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先生と紅茶 (パラレル)



先生とぼく

 友人と見込んで頼みごとがあり申す、と書面が送られてきたのは数日前だ。旧くから親交のある友人の城之内が本当に困った時に使う手である。少々困ったぐらいなら、直接乗り込んで遊戯に頼めばいい話なのだから、事前に確認を取る必要は無いのだ。

「城之内様です」
「ここに通してくれる?」

 書斎でのんびりと最近お気に入りのキイムン紅茶を楽しんでいた遊戯は、城之内には緑茶をと注釈をつけた。いつも紅茶の仕入れをつけてくれる城之内だが、彼自身はあまり好きではないらしい。曰く、「んな甘ったるいモンよく飲めるよなあ!」。この甘い芳香から受け付けないそうだ。
 コンコンコン、という荒々しいノックに苦笑しつつ入室を促す。

「遊戯!」
「や、城之内くん。聞いたよ、男爵になったんだってね。おめで……」
「そんなのは今はどーだっていーんだよ!」

 城之内は身一つで商売を始めた貿易商だ。言語や礼節の違いで挫折する商人の多い中、政府にまで認められるとは素晴らしいことである。だがそれは城之内にとってはどうでもいいことに過ぎないようだ。彼らしい物言いを好ましく思い笑いが出た。

「笑いごとでもねーぞ!」
「うんうん、分かってるよ」
「本当か?……まあ、とりあえずまずこれを……ああ!?」

 城之内が慌てた様子で左右を見渡している。そしてどうしたのかと問う間も与えず扉へ駆け戻って行った。ドアを半開きにしてまた左右を見渡し、何やら怒鳴っている。

「こら!ちゃんとついて来いっつったろ!ほら!」
「?誰か連れてきたの?」

 さすがに何事かと遊戯もドアに近づいた。城之内の体の隙間から廊下を覗き込む。そこで思わず目が丸くなった。

「……城之内くん?」
「い、言っとくけどオレの子とかじゃねえから!」
「いや、それは分かってるけど……」

 仕立ての良さそうな服を身に着けた十二、三の少年が、城之内を人間嫌いの野良猫のように睨み上げている。ほんの一瞬本気で城之内の子かと疑ったことはおくびにも出さず、遊戯は説明を求めるように城之内を見つめた。

「本田の奴、あいつ、邏卒に居るだろ?」
「今は警察って言うんだよ、城之内くん」
「どっちでもいーけど!とにかくそこで拾ってきた厄介持ちのガキなんだと。ったくアイツ……オレに押し付けやがって……」
「本田くん忙しいからね。この子が『頼みごと』?」
「ああ……更に押し付けるみてえで悪いけど……。こいつ、オレが何言っても聞きやしねえし、暴れるし噛み付いてくるしよお。静香には近づきもしねーし、完全にお手上げなんだよな」

 ほらこれ、と城之内がシャツをめくって逞しい二の腕を見せてくれた。そこには痛々しい歯形が残っている。うわあ痛そうだね、と素直に感想を漏らして少年に視線を戻すと、その鋭い視線が今度は遊戯に向けられていた。

「君、名前は?」
「…………」
「無駄無駄、こいつ一言も喋ろうとしねーんだよ。名前は瀬人だって」
「喋れないのかな」
「さあな」
「そう?瀬人くん」

 城之内にどいてもらって、廊下に出て瀬人の前でしゃがみ込む。覗き込んだ瞳の向こうは、どこまでも暗い虚空のようだった。全てを諦めた人間が天に向かって悪態をつくように、どんな手も絶望と認めているように見える。お前なんかに何が分かる、と声なき声が責めていた。

「分かるよ」
「……っ」
「ボクには何も分からないことだけは、分かってるよ」

 敵意を剥き出しにしていた瀬人が、戸惑うような表情を滲ませてみせる。それに優しく微笑んで立ち上がった。室内が見えるように部屋の扉を大きく開ける。

「何もないから、入っておいでよ」

 昼下がりの陽を迎え入れている大きな窓と、古い木の机と、オロシャのソファと、埃を被り始めた春先の暖炉。書斎であるのに、眠くなるばかりの部屋である。瀬人はここに来て初めて歳相応の困った表情をして、それから遊戯を睨み、鼻を鳴らして部屋に入った。

「好きなところに座って。すぐにばあやに紅茶を持たせるからさ」

 呆然としている城之内に笑顔でうちに来てもらうよ、と告げる。二、三瞬きを繰り返した城之内は、半ば不本意そうに何だアイツと呟いた。

「かわいくねえー……」
「そうかな?エゲレスで見たガラス目玉の人形みたいだよ。とってもかわいい!」
「……お前に任せようと思って間違いなかったみてえだな」

 呆れたように呟く城之内にそうだね、と同意する。広いばかりで人の居ないこの屋敷に降る春の日差しは、とても幸先の良いものに思われた。

(2007-12-14)

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