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クラスメイト。家主、ルームメイト。チームメイト、仲間。恩人、友人、親友。どれも正しい気がするし、どれもそれだけではアレンの中の夏準をうまく表現できない気がする。これまで聴いてきたどんなジャンルのどんな曲の五線の上にも、それをぴったり現す音やリリックは無かったと思う。夏準は夏準でしかないし、夏準の音やリリックは夏準の他に代えられない。
アルタートリガー社の陰謀で大きな事件に巻き込まれることになってしまった決勝ステージ。そこから日常に下りるまでには、それ相応の時間がかかった。格段に多くの人々へ楽曲を届けられるようになった一方、以前より遥かに集まってくる耳目の中には好奇や懐疑でいたずらにつついてくるようなものも少なくはない。イベントにとにかく呼ばれたり、インタビューに答えたり、思いもしない仕事を頼まれたり。楽曲を聴いてもいない野次馬に妙なところで絡まれそうになったり、何かを憂う見知らぬ誰かに質問責めに遭ったり。
ようやく落ち着いた──というか、その変化に慣れてきて、アレンは決勝ステージで自らの心を大きくぐらつかせたいくつかの出来事をゆっくりと振り返ることができるようになった。
先に寝る、という夏準を引き留めたのを覚えている。ただ、どういう風に話を離陸させ軌道に乗せたのかはさっぱり覚えていない。
「怖かった」
次の曲のアイデア出しをしているだけだったはずなのに、気づけばアレンはそんな風にまた、夏準に弱い自分をさらけ出していた。床に座り込んでソファの座面に頭を預け、天井のライトの光と、こちらを見下ろしてくる夏準の視線とを遮って手の甲で目元を隠した。
「今も……正直、まだ少し怖い」
幻影ライブが、HIPHOPがアレンに見せたのは可能性だ。なんとなくやり過ごせていると思っていた危険が鋭い牙を具現化して襲い掛かっても尚、その向こうにこれまでに無い「届け方」を見つけた気がした。仲間として絆を重ねつつあるライバルたちもきっと同じだろう。だからこそ誰もがステージに立ち続けている。
ただ、いつまでもアレンの中で消えないのは、ごく近くにまで迫っていたもっとリアルな喪失の質感だった。触れた時の肌の冷たさ、硬さ。
ぞっとまた背筋に寒気が走り、手の甲を少しずらした。白い光が目を差す中、その明かりを背負った顔の輪郭が柔らかくぼけている。呆れたような笑みが降り注いだ。
「一から十まで言わないと分からないなんて、アーティスト失格です」
からかうような声で言って、夏準は手を伸ばしてきた。アレンの手を更にずらして目をしっかりと覗き込んで笑う。
「楽曲には刃どころか、それを操る手足すらありません。力を持っているように見えるのは聴くほうの受け取り方があるからです」
ぼうっと、振ってくる視線と声の優しさを眺めていた。その笑みを見て、夏準を表す言葉が無いことに気が付いた気がする。いつからか笑みに含まれる柔らかさが大きく変わっていて、いつの間にかそれを一身に浴びられるところにアレンは居た。
「シンプルに言えば、聴くほうに心があるから」
アレンがぼうっと聞き流していることを悟っているのかもしれない。夏準は掴んだアレンの手を軽く鼻先にぶつけてきた。うがっ、と間抜けな悲鳴が出て夏準はまた愉快そうに笑む。
「ボクにも『それ』があったことを、嫌でも思い知らされます。アナタの曲を最初に聴くと」
理解が息を切らせながら間抜けに追いついてきた。夏準はきっと、独りよがりに自分の楽曲や幻影ライブを組み上げることをアレンがまだ恐れていると思っているのだ。それで、普段は見せない心の中の深いところを少しだけ開けて見せてくれている。
「アナタが心配するべきなのは、ボクの心も動かせないようなつまらない曲を作ることだけですよ、アレン」
わざとらしく作られた皮肉っぽい表情。目に宿る優しい色とちぐはぐだ。夏準の指から手の甲を奪い返してまた目元を隠した。くす、と笑われた気配がする。
「ボクはいつでもアナタの心を抉るリリックを繰り出せるんですから」
「……ほんとだな」
だから、心配するのはそれだけじゃないだろ。
どうしてかそのアンサーが繰り出せなかった。アレンは最早自分の、自分たちの音楽を恐れない。そこに宿る音が一人のものではないことを夏準とアンが体を張って教えてくれた。ただ、だからこそ。その心が永遠に失われることが怖い。