める始末だ。すっかり冗談として受け止められている。義勇が迷惑も困惑もしていないことがすぐに分かってしまう鼻が厄介だ。炭が有ろうが無かろうが、かつての仲間の顔を見られることが嬉しくないわけもない。
ぎっしり籠に詰めていた炭を全て棚に積み終え、満足そうに真っ黒な手を払う炭治郎を土間まで連れて行ってやる。樋を引いて山水を四六時中流したままにしてあるから手を洗える。
「ここも洗え」
炭の付いた鼻先を指でつっつくと、炭治郎は目を丸くして固まってしまった。意図せず不覚を取り形勢逆転に成功したらしい。喉を鳴らしながら部屋に戻る。戸棚からいくらか金子を取り出して戻ると、炭治郎は渡してやった手拭で入念に顔を拭っているところだったのでまた笑ってしまった。
「義勇さん……」
「こっちへ」
恨めし気な声を上げる炭治郎に苦笑して、板張りまで手招きする。頬を膨れさせながらも炭治郎は大人しくそれに従った。畳んだ紙を差し出す。
「今日こそ受け取ってくれ」
あまり多く渡しても喜ばないことは分かっているので、相場よりも少し多いくらいに抑えてある。頬から空気を抜いた炭治郎は、眉を下げて白い紙をじっと見下ろした。予想はしていたが手を伸ばす様子は無い。この問答は毎度のことだから、炭治郎もそろそろ終わらせたいはずだ。もはやどちらの意地が勝つかの戦いになりつつある。分は義勇にありそうだ。卑怯かもしれないが、義勇が強く望めば炭治郎は拒めない。
そんな義勇の考えを嗅ぎ取ったかどうか。炭治郎はちらりとこちらの顔色を窺い、困った笑みのまますとんと床の上に腰を落とした。膝を付いた義勇と目線が近くなる。
「しばらく家に居て、炭を焼きながら色々考えてみたんですが」
光の入らない曇った硝子玉と、土間の暗がりでも炭火のように温かく光る瞳。どちらもまっすぐに義勇に向いている。逸らすことができない、と考えて、何故逸らす理由を考えているのか自分自身を不審に思う。義勇さん、意識が逸れていることすら見逃すつもりはないのか炭治郎は静かに名前を呼んだ。
「三年前も俺は炭を焼いてました。父さんの代わりに。炭を焼いて、それを売って、家族を助けて。それが俺のやるべきことだった」
炭治郎の右手がそろそろと伸びて、包みを握る義勇の左手に触れた。そしてそれが床にそっと押さえられる。引いてくれ、と懇願するように。
「俺、家族が好きでした。本当に好きで、家族のためになるならどんな苦労も辛くなかったんです」
浅慮、そう囁くのは頭の中の先生か錆兎か。意識していなかったがこの勝負、炭治郎にだって分はある。
「炭は今もこうして焼いています。それで、もうひとつ、どれだけやっても辛くない苦労を、そう思える人のためにやろうと思って」
じっと縋るように見つめられ、手を押さえ込まれ。負け戦を認めるのは簡単ではないものだ。苦く眉根を寄せて細く息を吐く。はー。
「……それでこうして炭を配って歩いてるのか」
「はい!みんながどうしているかこの目で見られますしね」
目、という言葉に合わせて手が離れ、炭治郎は自分の大きな目玉を指しにこにこしている。恐らく義勇が折れる気配を感じ取って気を緩めたのだろう。その通りなので文句は何も言えない。
「仕方がない。遠慮なくもらう」
「冬は義勇さんがたくさん使ってください。傷にきっと寒さが堪えます」
「ああ、そうする。又売りなんてしない。大事に使う」
うふふ、と赤子みたいに笑うので渋る気持ちもすっかり抜かれた。いくつになっても変わらないこの純真さには勝てる日は無いかもしれない。どんな悪人でも赤子が泣けばたじろぐのと一緒だ。
「もう発つか。何か土産を持たせよう。この辺りはお前のような世話好きが多いから──」
「義勇さん」
せめて何か代わりを持たせよう。腰を上げようとしたが、炭治郎が名を呼ぶので押し留められてしまった。間近にある瞳がじっと怪訝を隠さない義勇の顔を映している。
「俺、義勇さんのところに一番来ています。そうしたくてたまらなくなって」
右手がまた伸びて今度は左腕に触れた。秋の風がすうすう通る屋敷の中、炭治郎の手のひらは真夏の日のように熱い。ぎゅっと握り込まれ、火傷でもするんじゃないかと一瞬本気で心配した。その隙を付くように、炭治郎が身を乗り出してくる。
「又売りしたくなってもしょうがないですよね。すみません」
ぎゅっと肩を抱き寄せられたので囁きは耳元すぐ近くで聞こえた。何も答えられずにいると、炭治郎は一層強く義勇の胴を抱き締め、それから弾くように離れた。
「また来ます!じゃあまた!」
呆然とする義勇に頭を深々下げ、耳をつんざく大声で叫び、籠を片手に走り去っていく。後方からかろうじて見えた耳は真っ赤だった。バン、という大きな音は一体なんだろうか。方向からして門扉だろうか。ひょっとしてぶつかったのかもしれない。
また来ると言うなら、その時でいいか。
しばらく薄暗い土間でぼうっと固まっていたが、そう折り合いをつけて義勇は日々に戻った。今度はすぐに土産を渡せるように納屋にまとめておこう。