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先生と紅茶 (パラレル)



「もう!ダーリン!私の話聞いてるの!?」
「……え?」

 ほら聞いてない!責め立てられて、初めて話しかけられていたことに気づいた。厄介になっている祖父の親友、その孫にあたる少女――レベッカはその愛らしい顔を今は怒りで歪ませてしまっている。

「ほらほら、そんな顔しちゃ可愛い顔が台無しだよ」
「そっ……そんなこと言って丸め込もうって言ったって騙されないわよ」

 別に丸め込もうとしたわけでなく真実を述べたに過ぎたに違いないのだが、年頃の娘はやはり難しい。まあオジサンってだけで毛嫌いされないだけマシなのかなあ。

「そのダーリンって言うの……やめた方がいいよ。変な誤解されちゃうかもしれないし……」
「誤解も何もダーリンはダーリンなの!私のフィアンセでしょ!おじいちゃんもいいって言ってるわ!」
「いや……でもね、こんなに歳離れてるし……ボクは東洋人だし……君にはもっとふさわしい人が居ると思うからさ。余計、妙なウワサでも立っちゃ……」
「貴族じゃ歳の差のある結婚なんて珍しくないわ。それに東洋人が何?私は人種と結婚するんじゃないの。ダーリンと結婚するの!」

 言葉を失う。頭も性格もいい子なので論破する材料が見当たらないのだ。どうにか光溢れる若人の未来を正しい道へ導きたい物だが。

「そうそう、また話を逸らそうとして!最近ずーっと、四六時中その手紙を見てばっかりじゃない。しかもニヤニヤなんかして!」

 怪しいわ!美しい金髪をふわふわさせながらレベッカが遊戯の手元を覗き込んでくる。だがすぐにその可愛らしい顔はしかめられてしまった。当代一の神童と誉れ高い才女も、極東の国特有の文字は未だ習得できないと見える。

「ダーリンの国の人ね。……読めないわ」
「そう、向こうに居た時の、ボクのかわいい教え子だよ」
「女の子!?」
「ううん、とってもかわいかったけど、男の子」

 ほっと安堵のため息を吐き出すレベッカに何とも言えない気持ちになりながら苦笑した。ずっと手紙が交わせるような状況ではなかったが、十年近く経った今、本当に久々に触れる瀬人くんの気持ちだ。前から几帳面なところがあったけれど、手紙の文字には一寸たりともブレがない。堅苦しい文句が沈痛に並ぶ様が、一筋縄ではいかないあの子らしくておかしかった。

「あれ……下の方だけ……」
「ああ、ここだけ英語だね。……瀬人くんらしいや」

 思わず笑いが漏れる。一体どんな気持ちで、どんな顔して書いてくれたんだろう。そもそもどんな風に大きくなったのか。それを想像するだけで楽しい。

「……何よこれ。まるでラブレターじゃない!本当に男!?あ、ひょっとして……今度の来客の予定って……!」
「そうそうこの子。古い親友とやっと連絡が取れてね。連れて来てくれるって。きっと素敵な美男子になってるはずだから、期待しててもいいと思うよ。歳も近いし」
「もう!ダーリンのバカ!そのセトって奴も苦労すればいいんだわ!むしろ苦労させてやるわ!」

 瀬人くんは頭もいいし、どこかレベッカに似たところがあったから、仲良くなれると思ったのだが。拗ねてテラスから去って行ってしまったその後姿を気まずく見送りつつ、また手元の手紙に視線を落とす。きちんと返事は届いただろうか。届いているといいが。ボクの大事な至上の幸いは、それを受け取って何を思ってくれるだろう。堅苦しい文章から少し離れて綴られた英文を指でなぞる。

 ”Do you know where my heart is ? “

「まだか!」
「あのなあ、それ何回目の質問だと思ってんだお前は!そんな数刻でほいほい着くわきゃねーの分かってんだろ!アホか!」
「フン、貴様ごときにアホなどと呼び習わされる日が来ようとはな。運と勘だけの一発屋商人がこのオレをアホだと?世界がひっくり返るわ!」
「てっめ……てめえなあ!恩義とか敬意とか感じてみたらどーなんだよ!仮にもここまで育ててやった親代わりに向かって……!」
「親代わり?貴様を親などと思ったことなど一度も無いわ!この盆暗商人!このオレが居なければ今頃家を傾かせていたくせして!」
「コノヤロー!人の商売何だと思ってんだテメーは!もう怒った!もう堪忍袋の緒が切れました!海に突き落としてやる!」

 甲板で揉み合う大の男たちに、猛者揃いの海の男たちもオロオロと右往左往している。それはどちらかが海中に沈むまで終わることのない争いかと思われたが、鶴の一声で甲板には静寂が戻った。

「お兄ちゃん、瀬人ちゃん、静かにしなきゃ!モクバちゃんに私の着物着せちゃうよっ!」
「え、ええ!?ちょっと待てよ!着ねえよ!」
「私はいつでもぜひ着て欲しいんだけど、いっつもお兄ちゃんたちが止めるからガマンしてるんだから……!」
「当たり前だろ!静香しっかりしろ!」
「瀬人ちゃんはあんなにいっぱい着てく」
「その話はするな!一切するな!」

 じゃあ静かにね、笑顔で押し切られて、熱くなっていた瀬人たちもすっかり白けてしまった。城之内がブツブツと悪態を吐きながら退散したので、鼻を鳴らして見送ってやる。

「兄サマ……さっきの静香姉ちゃんの言ってたのって……」
「聞くな。忘れろ」
「う、うん……」

 お人好しの悪例のような城之内が引き受けた厄介ごとの中、唯一評価してやれるのがこの義理の弟の存在だ。無心に兄と呼んで慕ってくれるこの存在を、全身をかけて守ろうとする自分は『立派』だろうと言いたい、誇りたいと思う。できるだけ早く。

「もう船酔いはいいのか」
「うん!ずっと寝てたらさすがに慣れちゃったぜぃ」
「そうだな。船は慣れしかない」

 軽くモクバの頭に手のひらを乗せてやると、へへへと満面の笑みが返ってくる。先生は、いつもこんな気持ちだったのだろうか。こんな思いでいてくれたのだろうか?

「ね、兄サマ。オレたち兄サマの『先生』に会いに行くんだよね」
「ああ」
「オレのことも気に入ってくれるかなあ。楽しみだね」
「……ああ」

 十年近い時を隔てた期待もある。それと同じくらいの不安もある。すっかり変わった瀬人を見て、先生は何を言うだろう、何を思うだろうか。だが今はただ、懐にあるひどい癖字の手紙を信じることにする。

 ”I know where your heart is ! “

(2009-02-07)

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