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幸福の匙加減 (パラレル)



 最近、あの夢を見ない。慌しい毎日のせいなのだろうか。

 結論だけ言えば、奇跡的に死人は出なかった。キースは制御不全能力者として研究所へ登録があり、バーナビーや楓の証言もあって、なんとか正当防衛が認められた。もちろん過剰防衛もいいところだが、NEXTへの目も考慮され、表向きの報道は異常自然現象ということになった。本人から直接聞いたわけではないが、NEXTを支援する立場であるマーベリックが尽力したのだと思う。

 これが良いことなのか悪いことなのか、バーナビーには判断できない。

 確実に幸いと言えるのは、バーナビーが必死に守り抜いた楓が無傷で済んだことだ。バーナビー自身も軽症を負っただけで済んだ。キースの力が暴走した時は能力を発動させていたため、そのほとんどは風が止んだ時に落下してきた物による。その弊害も微々たるもので、口を動かすたび頬に貼られたバンドエイドに違和感を覚える程度だ。

「気になる?」
「ええ、少し」
「痛い?」
「いえ」

 この会話ももう何度繰り返されたか分からなかったが、咎めはしない。あらゆる不安に苛まれている少女の心を少しでも落ち着けるためには、恐らく必要な作業なのだろう。ダイニングテーブルに向かい合って座った楓は、バーナビーを上目で伺いながら食事を続ける。

「お父さん、遅いね」
「……そうですね」

 キースは例の事件以降、NEXT研究施設に拘留という形になった。警察行きを阻止したのも、この家に戻れるよう現在進行形で尽力しているのも虎徹だ。そのためここ数日ほとんど家に戻っていない。楓はともかく、バーナビーにさえできることは何も無かった。お前はただ家にいればいいから、とだけ言われて、本当にその通りにしかできないでいる。何年経っても、バーナビーには無力という言葉に勝てる日が来ない。

「ヘンだな」

 ハッとしたのは、考え込んでいるところに楓の声がやけに大きく響いて聞こえたからだ。この家はバーナビーと楓だけだとひどく広く静かに感じる。だからこそ楓の声は、その揺れまでもが克明に部屋に浮き上がっていた。

「キースが帰ってくるまでは、お父さんの帰りが遅いとこうやって二人でごはん食べてたのに……。バニーさんが来る前は一人の日だってあったのにね」

 目元を乱暴に拭う仕草を止めた方がいいのか、気づかないでいる方がいいのか、バーナビーには判断できなかった。すぐ戻ってきますよとそれだけ呟いて、逃げるように目線を落とし手元を見つめる。楓や虎徹という存在は、バーナビーにとって時々扱いにくい。バーナビーの中の、今までは存在しない、必要ないと思っていた領域に気づけば立っているから、どうすれば正解なのかが分からなかった。

「キースが出てった時は、もう帰ってきてくれないかと思ったの」

 キースがこの家を出たのは、バーナビーが虎徹に強引に引き取られる一年ほど前だと聞いている。それ以外の詳しい経緯は知らない。だがリビングのコルクボードに貼られた写真を見て、顔だけは知っていた。やたらと明るい笑顔は、バーナビーとは違ってこの家によく似合いのものなんだろう、それだけは認識していたように思う。

「なんか様子がおかしくて……帰ってきたと思ったら過労だって言うし……元気になったと思ったらまた顔色悪くって……」

 なにかあったのかな、それは答えを求めた呟きではなかった。加えて、楓が知らないのなら、バーナビーはそれ以上に知りようのない話だ。リビングに沈黙が降りる。機械的に食器と口を動かしながら、キースのことを考えた。キースは結局、何故眠れないかについて予想すら立てようとはしなかった。ただバーナビーに感謝し、楽しげに笑っていただけだ。それはひょっとして重大な見落としなのだろうか――バーナビーは首を振って考えを振り切った。

「きっと、大丈夫です。あの人なら」

 楓と目を合わせた。なるべく説得力が増すように。それは楓のためというよりも、むしろ自分に言い聞かせているのかもしれない。あの暴風の中でキースはバーナビーを見て、ひどく顔を歪めた。

「能天気でどこかズレてるから、少し迷走しているだけでしょう。なんてことないですよ」
「うん……ありがとう。バニーさんが居てくれて良かった……」

 じわ、とまたも揺れそうな瞳に困惑していると、丁度良いタイミングでコール音が静寂に割り込んだ。大げさに体を跳ねさせた楓がそれを隠すように椅子から立ち上がる。私が出るねと電話に飛びついた。

「もしも……お父さん!」
『楓ぇ、いい子にしてるかなー?パパだよぉー!』
「もう!ふざけないで!どうしたの?」
『今日はこっちに泊まることになっちゃいそうなんだ……ごめんなあ……パパ居ないと寂しいだろ?』
「キースは!?キースがどうかしたの!?」
『え、スルー?』

 声だけだというのに、やはり虎徹が居るだけでこの部屋の雰囲気は随分変わる。どこかほっとした気持ちでバーナビーも楓に歩み寄った。それはやはり楓と同じことをバーナビーも気にしているからだ。虎徹は、画面いっぱいに映っているだろう二人の顔をじっくり眺めて、小さく笑った。

『あいつなら大丈夫』
「そっか……」
『うん』

 それ以上言葉が無いということは進展が無かったということか。楓にもすぐにそれが分かったらしく、目に見えて落ち込んでいる。気まずげに頬を掻いた虎徹は、覗き込むように画面に近づいた。

『楓、明日学校終わって何かあるか?バニーも』
「無いよ!バニーさんは?」
「いえ、特には」
『じゃあ、ちょっと会いに来てやってくれ』
「いいの!?」
『お前らの顔見たら嫌でも元気出るだろ』

 楓が画面に身を乗り出している。その勢いに虎徹が浮かべるのは苦笑だ。楓の気分は上向いたようだが、バーナビーは逆に一抹の不安を感じていた。具体的に何かが分かったわけではない。ただ虎徹の表情や言動に安心することができないでいた。

 学校で待っていた楓と合流し、二人でゴールドステージまで上る。途中、楓が何かを持って行きたいと言うので花屋に寄った。病人や怪我人というわけでもないので少し迷ったが他に思いつかなかった。暖色のガーベラやダリアが楓の歩みに合わせて揺れる。

「ここ……こういうところだったんだ……」

 どこか病院を髣髴とさせる建物の長い廊下を進む。楓と違って何度も足を運んだことのあるバーナビーだが、今日の道のりはいつもより遠い。それは心理的なものではなく、目指す部屋がこの広い施設の最奥にあるからだった。ひと気の少ない廊下には、楓の不安が滲み出て足音を大きく響かせている。無言のバーナビーたちのことを気にも留めないのは窓から入る午後の日差しだけだ。廊下の突き当たりにあるのが教えられた部屋だった。楓が戸を叩いて鍵穴のあるノブを引く。

「ダメだ!」

 窓が開いていたのか、ドアを開けた瞬間に風が流れた。それに乗せられた鋭い声音に楓の体がびくりと震える。部屋の中は存外広いが、方角の関係で今は窓から光が入らず少し暗い。ベッドに座っていたキースの頭に隣に立つ虎徹の拳が下ろされる。即座に顔が伏せられてしまい、どんな表情で先ほどの切羽詰った声を出したのか見えなかった。

「こら」
「あ……すまない、今は平気だ。でも危険かもしれない。あまり近づかない方がいい」

 ゆっくりと上げられた顔は、弱った風ではあったが見慣れた笑顔だ。キースの言葉など聞こえていない様子で楓はキースに駆け寄った。花束ごと首元にぎゅっと抱きついている。

「キース!」

 内側に鍵の無いドアから離れないでいたバーナビーには、目を丸めて体を緊張させるキースと、どこかほっとしたように脱力する虎徹のどちらも目にすることができた。そのまま動けずにいる。開いた窓にはカーテンがかかっているが、風でふわりと浮いた時格子がちらついた。

「ありがとう……、」

 笑いかけるようで、泣き出しそうな、あいまいな表情でキースは楓をそっと抱き返す。

「そして、ありがとう。怖い思いをさせてしまったね。本当にすまない」
「ううん……キースは助けてくれたんだって、ちゃんと分かってるから」
「却って危険な目に遭わせてしまったけどね」

 楓は一度腕にぐっと力を込めてキースから離れ、手の中の花束を押し付けた。それを微笑で受け取ったキースには、先ほどの何とも言えない表情はもう見えない。一歩だけドアから離れると、キースの視線が敏感に反応した。バーナビーを捉え咄嗟に手が伸びる。だがバーナビーの頬はその手の届く距離に無かった。

「怪我……したのかい」
「はい、ガラスで」

 言ってしまってからしまったと思い、もう数歩近づく。キースの手を掴んで押し退け、顔を顰めた。

「すぐに治ります。これぐらい、なんともない」

 キースはまたあいまいな表情をして見せる。だがそれも一瞬で、本当にすまないともう一度謝った。別に謝ってほしかったわけではない。バーナビーは本当のことを言っただけだ。憮然としていると、いつものように虎徹に頭をぐしゃぐしゃ撫でられる。

「キース、いつ帰ってくる?」
「いや、私は……」
「来週には帰れると思うぞ」
「ほんと!?」
「ああ。な、キース」
「……ああ」

 心底安心したらしく、楓は備え付けのソファに座り込んだ。急に口数が増えて学校の話を始める。キースはそれをニコニコと笑顔で聞いていた。こうしていれば、まるで家と変わりがない様子だ。一体何を言いかけて、何を言い淀んだのだろう。

「そう言えばバニーさんも何か持っていくって言ってたよね?」
「本です。退屈してるだろうと思ったから……」

 バッグから例の時代小説を取り出した。しおりの挟んである巻から5冊。キースの顔色が明るくなったので、伸ばされた手から取り上げるように本を持ち上げた。

「いいですか、絶対にこれで夜更かししないこと!これは取引ですから。僕の言うことが聞けなければ続巻は持って来ません」
「えっ」
「帰って読めばいいだとか勘違いしないでくださいよ!無理したら燃やします。最終巻まで残らず」
「そんな……ひどいよバーナビー君……。本に罪はない……」
「貴方が夜更かししなければいいだけの話です」
「っだ、ちょっとそれ俺の本なんだけど!?」

 楓がくすくす笑うのに釣られて、情けない顔だったキースも笑っている。薄暗い部屋の中ではその顔色の良し悪しはよく分からない。笑顔のイメージが強いせいで不調が読み取り辛い人なのだと思う。しかしこの状況でよく眠れていると思うほど楽観主義者でもない。はあ、わざとらしく大きく息を吐き出した。言葉にできない違和感も一緒に吐き出したいと思った。

「せっかく虎徹さん、それから貴方というイレギュラーの塊にも慣れてきたのに、また日々のペースが狂うのが嫌なんです、僕は」
「なーんでバニーちゃんは寂しいから帰ってきてーって言えないかねー」
「違います!なんでそうなるんですか!」

 コンコン、部屋の戸が叩かれた。入手した資料を読んでいたノートパソコンを伏せ、どうぞと声をかける。久々に日付を越す前に家に帰ってきた虎徹だ。いつもの調子で楓にちょっかいをかけていたから、今日の食卓は随分騒がしかった。

「虎徹さん」
「今、いいか?」

 バーナビーの返事などロクに聞いていない様子で、虎徹はバーナビーのベッドに腰を下ろす。机に座ったままバーナビーは安物のオフィスチェアを回した。この家の家具のほとんどは他所からのもらい物だ。だが不思議と、居心地の悪さは感じない。

「ありがとな」

 一瞬、何に感謝されたのか分からなかった。表情に出ていたのだろう、虎徹は苦笑して言葉を重ねた。今日、楓と一緒に来てくれてありがとな。

「別に……感謝されるようなことだとは思いません。特に貴方には」

 キースのことを心配していた楓にとってはむしろ安心に繋がったようだし、バーナビーも強制されたから足を運んだわけではない。むしろ虎徹の方が感謝されるに足ることをしているのではないだろうか。昼の言葉通りなら、キースは来週にはこの家に戻ってくる。本来ならそれはひどく難しいことなのではないだろうか。

「俺は何もしてないよ。法律に詳しい知り合いに頼りっぱなしだったし、マーベリックさん……も色々助けてくれたしな」

 虎徹が黙り込む。デスクのライトの浩々とした光がその横顔だけを照らしている。バーナビーは戸惑った。ここで話は終わりではないのだろうが、虎徹が何を言いたいのかうまく掴めない。虎徹さん、と声をかける。虎徹の目は少し揺れているように見えた。錯覚だろうが、昨晩の楓と同じように。

「バーナビー……あのな、」

 また言葉が止まる。しかしハッキリしないのは虎徹の性格ではないから、あーと頭を抱えて立ち上がった。その勢いに押され、バーナビーも立ち上がってしまう。両肩を掴まれた。

「嫌じゃなきゃ……ここに居ていいからな。いつまでとか無いんだから」
「は、はあ……」
「えーっと……マーベリックさんとこに居た方がお前のためにはいいってのは分かってんだ……でも俺も、楓もお前のことは家族と思ってるし……あーいや、お前はそういうの嫌がるかもしんないけど、」
「行きませんよ。僕は。どこにも」

 何故虎徹が急にこんなことを言い出すのか分からない。だが、歯切れの悪い物言いに少し苛立って口を挟んだ。マーベリックさんによろしく、背中からかかった少しぎこちない声を思い出す。虎徹や楓は心に不安定な何かを抱えている。バーナビーはそれに必死で気づかないフリをしていたのに。

「利用できるものは最大限に利用しますから。今更嫌だとか何だとか言われても、遅いですからね」
「はは、そっか……」

 虎徹が気の抜けたペプシのように笑ってみせる。胸にかかる薄い霧の正体を知りたいと思い、言葉にならずとも機会があれば虎徹に話してみようと思っていたが、結局全部呑み込んでしまった。

 やはり、あの夢を見ない。

 最近はマーベリックに多少時間があるようで、度々持っている情報を交換したりする。だが不思議とその度に記憶の質感が雑なものになっていく気がした。バーナビーはそれを、まるで水槽の中の深海魚のような気持ちで認識している。無性に焦っているのに、焦燥に追い立てられているうちに、何に焦っているのかが分からなくなっていく。軽い痺れのような苛立ちと重く気だるい不安が体中を駆けてどこか暗い世界に沈んでいくみたいだ。

 いや、考えてみればこれは初めての気分じゃない。一ヶ月前まではいつでもこんな気持ちを抱えて生きていたはずだ。それが当然の日常で、おかしいことだとは思っていなかっただけで。それに気づくと、益々名前の分からない何かに追い立てられているような気分だった。

 とにかく一度冷静になりたい。息をついて、きちんと事態を整理したい。マーベリックに会ってその話をするつもりだったが、急用が入ったらしく約束がキャンセルになった。落胆していても仕方がないので、残った用事を優先することにする。荷物から時代小説の続巻を取り出した。無性に虎徹やキースのいつもの調子が見たい。そんな自分にまた何故だか腹が立って、わけの分からない苛立ちを引き摺って長い廊下を早足で進んだ。

「頼む……頼むよ、コテツ君……」

 廊下の突き当たりの部屋はドアがわずかに半開きになっている。風と共に声が流れ込んできた。聞いたことの無い弱々しい声音に思わず足が止まる。

「悪いけど、俺には頷けない」
「どうして!」
「あのなあ……」

 虎徹は突き放すような声だ。短気な虎徹が激情に直結していない時は、大抵本気で怒っている。キースが虎徹にそんな声を出させているのか。それは異様な事態に思えた。

「逆に聞くけど、どうしてお前は俺が頷けるって思うんだ?そんな状態で家から出てって、どこに行く気だよ」
「君に、もう迷惑はかけない……!」
「だから、そういうことじゃないんだって!」
「私はやっぱり君たちのところへ戻るべきじゃなかったんだ!」
「……どういうことですか」

 頭の中が真っ白になっている。足が勝手に大股でドアに歩み寄り、手が勝手にノブを引いていた。指先も声も少し震える。それで、バーナビーは自分が怒っているのだと理解した。なんと理性からかけ離れた話だろう、自分の中の冷静な部分が遠くからぼやいている。

「バニー……!」
「バーナビー君……」
「何故、そんなことが言えるんですか」

 コルクボードに貼られ続けている写真や、不安げにキースの話をする楓の声や、バーナビーに縋るような虎徹の目が次々に脳裏に浮かんでは消えた。キースは空き地に現れた時、バーナビーに『コテツ君を元気にしてくれた』と形容した。だがバーナビーはその言葉をとんだ勘違いだと思っている。虎徹は怖いだけだ。また失うのが恐ろしいのだ。

「帰るところがあるくせに、それが分かっているくせに」

 そんなものとっくに失って、焼け焦げた家の地面を掘り返しながら生きてきたバーナビーとキースはまるで違う生き物だというのに、どうしてそんなことが言えるのだろう。朝に見た、昼に見た、夜に見た何気ないキースの笑顔と言葉が閃く。どうしてバーナビーもキースたちと変わらない生き物だと錯覚させるようなことを言ったんだ。

「決めていいって」

 あなたが言ったんじゃないですか。

 感情が昂ぶるあまりに胸のあたりが苦しい。鼻の辺りにツンとせり上がってくる激情に耐えられず、本を放り出して部屋から飛び出す。

「バーナビー!」

 虎徹が制止の声を上げたようだったが振り切って走った。廊下で何度か人とぶつかりそうになりつつ出口を目指す。しかしゲートの手前でついに人とぶつかり、バランスを崩す前に体を支えられてしまった。体格の良いマーベリックの護衛だ。

「バーナビー?何をそんなに急いでいるんだい」

 約束に間に合わなくてすまない、遅れたが会えて良かった。マーベリックはいつもの穏やかな調子だ。それになんだか気が抜ける。呼吸を整えるために深呼吸をした。泣いていたのかと問われて慌てて目元を拭う。言い訳はしどろもどろだったが、マーベリックはそれ以上何も聞かずにいてくれた。導かれるままにいつもの応接室へ向かい、出された紅茶に口をつけると随分気分が落ち着いた。虎徹とキースとはもう一度冷静に話をする必要があるだろう。

「すみませんでした……」
「いいんだよ。君にも色々あるだろう。私には分かっているさ」

 いつもはどこか緊張する手も今は素直に受け止めることができた。ほっと息を吐くと、カップの薄茶の水面が揺れる。

「何か進展はあったかな」
「それが……最近はどうにも落ち着かなくて」
「そうだろう。だがそれは、仕方のないことだ」

 マーベリックがキースの件の沈静化に関わっているに違いない、というバーナビーの予想は当たっていたのだ。当然マーベリックはバーナビーの身辺が慌しいことを知っている。しかしバーナビーが言いたい『落ち着かない』はもっと複雑だ。うまく説明できる気もしないので黙っていることしかできないが。

「そう言えばひとつ……今回の件を処理する最中に気になることがあってね……」

 カップを置いてマーベリックを注視する。言い辛そうな沈黙がいくらか挟まれたので、先を促すように身も乗り出した。ため息をつき、更に数瞬の沈黙を消費し、マーベリックはやっと口を開く。

「……軍が要注意人物として極秘に監視している人間に風使いのNEXTが居るらしい。今回、事件の詳細の提出を確かに軍に求められもした。表沙汰になることはなかったが……」

 警察の手配犯と違って、軍隊でマークされるのは世界規模の犯罪組織やテロ組織に関わる者が多い。バーナビーが追うあの蛇の紋章は、何らかの組織のマークである可能性が高いことが分かっている。それを他ならぬマーベリックが示唆したことは、バーナビーに重たい衝撃を与えた。

 それからどうやって家に帰って、どうやって夜まで過ごしたのか記憶が無い。ただ、久々にあの夢を見た。踊る白い炎と、床に倒れるふたつの『なにか』。それから炎を従えるように立っている男――その顔がゆっくりと振り返る。初めてその目鼻立ちを確かめることができた。

 そこにあったのは、金髪碧眼の若い男の顔だった。

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