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僕の隣人を紹介します (W遊戯)



 強い日差しを反射しながら、ゆっくりと車両が滑り込んでくる。熱を持った風がぶわりと押し寄せてきて前髪を揺らした。かなり湿気のにおいを感じる。ひょっとして夕方ぐらいに激しい雨が通っていくかもしれない。
 耳障りな音を響かせてぼろな車両が停車する。ラインの入った停車位置からは随分ずれたところでドアが開いて、数歩歩いてから車両に乗り込まなければならなかった。冷房の効きすぎた車内は寒いほどだ。汗でじっとりと湿った肌を冷たい空気がひやりと撫でる。
 平日の真っ昼間、中央へ向かい合う座席はどこもがらがらだ。適当なところに腰掛けて先ほどまで居た駅をぼんやりと眺める。甲高い電子音の警笛が鳴ってドアが閉まり、ゆっくりと電車がレールを踏み始める。二両を繋ぐ連結部分がキイキイと軋んでいる音が聞こえてきた。ガタン、ガタンの一定音律。流れる景色は穏やかで静かだ。

「……ごちゃごちゃしてるな」

 部屋に入った時の『彼』の一言目だ。ボクは思わずがくりと肩を落とした。確かにそうだろうけど、そりゃないんじゃないの!ボクの不平に、『彼』は愉快そうに謝ってみせる。まだ笑いを引きずる『彼』の手をふくれっ面で引っ張って、無理やり座らせた。

「何する?」
「何がいいかな。相棒の部屋は何でもあるな」
「そうだよ。ゲームだっておもちゃだって何だってね!」
「ひっくり返ったおもちゃ箱みたいだ」
「……また部屋が汚いって話に戻るの?」
「とんでもない。褒めてるんだぜ」

 また『彼』は耐え切れずに笑い出す。その明るい表情に怒るのも馬鹿らしくなって、とりあえずこの前買ったばかりのテレビゲームを引っ張ってきた。一緒にRPGや格闘ゲームやパズルゲームに熱中する。スコアは大体どのゲームもタイ、激しい熱戦だ。

「君がボクの部屋に来るの、初めてだよね」
「そうだな」
「ボクは君の部屋に入ったことあるけど」

 お互いゲーム画面から目を逸らさずに会話をする。力が拮抗しているから、画面から目を逸らしていたらすぐに負けてしまう。

「迷宮みたいだった」
「でも整頓されてただろ?」
「……からかわないでよ」

 ドローでゲームが終わって、初めて顔を見合わせた。もう飽きたのか『彼』がゲームを終わらせてしまって、テレビは青画面になる。ゲームの効果音でうるさかった室内はしんと静かだ。

「今は?」
「今?」
「今、君の部屋はどんな感じ?」
「さあ、どうかな」

 はぐらかされた?その後どうやって追撃すればいいのか分からなくて、ごまかすようにボクは声を上げた。『彼』の服の裾を掴む。『彼』は何も言わない。

「次は――」
「決闘をしよう、相棒」
「でも……」
「決闘だ」

 ごう、と大きな音がして、うつらうつら船を漕いでいたものを、目が覚めてしまった。トンネルに入った音だったらしい。オレンジのライトがちらつく暗闇が流れていく。窓の向こうで走る闇を、ぼんやりと目で追っていた。

 ごうごう、ガタタン、ごうごう、ガタタン

 そろそろトンネルを抜ける。短いトンネルだったのだろう。前方から光の存在を感じる。

 『あいぼう』

 ごっ、とまた大きな音がしてトンネルを抜けた。勢い良く振り返った隣の座席は、ただ陽光を受け止めているだけだ。車内の埃が光を反射してちらちら光る。それでもそこに何か存在しているのではないかと疑って、しばらくは隣の座席から目を逸らさなかった。

「これで、引き分け!」
「三勝三敗か……今日は勝てると思ったんだけどな」
「ボクだって」
「じゃあ今からケリを着けるか」

 『彼』はボクの返事を待たない。自分の場のカードを集めてシャッフルを始めてしまった。だからボクもそれにならう。動きは随分のろまだったけど。

「ねえ、決勝戦の前に休憩しようよ」
「逃げるのか?」
「そうじゃなくてさ。ほら、やってないことたくさんあるよ」

 『彼』はいたずらっぽく笑ってみせた。それにめげずに追いすがる。

「まだ遊んでないゲームだっていっぱいあるし。そうだ、外に出たっていいよ」
「外?」
「そうだよ。城之内君たちと放課後ゲーセン行って、ハンバーガー食べて、それでうちに帰って皆でリーグ戦!決勝はそれからでも遅くないよ!」
「そうだな……」
「ね!春には花見して、夏には皆で海に行って、秋には運動会とか文化祭とか色々あるし……冬も、雪合戦とか……城之内くん絶対張り切るよ!」
「うん」

 『彼』は笑った。そして頷いた。でもそれが受諾の「うん」でないことは顔を見たら分かった。すごく優しげで、でも少し困った先生のような顔をしている。

「でも、いいんだ」

 城之内くんは大騒ぎするだろうし、それに本田くんは呆れて突っ込みを入れるだろうし、杏子はそんなこと気にせず準備やら何やらを進めて、獏良くんはそれを手伝うだろうか。

「……それが手に取るように分かるから、いいんだ」

 潮騒の音がずっとずっと遠くまで続いている。水平線のあたりでもくもくと山を作る積乱雲は、青空のキャンパスの中ではひどく健康的に光っている。まだ少し時期が早いからか、砂浜には幼い子供とその母親の組み合わせがいくらかと、サーファーの青年がいくらか見られるぐらいだ。

「きれいだね」

 ざん、と波が砂浜に帰る。青空を反射する海はまた青く、その海を反射する空もまた青い。青はどこから始まっているのだろう。答えは分からないが、この場所は空にきっと最も近い。

「きれい、」

 ざん、遊戯は言葉を失った。いくら空が近くても、遊戯の言葉には返事は無い。遊戯は一人なのだ。家を出るのも、駅で切符を買うのも、電車に乗るのも、砂浜を踏んで海を見るのも、ずっと一人だった。ずっと一人だったのに、それを今やっとこうやって突きつけられてやっと呆然としている。一人なのは知っていた。でも分かっていたわけじゃない。

「春には花見して、夏には皆で海に行って、秋には運動会とか文化祭とか……」

 波の音がたやすく遊戯の言葉を掻き消していく。何かに流されるようにこうやって行くはずだった場所、見せたかった場所に足を運んでは、こうやって一人を実感する気なのだろうか。それは途方も無いことだ。波の音がする。

 ねえ君はいつも、何を考えてここに居た?
 この別れを、少しは寂しいと思ってくれたのかな。

 勝者はひざまずかない、涙を見せない、今はまだその言葉だけでこの重たい空気圧を一人で背負っている。少しの間だけ、『彼』の居ない今も、『彼』に頼る弱さを許していて欲しい。君に夏の海を見せたかった、それだけはどこまでも本当なんだ。
 『彼』が格好良くて強いということも、憧れるべき決闘者であることも、優しさを持っていることも、全部全部本当だ。夏の陽光の影に見た幻なんかじゃない。

「ボクは……行くよ」

 いつかそれを、誰にでも教えてあげることができるようになるだろうか。かつて心を隣り合わせた最高の友人の自慢を、相手にうんざりされるほど語り尽くせるように。

「今度は皆と来るよ。花見も……雪合戦もね。ボクは行くよ」

 一人で振り返った。海は見えなくなるが、背中に潮騒がざんざんと追いすがる。潮のにおいは何かの味に似ている。それを思い出すと鼻の奥がつんと痛んだ。

 大好きだったことが、辛いだけにならないようになるならいい。
 大好きだったんだ、って笑顔で青空に叫べるぐらいに。

 だから今日まで、今日だけは、君の居ない部屋のドアに寄っかかることを許してね。

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