文字数: 153,679

天つ国、いずくにか (未完パラレル)



 今日はゆっくりの日だ。朝起きてお父さんが布団から全然出てこない時、今日はゆっくりの日だと分かるからすーちゃんはとても嬉しい。ゆっくりの日は幼稚園に行かないので友だちに会えないけれど、その代わり、早く起きてとお父さんの上に乗ってとごろごろするのが楽しい。それにお父さんをうまく起こせたら広くて楽しい場所へ連れて行ってくれる。ふたりでがんばってお母さんを起こして、公園や山や海やお店屋さんへ行く。花火は音が大きいからちょっときらいだ。お祭りにまた行きたいけれど、また今度ねと言われて全然行かない。今日もお祭りじゃなくてお店屋さんだ。でも、お店屋さんも好きだから大丈夫。花火じゃなくてよかった。お店屋さんにはお父さんの車で行くけれど、お店屋さんに着けばすーちゃんにも車がある。今日もいつもの車を見つけて、後ろから押してあげるお手伝いをしている。これはお父さんの車とは違うから押してあげないと動かない。転ばないで早く歩けるからこのお手伝いは好きだ。

 ころころころころ、車を押して押して押して、少し疲れたので歩くのをやめた。くたびれたあ、と家に帰ってきた時のお父さんの真似をして顔を上げると、じいっとこちらを見ている目がある。お父さんくらい大きいひとだ。嬉しい。車から手を離して、すぐ近くにある足につかまった。足が少し動いたので、ぎゅうぎゅう手の力を強くした。

「だっこぉ」

 お父さんもお母さんもおじいちゃんもおばあちゃんもみんな、こう言うといつも抱っこしてくれるのに、大きいひとは何もしないでただすーちゃんを見ている。

「だっこちて」

 もう一度言ったのにだめだった。お母さんが干した洗濯物みたいに肩を上げて、じいっとあおい目ですーちゃんを見て、全然動かない。こら、だめでしょ、と怒ると顔を上げて何かを探し始めた。

「炭治郎」

 大きいひとが呼ぶと、小さいひとがやってきてびっくりした顔をした。だけどすぐに楽しそうに笑って座る。大きなあかい目がすーちゃんと同じくらいの高さになった。

「こんにちは!」
「こん、にゃちは」

 大きいひとの足を掴んだまま頭を下げる。あいさつをするとみんな笑ったり大きな声を上げるので本当はあまりしたくないけれど、あいさつはたいせつだとお父さんが言うから仕方なくやっている。「たんじろう」はにこにこするだけで笑わなかったのでよかった。

「お名前は?」
「すーちゃん」
「すーちゃん、お兄さんの足を掴んでどうしたんだ?」
「だっこちてください」

 つんつん、たんじろうの指がすーちゃんの手をつっついたので、頭を下げてみた。お母さんにお願いがある時は「ていねい」にするんだよ、と言われたことを思い出したからだ。ははは、えらいなあ、と褒められたので嬉しい。

「すーちゃんは抱っこしてほしいんだな」
「うん」
「そうかあ。歩くの疲れちゃったか?」
「ううん」
「兄ちゃんがだっこしてもいいか?」
「うーん……ちょっとだけね」
「はは、ありがとう」

 これはお母さんの真似。お母さんがこう言うとお父さんはそんなあと面白い声を出すけど、たんじろうは楽しそうに笑っている。なんでだろう?すーちゃんを抱っこしてくれたたんじろうは、にこにこした顔を近づけてくる。

「どこへ行こうか?母さんのところ?それとも父さんかな」
「とーたんと、かーたんは、おかいものだよ」
「そうか。それで一人で遊んでたんだな」

 全然人見知りしないのも大変だなあ、たんじろうは今度は困った顔をした。たんじろう、と大きいひとに呼ばれるとパッとまた笑顔になる。それがおかしくて笑うと、たんじろうは困った顔と笑った顔半分ずつの顔をした。やっぱり面白い。

「どうするんだ」
「迷子だと思うんですけど、近くに探してる人が居ないんですよね」
「まいごになったらねえ、おみせのひとにいったらいいよ」

 これもお母さんが教えてくれたことだ。すーちゃんは迷子になったことがないけれど、たんじろうたちに教えることができたから聞いておいてよかった。

「一階に案内カウンターがありましたっけ。放送かけてもらえないか聞いてみましょうか」

 迷子で困っているせいか、たんじろうは困った顔と笑った顔を混ぜた顔のままだ。すーちゃん行こうか、と歩き出したので慌てて車に手を伸ばしたら大きいひとが連れて来てくれた。ほっとしてたんじろうの肩に戻る。たんじろうの肩の向こうには見たことのあるお店がたくさんあった。アイスを食べるところだ!たんじろうが迷子じゃなかったらアイスが食べたかったなあ。

「注文する前で良かったですね」
「ああ」

 たんじろうは大きいひとが返事をしたあとすぐ、口を開いたのに何も言わなかった。口が閉じて、開いて、また閉じて。試しに開いた口に手を当ててみたら、たんじろうはまた変なふうに笑う。大きいひともたんじろうを不思議そうに見ている。

「すみません。本当は、もっといいお店に行くものらしいんですけど、どうしてもその、学生では限界が……」
「別に構わない。俺はお前が居れば」

 あかい目がぽろっと落ちてきそうだ。たんじろうはほっぺたも首元も耳も真っ赤にして立ち止まった。さっきの大きいひとと逆になったみたいで、大きいひとが「たんじろう」と呼んでも動かない。せっかく抱っこしてもらってもこれじゃ全然楽しくない。ぺちぺちそのほっぺを叩いた。

「ねえ、ねえ」
「う、うん!?どうしたんだ?」
「たんじおお、ちいたい」
「え!?」
「ちいたいのやだ」
「ええ!?」
「だっこぉ」

 大きいひとに手を伸ばすと、大きいひとは一度たんじろうを見て、それからやっと腕を伸ばしてくれた。少しだけ高くなってたんじろうが泣きそうな顔をしているのが下にある。嬉しくなって笑った。

「なるほど……高いほうが楽しいみたいですね……」

 俺だって百六十五はあるのに……たんじろうが小さい声で何かを言うと、大きいひとが息を吐いた。首にそれがあたってくすぐったくてまた笑う。高い高いを三回お願いするとものすごくゆっくりだったけれど体が空に浮いた。楽しい。

「俺はこいつにどうしていいか分からなかった。お前はすごい」
「妹や弟で慣れてますから。どんなに小さく見えたとしても……」
「拗ねるな。お前はいい父親になる」

 手足を動かしてきゃーきゃー笑っていると、大きいひともちょっとだけ笑った。もっと嬉しくなってぎゅっと首にくっつけばポンポン背中が叩かれて歩き出す。でも大きいひとの肩の向こうのたんじろうは心配そうな顔だ。走って大きいひとの横に並ぶ。

「あのう、義勇さん?」

 大きいひとはぎゆうさん。あのう、ぎゆうさん!と真似をしてみると、ほんの少しだけまた笑われた。その顔をたんじろうに向けてぎゆうさんは首をかしげた。

「……俺が父親になる時は、義勇さんも父親になるんですよ」

 ぎゆうさんは何も言わないで、すーちゃんにもそうしたようにあおい目でじいっとたんじろうを見ている。すーちゃんはせっかく高いところにいるので早く歩いてほしいなあと思っている。

「それはそうだろ」

 ぎゆうさんはそう言ってから、すぐに「ああ」とお父さんのあくびみたいなのんびりした声を上げた。

「お前のようになれるかは分からないが、努力はする」

 やっとぎゆうさんが歩き出したのでよかった、と思ったのにたんじろうがその場にしゃがみ込んでもっと小さくなってしまった。頭を抱えている。もしかしたら疲れたのかもしれない。すーちゃんと交替してぎゆうさんに抱っこしてもらったほうがいいだろうか。

「どうした」
「いえ……なんでもないんです……なんでもないんですが自分が情けないというか、確かに俺は小さいなあと……」

 ぎゆうさんもすーちゃんを抱っこしたまましゃがみ込んで小さくなった。たんじろうは小さいのがいやみたいだ。すーちゃんも時々、お父さんやお母さんより小さいのはなんでだろうと悲しくなったり怒りたくなったりするから、たんじろうがかわいそうになった。手を伸ばして赤と黒の混じった髪の毛にさわる。

「だいじょうぶ」

 たんじろうが目と口を丸くした顔を上げた。それはすぐに優しい笑顔になる。すーちゃんがお父さんとお母さんの顔の中で一番好きな顔によく似ている。

「ありがとう、すーちゃん」
「どーたまして」
「義勇さんも」

 たんじろうはぎゆうさんを見た。笑った顔のままだけど、少しだけさっきまでの顔と変わっているように見える。同じ笑った顔なのに不思議だ。

「信じてくれてありがとうございます。俺を」

 ぎゆうさんはまたじいっとたんじろうを見ていたけれど、最後に「うん」とだけ言った。ちょうどその時、すーちゃんの名前を呼ぶ大きな声がした。立ち上がったぎゆうさんに近づいて来るのはお父さんとお母さんだ。お父さんとお母さん、やっとお買い物終わったのかな。それなら、ぎゆうさんとたんじろうと一緒にアイスが食べたいなあ。

-+=

ご不便をおかけしますが、コピー保護を行っています。