文字数: 59,898

幸福の匙加減 (パラレル)



「……また、派手にやっちゃったのね」

 ベッドの上で呆れたように笑う友恵は、肩で吊ったキースの右腕を痛ましげに見つめている。椅子に座るキースがばつ悪く顔を伏せると、気遣うような手ががしがしと金髪を掻き撫ぜた。ちらりと上げた目の先に虎徹の笑顔が待ち構えている。

「友恵ちゃん、コイツ呑気そうに見えて結構マジメだからあんまイジメないでやってよお」
「やってよー!」

 キースの膝の上で行儀よく座っていた楓が父親の口真似をする。2歳になったばかりのたどたどしい口ぶりに思わず笑ってしまったのは親ばかな両親だけでは無かった。思わず破顔するキースに友恵は目を合わせた。

「ごめんね。ただ心配なだけだから」

 友恵にNEXT研究施設と虎徹を紹介してもらい、あれよと言う間に楓のベビーシッターという名目で居候することになってから一年が経とうとしている。その間に最も変わったのは友恵で、何も変わらないのはキースだ。どちらもあまり良いことではない。友恵は仕事を辞め、病院のベッドからほとんど動けなくなり、キースはその間相変わらず施設で何かしら騒動を起こす。細くなった友恵の体に心配という重荷を預けてしまった心苦しさを振り払いたくて顔を上げた。

「だけど、聞いてほしい!感覚が掴めて来たような……もう少しで、うまく操れそうな気がするんだ!」
「今日も惜しかったもんなー。風を集めようとしたら、体が浮いちゃって落っこっちゃったんだけどな」
「悔しいよ、実に悔しい……!」

 少しずつでも進歩はしているのだ。風を暴走させるだけの『人間ハリケーン』は卒業できた、と思っている。ただ一日でも早く虎徹や友恵を安心させようと訓練に励むほど、風は空回ってキースを突き放した。

「きーす、いたい?」
「これぐらい平気だよ、カエデ君!私はヒーローだ!」
「ひーろー!かえで、ひーろーだいすき!」
「おいおい楓ぇ、一番はパパだろお?」

 でも諦めないと決めていた。誰かのヒーローになるためにその力があるのだと教えてくれた友恵のためにも、なかなか思うように力を操れないキースに、時には危険も顧みず根気よく付き合ってくれる虎徹のためにも。その二人の愛の結晶が父親の反応を面白がってキースにぎゅうぎゅう抱きついてくる。微笑ましい。が、骨にひびの入った左腕は少し痛い。

「楓、おいで」
「うん!」

 そんなキースを見かねたのだろう。友恵が細い腕を差し出す。母親との触れ合いに飢えている楓は飛びつく勢いだ。少しぐらつく友恵の肩を虎徹が優しく支える。楓の背を撫でながら、友恵は虎徹に笑みを送る。虎徹が照れたように顔を逸らす。この一連の流れを眺めているのがキースは好きだった。胸を詰める幸せの裏の何かには、今は気づかないままでいたいと思っていた。

「そうだ、体が浮いちゃったってことは……うまく操れば空も飛べるんじゃねえの?」
「空を……」

 空を飛ぶ、あまりに現実味のない虎徹の言葉をぼんやり噛み締めた。風を集めようとして体が浮き上がった時、足裏からひやりと這い登る恐怖しか感じなかった。無意識に右手が左腕を撫でる。

「本当にキースの力は夢みたいね」
「風を無制限に操るなんて、うまくいけばなんだってできちゃうよな」
「だが、私はその力を……」
「その力できっとたくさんの人が幸せになる日が、きっと来るから」

 初めて出会った時のように友恵が無邪気に微笑む。今でも、それが近いうちに失われるものだったとはとても思えない。一匙の行方をキースに示してくれたその人は、それを受け取ることなくこの世界から消えてしまった。キースが誰かのヒーローで、そのためにこの力があるのなら、まずはこの3人の幸福を守りたい、そう思っていたのに。

「そん時はオレたちも空中散歩に連れてってもらうか。な、友恵」
「かえでもー!」
「うん!コテツ君もトモエ君もカエデ君もみーんな!私がスカイクルーズにご案内だ!そしてご招待だ!」

 今でも彼女のために強く祈っているけれど、神はこの祈りを聞き届けてくださっているのだろうか。

-+=

ご不便をおかけしますが、コピー保護を行っています。