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幸福の匙加減 (パラレル)



 3歳だった楓は背が伸び、随分口達者になり、学校に通い、スケートを始めた。あれから4年も経ったのだ。その劇的な変化を見ていると随分長い時が経ったように思えるのに、それを眺めているキースや虎徹は少しも同じところから動けないでいる。

 せめて一歩、いや半歩だけでも進みたいともがいていた。悲しみを乗り越えた風に笑ってみせる虎徹を見ているのが辛かった。この力を早く制御して、虎徹を安心させたい。そして、今立っているこの場所が行き止まりでないことを信じたかった。それを虎徹に教えたい。

 なのに、どうしてだろう。

 ふと、昔よく聞いた教会の鐘の重い音を聞いた気がして、浅い眠りから目覚めた。窓際の椅子に掛けたまま眠ってしまったらしい。今は何時くらいなのだろう、この部屋には時計が無かった。方角が悪いのか格子の付いた窓からは陽光があまり入らない。

 ――コンコン

 キースを眠りから引きずり上げたのは鐘の音とは程遠いノック音だったようだ。内側に鍵の無いこの部屋で、そのノックにどんな意味があるかはよく分からない。この施設にこんな部屋があるだなんて知らなかった。ひょっとすると、最近の改修工事の折に作られたものかもしれない。

「失礼するよ」

 『オーナー』だ。確か名前はマーベリックだっただろうか。数ヶ月前に新しくこの施設を運営することになったオーナーは、多忙らしく施設にあまり顔を出さない。前オーナーのネイサンは多忙の中でもよく顔を見たし、キースのこともよく気にかけてくれた。そのギャップのせいか名前すらうろ覚えだ。渋い顔のオーナーを正面から見ることもできず、何とか搾り出した謝罪は自分でも驚くほど力の無い声だった。その空々しさにますます苦しくなって口元に両手を当てて項垂れた。

 また能力が暴走してしまった。それも、大きな力だった。中庭の木々やベンチ、また施設の窓ガラスなどが多数倒れたり壊れたりした。怪我人は出なかったが、もし誰かを傷つけていたらと思うとぞっとする。虎徹は懸命に庇ってくれたが、言い渡された謹慎に進んで従った。この部屋に入って三日になる。食事以外は人と接していない。

「NEXTがこの世に現れて、未だ数十年だ。NEXTの立場はまだまだ危うい」

 オーナーはキースのか細い謝罪など聞こえていないかのように言葉を発した。部屋の中をゆっくりと進み、窓際まで歩み寄る。

「世間の人びとはNEXTと、NEXTでない者の間に線を引こうとする。何故だか分かるかな」

 鍵のかかった一人の静かな部屋は、嫌でも初めて能力が発現した時のことを思い出させた。耳の内でごうごうと渦巻く悲鳴や怒号を分け入るように、オーナーがキースを覗き込んでくる。

「彼らは未知の、そして強大な力が闇雲に振り回されることを恐れている。だからこそ、我々はこの力が理不尽なものでなく、人々の助けになる優れたものなのだと証明しなければならない。……しかし、君にはそれができない」

 オーナーの瞳は暗がりで覗き込む鏡のようなグレーだ。そこに映る自分から思わず目を逸らそうとするが、オーナーはそれを許さなかった。腕を掴まれる。

「君はここに居ても仕方が無い。出て行きなさい」
「それは、」

 この三日は虎徹や楓とも会えていない。共に暮らした五年間でそれは初めてのことだった。もしかすると、こんな自分はもう見たくもないのかもしれない。惜しみなく与えられたものを一つも返せないキースだ。それも当然のことのように思える。

「君は、怪物と同じだよ」

 オーナーは自分の茶葉がキースにきちんと浸透したかを確かめているようだった。随分と長い沈黙を経て、掴まれた腕が解放される。

「……大きすぎる力を持て余し、振りかざし、傷つく人が居てもその腕を振り上げ続ける。NEXTを恐れる人々から見れば、君はただの怪物だ。このままではね」

 決して声を荒げることはしない。表情も言葉もむしろ穏やかに感じられる。それは発された言葉が冗談でも罵倒でも何でもなく、事実だからだ。自分でも本当は分かっていた気がする。慈悲深い主がお与えくださった、大好きな人から羨まれる、大切な誰かを守れる力を使いこなすことができないでいる。ヒーローにだなんてなれるわけがなかった。

「こんな部屋で長い時を過ごしたくはないだろう。私はNEXTを支援する立場だ。これでも譲歩したつもりなんだよ」

 施設の外で能力を発動させないと誓約すること、施設に登録は残るが能力のトレーニングは行えないこと、プライバシーに多少の不自由があることをオーナーは淡々と説明する。しかしそのほとんどは頭に入って来なかった。ただここに、自分の居場所が無いことを呆然と認識する。キースは誰かのためになり得る力を持っているのに。本来はヒーローのように虎徹や楓を笑顔にすることができる力なのに。

 私にはそれができない。ただの怪物だ。

 ならば、どうしてこの力を神より授かったのだろう。一体何のためにここに居るんだ。

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