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幸福の匙加減 (パラレル)



「お前ってホンット、見かけ詐欺だよなあ。昔から思ってたんだけど」

 あまりにも静かな車内に居心地悪さを感じ、何か喋ってくれと頼むと、運転席の男は露骨に顔をしかめた。それから自分は怒っているのだということを何度も強調し、キースにそれをよくよく確かめた後、そう言ったのだ。よく意味が掴めない。視線で解説を求めると、虎徹は視線を前方に固定したまま肩を竦めた。

「最初は礼儀正しくてしっかりした奴だなと思ったよ。でも段々『アイツ』が言った通り抜けた奴だなーって分かってきて……まあ素直なのは悪くねえよな、って思うわけだ。んで、そうやって油断してると一番最後、やーっと気づかされんだよ。こいつはとんでもねぇ頑固者だってな」

 本人の申告どおりその声には苛立ちが滲んでいる。それを敏感に感じ取ったが、その矛先であるキースは何も言うことができない。霞がかかったかのように重たい頭をゆっくりと巡らせて、光の溢れるフロントガラスの向こうの景色に目を細める。薄暗い車内とは対照的だ。

「君は、」
「なんだよ。モンクは受け付けてねーぞ」
「君は……とても元気になった。とても」

 この家を離れる二年前、虎徹はまだ悲しみという名の深淵の、ゆるやかな流れに身を任せていた。何をしている時でもその片鱗を感じさせたものだ。それは本人の本意ではなかっただろうし、キース自身の持つ悲しみも多大に反映されて見えていただろうけれど。どんなにキースが力を尽くして手を伸ばしても、それが虎徹の立ち上がる力に繋がらなかったことだけは確かだ。やっぱりキースはここでも、何もできないままだった。

 虎徹は何か言おうとしたようだ。息を吸う気配があったが、結局それは深いため息に終わり、キースの元まで流れてくる。無言の呆れを苦笑で受け止めていると、目まぐるしく姿を変える街を映していた窓に、見慣れた景色が流し込まれ始めた。

「変わっていないな」
「そーだよ。お前がいつ来たってこの家はここにあんの」

 五分ほど走れば、懐かしい家が虎徹の向こうのドアガラスに大写しになる。通りに面した縦長の貸家で、両隣に似たような家が何軒も続く。大きいとも綺麗とも頑丈とも言い難いが、シュテルンビルトの下層にしては充分過ぎる造りだ。携帯電話を片手にその玄関口に立っていた少年が、車に気づいて駆け寄ってくる。

「虎徹さん!」
「悪いな、バニー。ちょっと肩貸してやってくれ」

 車を止め素早くシートベルトを外した虎徹は、ドアを開けて少年に応えた。少年の窺う視線が虎轍からキースへと移る。

「こいつ?お前とおんなじ脱走兵だよ。早いとこ寝室に突っ込んで夕飯の刑でも食らわせてやる、ってね」

 入院して三日で脱走を図ったキースを少年に説明する虎徹の口調や表情は明るい。それを受け止める少年も、硬い表情が少し緩んだように見えた。だからキースにはすぐに彼だと分かった――きっと、彼がコテツ君を。

「君か……!」
「は?」

 ドアを開け、親切に差し出された手を掴み、急いで立ち上がる。と、過労でバランスの崩れた身体に大きな負荷がかかってしまったようだった。日差しが強いことだけをなんとか認識する。胃の底から這い登る不快感が目元で眩暈になり、体を支える力が急速に失われていく。

「ありがとう、そして……」

 覚悟した衝撃はなく、思いの外強い力がキースを受け止めた。そこには妙な安心があって、その手の向こうにある本質に触れたようで、だからキースはそのまま意識を手放してしまったのだ。

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