※ 「LIVE」より後、Shuffle Team Show前後
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圧倒的な資本。それに紐づく人脈が指揮棒を降る腕を軽くし、多彩な分野への投資が更なる富と影響力を生む。燕財閥にとって、世の中の大抵のことは盤の外ではなく内のことだ。上手く打てば地が広がり、下手を打てば多少小さくなる。ただそれだけ。
だが、もちろん万能ではない。限りなく万能に近くとも、コントロールできない外部要因というものも当然存在する。その一つが今も陰気な曇天から絶え間なく零れ落ち、秋の夜の空気を冷たく湿らせていた。もう一週間は晴れ間を見ていない気がする。駐車場から付き纏う不快な湿り気を振り払うよう足早にエレベーターから抜け出し、さっさと部屋に滑り込んだ。センサーに反応した玄関のライトがパッと灯る音さえ耳が拾うくらい静かだ。
「戻り……」
言葉を続けるのが馬鹿馬鹿しくなって止めた。開けたリビングには音も光も無い。サー、とホワイトノイズに似た雨音が窓の向こうから漏れているだけだ。いつもならアレンの私物が雑に広げられたままになっていて小言の十や二十出てくるところだが、部屋は朝出た時の姿のままスッキリ整頓されている。結構なことだ。
日本へ来てすぐの頃の感覚がいやにリアルに蘇り、背中をぞわりと不躾に撫でる。この部屋には誰も入れないと決めていた。人なんて潮と同じ。もう二度と満ち引きで乱されたくはない。何にも追われない、求められない生活は平淡で穏やかですらあった。夏準の中で粉々に壊れた何かを歪に継ぎ直すことに腐心し、なかなか進まない時計の針を無理やり12時に持っていくだけの日々。
「시시해」
ため息ひとつ吐くことで無理やり思考を切り替えた。リビングではなく浴室に向かうことにする。食欲がさほど湧かなかったし、アレンもアンもいつ帰ってくるのか分からないのだ。夏準が気にする義理も無い。
チームを越える楽曲制作はちょっとしたお遊びから始まったものに過ぎなかった。しかし生まれた曲たちにアレンは大きく揺さぶられたらしい。そのまま埋もれさせたくないとイベント開催の口説き落としのため各方面へ駆けずり回っているようだ。最初の内は夏準やアンも付き合っていたが、ここのところすっかり生活のリズムが合わなくなっている。アンは元々夜はアルバイトに出ているし、夏準はParadox liveが終わってからモデルの仕事が格段に増えていた。たとえ優勝チームでなくても、あのライブに参加したチームの注目度は他のイベントの比にならない。BAEの知名度に繋がると考え、できるだけ引き受けるようにしている。次に見据えるライブが決まっているわけではなかったが、今度こそ王座を奪えるように爪を研いでいたかった。
パタリ、リビングから廊下に出ると雨音が遮断されて少しほっとした。別に雨に何も思うことはないが、こうも長く続くと煩わしい。朝も夜も窓から入る光はひずんでいる。街のどんな音もホワイトノイズの中に吸収されて消えていく。暗く、静かで、灰色の日の連続。
きっかけは多分そういう、反吐が出るほどつまらない、取るに足らない──ごくごく「凡人」的なことだったのだと思う。残念ながら。