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3

 ヘッズの歓声が会場を渦巻き、熱になって肌に触れる。バイブスが上がっているだけじゃない、伝えたい言葉や感情が直接空気に満ちている感覚だ。溶け合うような一体感と、全てを出し切って空になった達成感。ステージが暗転した瞬間、緊張やら感情の昂ぶりやらとにかくそんなようなものが一気に解けたのか笑いが出る。肩を揺らしていると、アンに背中からぶつかられた。一緒に体を揺らして笑う。夏準も呆れたように眉を下げて笑っている。毎回、過去を超えられなかったと思ったことは一度だってない。間違いなくこれまでで最高の瞬間だった。

 興奮冷めやらぬ中、ライブの音や光の残像がいつまでも頭にちらついた。控室でも絶えず生まれる新たな言葉やメロディーにそのまま沈み込みたくなる。が、夏準とアンに両脇をしっかり固められてしまった。情けない声を上げながら引き擦られるように会場を後にする。抵抗できないのは、歌を少しでも遠く強く届けるために惜しみなく振りかざした幻影に大きな代償があることが分かりきっていたからだ。

 機材から無理やりコードが引き抜かれた時のノイズ。あれに似た音が神経を引っ掻く。

 瞼を開いても閉じても火が踊る。手に触れるものをとりあえず引き寄せて頭を覆うが、自分がどこに居るのか余計に分からなくなるだけだった。どこもかしこも炎に巻かれているのに、ぱちぱち、火が爆ぜる音は静かだ。

 違う、違う。今俺は、ライブを終えたところだ。最高のライブで、今も耳に夏準とアンの音が、歓声が残ってる。

 低い唸り声のような音を立てて火がうねる。ハッと大きく息を吸うが、吐き出し方が分からない。苦しさに体が揺れる。ザッとまた不快なノイズが走り、耳の中に残る音を乱暴に剝ぎ取ろうとしている。いやだ、荒い呼吸の隙間からなんとか声を捻りだして耳を塞いだが、覆った手の中で声が反響した。

 ──お前は、間違っている

 うわあ、掻き消したくて上げた声が悲鳴になって耳をまた不快に引っ掻く。お前は間違っている。そんなくだらない、低俗なものを聞いて。

 違う、違う違う違う。俺は、今、もうあの部屋に居ないんだ。誰ももう俺を否定できない。俺は、僕は、もう好きな音を好きなやつらと好きなように選べるんです!

 ──そんな音楽は認めない。正しくない。正しくないお前にも価値などない。その音は違う。その表現は違う。その解釈は違う。その奏法は違う。その運指は違う。何もかもが間違っている。

 ばちばち、ばちばち、火が爆ぜる音が激しくなった。火の中で地道に集めたレコードが踊っている。初めて手にした一枚も、苦労して掘り出した一枚も。ひくり、ひくり、喉が引きつって息が苦しい。時折呼吸に失敗してひどく咳き込む。胃の中の物がせり上がってきそうだ。頬が冷たく湿っている。

 やがてその内、炎の中で捩れているのはアレン自身になった。髪の先や指先から浸食されるようにじわじわと焦げ付き黒くなっていく。焼け上がって残るのは容れ物だけだ。両親が正しいと思う音楽が、少しの隙間もなく丁寧に詰められる素晴らしい容れ物。

 体の力が抜けて、ずるりと両手が耳元から落ちた。冷たく硬い感触でどうやら床の上に居ることを悟る。どれ程の時間が経ったのかまったく分からない。ひどく長く感じた。未だ目端に炎がちらついているが、声は聞こえなくなっている。起き上がるどころか指を動かす力すら燃え尽きてそのまま目を閉ざす。部屋は静かだった。音も全て暖炉の中で白い灰に変わったのだろう。

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