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Fill △ up! (BAE)



 思えばアレンはいつも、夏準やアンから引き出されるリリックを、表現を、宝物のように丁寧に扱う。三人の音が重なって楽曲が完成した時が一番楽しそうだ。ひどい隈をものともせず、活き活きとトラックの解説を始める目。それと比べて、光の入らない今朝のぼんやりした目。

「夏準さん?」

 ハッと我に返り、そこで夏準は意識が目の前の相手から逸れていたことに気が付いた。プロにあるまじき仕事ぶりだろう。心から謝罪を述べると、雑誌編集者は慌てて両手を振った。無理なスケジュールを捻じ込んだことを逆に謝られてしまう。どんな事情があれ仕事を引き受けたのは夏準であり、それならば期待以上の結果を残すべきだ。相手に責は無い。

 少しParadox liveのことも聞けますか。巻頭に付く短いインタビューの予定に無かった質問だが、当然聞かれることは想定していた。笑顔で了承すれば、編集者は心から安堵した表情を浮かべる。上の方から何か言われているのかもしれない。Paradox liveはそれだけの注目を世間から集めている。

 ステージを終えての感想、ファンへの感謝。勝ちへの自信と楽曲への想い。どれも意外な質問ではない。取り繕わず、しかしファンの期待を裏切らない言葉を連ねていく。

 ──では、BAEの強い絆の秘密は何でしょうか?

 すらすら繋がっていたフロウが途切れた。別に意外な質問の部類ではない。「チームの結束について」、なんてありふれている。だが、改めて聞かれるとなかなか言葉にするのが難しいことに気が付いた。BAEなら、と何故思えるのか。もう疑問にも思わないくらい体に染みついている。共同生活ですかね、などと口では答えつつ、頭の中では幼い自分が違う答えを探してみっともなく彷徨っている気がする。

 一度すっかり破壊されて忘れてしまった「信じ方」を教えられている、多分。言葉に。笑みに。毎日の何気ない瞬間に。リリックに。トラックに。重なって響き合う音に。丁寧に根気強く、繰り返して。夏準にとってHIPHOPは光。闇の中で行くべき方向を知る道標。そしてその光をうっかり取りこぼすような気安さでもたらしたのは誰かと言えば、やっぱりアレンなのだろう。

 控室に戻ってすぐ荷物をまとめた。無性にアレンとアンの顔を確かめたくなった──いや、ただ、元々の予定通り打ち上げをやるなら早めに仕込みを始めた方がいいと思っただけだ。そろそろアレンも回復してきただろうか。スマホに手を伸ばしたところでドアがノックされた。返事をすると、華やかな顔が一気に四つも部屋に雪崩れ込んできた。

「し、失礼します。昨日のステージ、お疲れさまでした」

 記憶している限りでは歳の差はほぼ無いはずだったが、VISTYのリーダーたる憧吾の背筋はぴしりと伸び表情は硬い。他の三人も憧吾ほど丁重ではないにせよどこかぎこちない。業界がそうさせるのか、マス向けに露出の多い人間ほど礼儀正しいことが多い気がする。クス、と笑みが自然と鼻先から洩れた。

「これは……思いもしない相手でした。敵情視察ですか? 잘 왔어요、歓迎しますよ?」
「てっ、敵情視察なんて、そんな……直接当たってませんし。僕たちはただ、昨日のステージが素晴らしくて」

 葵が先ほどの編集者とよく似た様相で恐縮し、慌てて両手を上げている。捉えたな、と気づき気分が良くなる。笑顔を少し傾けた。

「おや、いいんですか? そんなこと言って。まるで戦う前から負けを認めているみたいですね?」

 ぐ、と言葉に詰まるその顔に気分が上向く。元より注目を集めることなんて日常だ。誰がどう思ってこようが興味は無い。だが、ステージ上で闘う相手なら話は変わる。尻尾を巻かれたままではつまらない。

「そんなことない!」

 大声を上げたのは意外にも一番可愛らしい顔立ちをしている甘太郎だ。大きな目を懸命に吊り上げて前に出る。

「絶対に、ステラに見せてあげるんだ。今度こそ勝って……決勝の、ステージを」

 彼はVISTYのトラックメイカーだと聞いている。アレンと同じく、仲間の言葉をどれだけ遠く、強く届けられるかに自負があるだろう。その目の光の強さが好ましく、どうしても今朝のアレンの力尽きた姿を思い返してしまった。しかしVISTYの面々はそんなこと知る由もない。労わるように甘太郎の肩に手を置いたのは憧吾と斗真だ。

「甘太郎の言う通りです。俺たちはみんなが……俺たちが見せたいものを、本物にしてみせる」
「へえ? そうですか。まあ、ボクたちは誰が相手でも構いませんけど?」
「うう……」
「あはは、夏準さん、相変わらず最強っスね~」

 斗真が愉快そうに笑う。一度撮影が一緒になっているせいか、他の面々よりは親しみが見て取れる。夏準の言葉に煽られ不要な気後れも消えているようだ。

 正直に言うと、Road to Legend以前から撮影で見かけてはいたものの、BAEに立ちはだかる対象として見てはいなかった。ただ、控室の前を通った時に、たまたま顔を突き合わせて真剣に話し込んでいる姿を見かけたことがある。一部のファンからは不評な無茶な企画。勇気を出して声をかけたもののすげなく断られた暗い空気。それでも、自分たちに何ができるかを諦めた素振りは見えなかった。だからあの時、声をかけやすくなるように、わざとらしく部屋を間違ってみせたのだ。

「またお会いできるのを楽しみにしておきますね?」

 力強い笑みに満足し話を切り上げようとしてふと、手元のスマホにいくつか通知があることに気づいた。アンからだ。開いてみて、その内容に思わず顔をしかめる。

「뭐?」
「どしたっスか?」
「アンが……いえ、個人的なことです」
「アン様が!?」

 らしくなく動揺してそのまま事情を打ち明けそうになってしまった。そんな夏準を葵が前のめりに覗き込んでくる。すぐに気まずそうに後ずさっていったが、アンの熱烈なファンであることは知っている。というか、一緒になった撮影現場で見ている。さすがにこのまま解散では尾を引くだろう。

「アンがどう、というわけではないんですが。アレンが今本調子ではないんです」

 気を抜いて口走った自分の非を素直に認め、簡単に事情を説明した。昨晩のステージを見ていたなら、どういう状況か察するのは難しくないだろう。四人ともなんともいえない表情になる。しかしすぐに甘太郎の表情が変わった。

「あ、でもスザクなら……さっき」

 何かを思い出したらしく、首から下げているスマホを手に取ってスライドしている。何故だか分からないが身に覚えのない既視感を強く覚える。

「嫌なんだけど、こういうのどうしても回ってきちゃうんだよね……」

 おずおずと差し出されたのは誰とも知れない個人のSNSアカウントに投稿された写真のようだ。映っているのは1Nm8の御山京。参加チームの簡単な事情は事前に調査している。「嫌なんだけど」はここにかかっているのだろう。そこに並ぶイツキ、ロクタ。そしてロクタに引っ張られる見慣れた顔のだらしない部屋着の男。

「リードでも要りますかねえ……? どう思いますか?」

 ただ純粋に意見を求めただけだったのだが。先ほどまでの良い温度のバイブスはどこへやら、正面の四つの顔は引きつって青ざめている。

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