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Lost for words; no need for words



 アレンから少し遅れて目を開けた夏準は、いつもの柔らかい笑みを二人に向けて苦笑した。アレン、アン、甘さのある声で名前をなぞられて我慢できるはずもなく。二人して床に座る夏準をホールドしたせいで三人で床に倒れ込む形になった。

「はーじゅーん~~!!」
「分かるか!? 分かってるよな、俺たちのこと!」
「分かるに決まってます。こんな情けない顔、見間違えません」
「お前……」
「誰のせいだよお……!」

 カーペットに細い髪を広げる夏準が愉快そうに目を細める。その表情の変化にほっと体の力が抜けた。床に手をつき恨めしく睨みつけても、夏準は気にした様子もなくアンの髪先を宥めるように撫でている。

 しばらくそんな調子で夏準を確かめるためだけの会話が続いていたが、ふと夏準の顔に影が落ちた。背後の気配を振り返れば、不機嫌全開の東夏が腰に手を当てて夏準を覗き込んでいる。

「ああ……お礼は結構ですよ?」
「はあ?」

 声には出さなかったが、アレンもアンも東夏と同じような顔になってしまった。この兄弟に感動の対面みたいな展開が無いことは分かっているが、この第一声はさすがに予想できない。そんな言い方無いぞ、東夏も心配して、と援護に回ろうとした頭を背後からうるさいの一言で押さえつけられた。理不尽だ。

「ここに居るということは……気に入ってもらえたようですね? ボクのプレゼント」
「何を言ってる」
「だって、知らなかったでしょう? 生体信号チップのこと」

 くす、と笑みを漏らした夏準が体を起こした。そして堪えきれないように喉を鳴らして笑い始める。空気がまた固形化してしまったような感覚がして重い。怖くて後ろを振り返れない。安堵の涙も引っ込んだアンの「あーあ」という表情が全てを物語っている。

「総帥以外はほんの一握りしか知らないトップシークレットです。後継者でさえ。自分のことを特権階級だと信じている一族の者たちが、自分の首に首輪がかかっているなんて知れば……どうなるか目に見えていますから」

 そんな『トップシークレット』を一体どうやって手に入れ、更には利用するまでに至ったのだろうか。忠成が日本に来てすぐ夏準の信号が途絶えたのだと言っていた。その頃の夏準は13歳、今の東夏よりも幼い。

「神ぶった誰かに監視されて犬みたいに生きるなんて……ボクだったら御免ですけどね。生きるのも死ぬのも、ボクの選択です。信頼に足る誰かだけに預けられればいい」

 ちらり、明らかに相手をからかう目がアレンへ向けられて少し緩んだ。その変化に感情を一刺しされたが、すぐに東夏に戻っていってしまい、溢れ出す感情をどこに持っていけば分からない。目覚めるなり猛威を振るうあまりの「らしさ」にがっくり肩を落とす。

「感動のあまり仲間を引き連れて嬉々としてボクへのお礼に乗り込んできて……さながらゲームの勇者ですね。楽しかったですか? ならボクも誕生日プレゼントをあげた甲斐がありました。今月でしたっけ?」
「12月7日です、夏準様」
「ああ、そうなんですねえ。すみません、全然違いました」
「な、何を貴様いけしゃあしゃあと……!」
「あの手のまともな自己評価ができない小物って、失敗すると誰に対しても根拠のない逆恨みを始めるんですよねえ。代わりに片づけてくれて助かりました。掃除が上手なんですねえ」

 く、く……悔しそうに喉が鳴り、歯ぎしりが低く響き、背中に寒気を走らせる威圧が部屋中に満ち、何故か忠成は嬉しそうにため息を吐き。部屋の中の混沌が来るところまで来ている。噴火の気配が近いので、アレンはそっと体をずらしアンと夏準の足元に合流した。

「絶対に、お前を屈服させ……! 恥辱の土を付けてやる……! 今に見ていろ……!!」
「ねえねえ、僕たちは~? 結構助けてあげたと思うけど……今だってさ、念のための護衛ってことで残ってあげてるんだよ?」
「あの男の情報が入ったんですから、充分では? まあ車代くらいはあちらに請求できると思います。呼んだのはあちらですし」
「燕夏準!!!」

 東夏と対峙するどころか、扉の前でスマートフォンをいじっている玲央と会話を始めたところでとうとう火山が噴火した。

「夏準だね……」
「夏準だな……」
「やっぱり全然似てないよ」
「……そうかもなあ」

 聞いているだけで静電気でも起きそうな鋭い舌戦だ。足元に転がる忠成が用意した靴だけが夏準の「消せない、消したくないもの」の痕跡だった。文字が書けると分かった時に綴られた言葉を思い返し、今だけは東夏に時間を譲ろうと思う。

「あのさ」
「ん?」
「アレン、気づいてたか分かんないけど、あの時……夏準が自分に、銃向けてた時」

 その瞬間の血が凍るような感覚が蘇ったのか、アンがぎゅっと膝を抱えて小さくなった。うん、痛いほどその感覚が分かるアレンの声も弱くなる。本当だったら絶対にもう二度とあんなこと無いようにしてくれと怒鳴ってしまいたいくらいだ。だが、あの時の夏準は何もできなくて、せめて自分の心を守ろうとしたのだと分かってしまってもいて、結局最後には何も言えない気がする。

「銃がジュニア、だった夏準に当たって。でも通り抜けてったからみんなそっちに驚いててさ。研究者がケガしちゃったし、なんか言い始めたし。逃げようとするあのオジサンを押さえないといけなかったし。みんなアレンのこと見てなかったんだよ」

 とにかく夏準を止めることに必死だったが、その後ろではあらゆる事態が同時に起こっていたらしい。日常とはまるでかけ離れた大事件に巻き込まれたという実感がそろそろ体に追いついてきた。大変だったな、どっと肩にかかる疲労感と共に苦笑する。

「まあ、大変はそうなんだけど。そっちじゃなくて……僕、二人が心配で、どうしても見てて……そのさ」

 キスする必要あった?

 珍しく歯切れの悪いフロウの最後、他の人に聞こえないように囁かれた言葉に慌てる。必死だったせいですっかり頭から飛んでいたが、確かに説明なしだと突飛な行動だろう。見ていたのがアンだけで良かった。できれば夏準には伝わらないでほしい。

「いや、あの時後ろから声は聞こえてて。咄嗟に、俺の中に夏準のトラウマっていうか、心があるのかもしれないって……考えてたことと繋がって。だったら夏準に俺に触らせないとダメかなって思っ」
「だから。それってアレンのメタルじゃだめだったの、ってこと」

 大口を開けたが声が出ない。完全に言葉を失っている。顔や耳に熱が集まっているのが分かって逃げるように膝に顔を伏せた。あは……それ以上の追及を放棄して苦笑で終わらせてくれるアンの優しさが今は痛い。

「いい加減腹括れば?」
「うん、それは……もう決めてる」

 けれど、それとこれとは話は別なのだ。すっかりそれしかないと信じ込んでいた根本に自分の下心を見た気がして、アレンはただただ血の昇った頭を抱えるほかなかった。

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