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先生と紅茶 (パラレル)



※ 大人遊戯と少年瀬人の明治大正っぽいパラレル

 しんしんと、しんしんと雪は降ります。

 少し考えてから、先生は暖炉にくべる薪をもう何本か増やした。何を考えていたかというと、外気と室温との差とか、そういうことに違いない。部屋をあまり暖かくすると外に出た時に風邪を引くと言って、先生はいつも薪を増やすのを嫌がる。じっと火の中でぱちぱち爆ぜる薪を見ていると、困ったような笑顔で先生は振り返った。

「今日はさすがに寒いからね」

 このまま放っておいたら逆に風邪を引くだろうからさ、と言う、その視線を追って窓の外を見る。窓の向こうは真っ暗だが、部屋の明かりを受けて雪がちらちらと光っていた。窓枠にも白い雪が少し積もっている。

「明日の朝には、きっと積もってるよ」

 そしたら散歩に出ようか。笑いながら先生は淡い色をした重たいカーテンを引いた。窓の闇が消えるだけで、室内の温度が少し上がった気がする。実際は、先ほどくべた薪の力に過ぎないのだが。

 コンコン、と部屋の戸が叩かれた。

 返事も待たずに入ってきたのは、この家に昔からいるたったひとりの年老いた女中だ。エゲレスだかメリケンだかから仕入れたと言う銀盆に乗せたティーカップからは、白い湯気と芳香が漂ってきている。これまた外国ものの紅茶が注がれているのだろう。

「ありがとう」

 先生は銀盆ごと受け取って女中を下がらせた。年老いた彼女を労わってか、もう眠るように言いつけている。それからテーブルの上に小さな音を立ててカップを並べた。白く濁ったその水面にあからさまに顔をしかめると、先生は喉を鳴らして笑った。

「君の歳に合わせて甘くしたんだと思うよ。……そんなに嫌な顔しないで」

 歳より好みに合わせるのが女中の仕事だろう。どうせ主人好みの甘さに淹れて、瀬人のはそのついでだったに違いない。

「怒っちゃった?」

 怒ったわけではない、女中の仕事ぶりを疑問視しているだけだ。子ども扱いされて腹が立ったわけではない。断じてない。
 不本意に思いつつも大人しく暖かい液体を喉に滑らせて、先生を見上げた。甘い甘い紅茶を満足そうに飲み干してからやっと、先生はそれに気づいたようだ。

「……?どうしたの?」

 顔をしかめてみせる。ただこの柔らかい革張りのソファに座るために、こうやってこの部屋に居座っているわけではないのだ。また先生はクス、と笑った。先生はこうやってすぐに笑ってみせるが、なんだか居心地の悪くなるそれに未だに慣れることができないでいる。

「ああ、ごめん。じゃあ、始めよっか」

 先生は立ち上がって、本のびっしり詰まった本棚から本を数冊抜き取った。かぶっている埃に息を吹きかけている。先生は先生のくせに、あまり本を読まない。

「初級はこの前で終わっちゃったからね。今日から少し難しいものも入れていこう。本当に覚えが早いよ。すぐ追い越されちゃいそう」

 楽しそうにインクとペンと紙を目の前に並べていく。からん、と小さな音が静かな部屋に響いた。薪のひとつが燃え尽きたのだろうか。一度上げた視線を本に戻して、本文まで頁を繰る。

「……瀬人くん」

 さら、さら、という紙擦れの音を先生が遮った。

「ボクは分かるからいいんだけど……」

 次に来る言葉は簡単に予想できた。身体を硬くして身構える。そのせいで先生は言葉を続けようか躊躇ったようだった。だが二、三口を開閉させた後、暖炉の熱にほの揺れる空気を震わせた。

「いつかは、ちゃんと、言葉で誰かに気持ちを伝えないとね」

 予想したような内容だった。だが予想よりずっと、その言葉には拘束力が無かった。その言葉はろうそくの火を揺らして、壁の向こうにゆっくり浸透していく。答えを求めてこない言葉だ。

「ああそう、紅茶、冷めちゃうよ。君が全部飲んだら、今度こそ始めようか」

 先生がにっこり笑うので、瀬人は大人しくティーカップに口を付けた。

(2007-12-12)

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