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ハイスピード・ベータブロッカー!



※ 2009-09-13 / 熱血デュエル部 / A5オフ / 56P / 表海
※ Pixiv掲載: https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=2264951
※若干アニメ設定

一、暗雲にトリガー

 事の起こりは、どんな大事でも大抵些細なことだ。今思えばここから、全ては始まっていたように思う。

「……兄サマ?」

 モクバが不審げな声を上げる。社長本人が社長室の前で立ち往生をする、という光景を見れば不審に思うのは当然だろう。しかし瀬人もしたくてドアの前に立ちはだかっているわけでもない。普段はすぐさまセンサーが瀬人を識別してその扉を開くのだが、今日はびくりともしないのだ。

「故障かな……鍵は?」

 言われるまでも無く首から提げたロケットを取り出す。元はただのロケットペンダントだが、少し細工を加えてカードキー替わりにもなっている。ドア横の認証レセプタにペンダントを当てて暗証番号を押した。これで開かなければシステム自体の異常を疑わなければならない。

「……アレ?開かない……」
「誤って緊急信号でも発信されたか?そうなると社内の重要施設は全てロックがかかるようにプログラミングしてある」
「げー、だとしたら解除が大変だよね……。ったく、なんだって急にコイツ……、っ?」

 苛立ち紛れにドアを蹴ろうとしたのだろう。モクバが足を踏み出した瞬間、ドアが勢い良くスライドした。バランスを崩したモクバは前のめりに室内に倒れ込んでいる。

「あ、あれ……っ?」

 床に突っ伏したまま顔だけ上げたモクバの戸惑う視線と目が合った。それも一瞬で、すぐにドアがスライドする。再び閉じたドアから一旦少し離れてもう一度足を踏み出すと、今度は何の難も無くドアが開いた。見ればモクバは地べたに胡坐をかいて目を瞬いている。

「行儀が悪いぞ、モクバ」
「何だったんだろ……」
「さあな。呪文でも足りなかったか?」
「呪文?」

 面食らったような顔をしているモクバにオープンセサミと嘯いて、結局その話はそこで終わってしまった。一応社内システムの全面チェックを即時指示してはいたが、大した問題では無いだろうと思ったのだ。ほんの機械の不調だろうと。そこで少しでも疑念を持って動いていれば、少しは違う気勢にも乗れたのだろうか。
ともかく、それ以降二週間ほど、同様のトラブルに三回は見舞われた。しかしシステムチェックにも異常は見られなかったため、たった数度のシステムエラーのことなど完全に脳内の隅の隅に追いやられていたのだ。他にエラーの報告も無く、技術部からはただの老朽化だろうという予測も上がってきていた。そうと分かれば、それは日々の仕事に比べてほんの雑事に過ぎない。世界海馬ランド計画は着々と進行しているのだ。アメリカでひとまずの成功を収めた以上は、早々に次の段階に移る必要があった。時間は無限にあるわけではない。「世界」と名の付いたものに挑戦するというのだから、ひとつの予断も許さず完全に制覇してやる心積もりだ。ここ数ヶ月で訪れた国の数は最早数える気もしない程である。学校にももう随分と足を運んでいない。時間の浪費を惜しもうとすれば、それは真っ先に切り捨てられる選択肢なのだ。

「兄サマ!」

 自宅に戻り、まずパソコンのスイッチを入れたところでモクバが部屋に入ってきた。許可無くこの書斎に入ることを許されているのはモクバだけだ。視線だけでその声に答える。

「あの……さ、ちょっといいかな?」
「何だ?」
「空いた時間とかにさー、オレなりにデッキ組んでみたりしたんだぜぃ。ちょっと見て欲しいなーって思って……」

 少し考えたが、思い返してみれば今日はロクな休養を取っていなかった。いくら多忙を極めようとも、その仕事を片付ける自分自身が万全でないなら上がる効率も上がらないものだ。手を差し出すと、モクバは嬉しそうにその手のデッキをこちらに預けた。早速手のひらの中で展開してみる。

「どう?」
「ふ……ん。まだ甘いな」
「うーん……やっぱりまだダメ?」
「相手が居ることを忘れないで組め。ただの増強ではまだ弱い。デッキは相手を打ち倒す兵力、同時に相手を寄せ付けない砦だ。ただ材料があるだけではダメだろう、正しく組み上げてこそ強固な砦になる」
「相手……」
「そうだ。隙は常に突かれるものだと考えろ。弱味は絶対に見せるな。そして何より、勝つ気でいろ。『やはりダメか』などと聞くものじゃない」
「はい……」
「お前ならできる。お前は誰の弟かを考えてみるだけで分かるだろう」
「うん!」

 デスクの上にモクバのデッキを展開して、突ける隙をいくつか指摘してみせる。モクバは真剣にそれを聞いているようだ。ここのところモクバはデュエルモンスターズにやたらと熱心だ。瀬人と変わらず忙しい毎日を送っているはずなのだが、空いた時間を見つけてはデッキと向かい合っている。欠席は多いながらも学校には顔を出しているようだから、そこで倒したい人間でも居るのかも知れない。
 それに対して瀬人はどうだろうか。モクバのデッキをまとめてやって、その表面を軽く指でなぞる。デュエルモンスターズのカードに触れるのは随分久しい気がした。デッキはある。最強の僕もいつも共にある。だがここのところそのデッキは、剣の役割を、盾の役割を全うしているかどうか。

(決闘を――していないな)

 ふと脳内に名前が浮かんだ。その名前は挑発するような小憎らしい笑みに変わり、その口が吐く理解不能な机上の空論に変わった。そしてそれは最後に――一見すると今までのイメージとは駆け離れている、形容し難い笑顔に変わるのだ。

「……兄サマ?」
「何だ」
「どうかしたの?」
「いや、返すぞ」

 デッキをモクバに返して、パソコンのディスプレイと向き合う。意識せずとも、指が慣れたキーボードを弾いてパスワードを入力していく。

「兄サマ?」

 一旦部屋を出ようとしていたモクバがまたこちらに寄ってきた。瀬人の明らかな渋面を目にしたからだろう。だが戻ってきたモクバが目にしたのは、緊急事態を知らせるメールでも株価の急変でもない。ディスプレイが映し出しているのは第二パスワードの入力画面だけだ。

「兄サマ……?」
「パスが変更されている……?」
「えっ……!」

 もう一度キーボードに指を走らせるが、エラーの表示が出るだけである。このパソコンには第一パスワードと第二パスワードがある。第一パスワードはこのパソコンのみを守る暗証だが、第二パスワードはそれ以上の危機からネットワークを守るためにかけている鍵だ。あと一度でもパスワードを間違えれば、家中のコンピュータはおろか海馬コーポレーション本社内の全てのネットワークが凍結される。

「原因がタイプミスでない以上……考えられるのは外部からの不正アクセスか?」
「海馬コーポレーションのセキュリティをくぐり抜けてきたってこと?そんなのあり得ないぜぃ!」
「何事にも絶対は無い。第二パスだけ書き換えるなど……第三者の手によるものだとすればただ事ではないぞ」

 キーボードにもう一度だけ指を踊らす。結果はやはりエラーだ。と同時に、パソコンの電源が勝手に下りる。慌てるモクバをひとまず目で制した。

「48時間以内ならオレが行けば本社から復旧ができる。それより今は不正アクセスの可能性を見逃している方が問題だ」
「うん……!」
「今からすぐに本社へ行く」
「オレは!」
「ここに居ろ」

 モクバが緊張に満ちた顔で頷いた。遅いからもう寝ておけ、という意味ではもちろんない。ネットワークが復旧した際、本宅での作業は一任する、という意味だ。脱いだばかりの上着を羽織りながら携帯電話を手に取る。恐らく混乱が生じているだろう本社に連絡を入れるためだ。ところが、

「繋がらんな……」
「本社で何か起こってるんじゃ……!」

 共に出て行きたがるモクバをやはり制止し、用意させた車に飛び乗った。この事態に本宅を空けていたくないのもあるが、危険が見込まれるこの状況でモクバを連れて行く気にはどうしてもならなかった。

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