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そらごと四か条 (パラレル)



 荷札にあるのは宛先だけ、差出人は空欄。荷物はかなり大きくて、味気ないダンボール。持ち上げてみると軽いけれど、何が入っているのかまったく分からない。

 ――さて、あなたならどうする?

 とりあえず開ける?もしくはそんな状況なかなか無いだろうし分からない?そんなあなたにボクからひとつ助言があります。……絶対に開けてはいけません。絶対に。何故かって?

 第一に―――

「何だろ、これ?」
「無愛想な宅急便のにーちゃんが置くだけ置いてさっさと帰ってしまったんじゃ。まったく最近の若いモンは……」
「ふうん?」

 逸れていく祖父の話を聞き流しつつ、箱の周囲を回って様子を伺う。かなり大きな荷物だ。洗濯機を買い換えた時にこれぐらいの箱に入っていた気がする。しかし重さはと言えば、足腰の弱っている祖父にも軽々持ち上げられる程度なのだ。

「うーん……」
「心当たりは?」
「無いけど……」
「ふむ……まあ、とりあえず開けてみなさい。悩んでばかりいても始まらんじゃろう」
「ま、そうだね!」

 深く考えずに祖父の言葉に頷き、さっそくダンボールのフタに手をかける。テープはフタに沿って貼られておらず、十字を描くようにおおざっぱに封されている。それを豪快にベリッと剥いで、そこで遊戯の命運は尽きた。

「さー何か……な……?」

 遊戯は箱の中を覗き込んだまま硬直してしまった。続いて覗き込もうとする祖父をひとまず押さえ込み、フタをもう一度閉じようとする。これはまずい。咄嗟の判断でもそれだけは分かった。しかし遊戯はもうフタを開けてしまったのだ。投げられた賽と一緒で、天が出るか地が出るか、後は出た目を待つしかない。

 箱の中に居たのは、なんと驚くべきことに――人間だった。しかも赤ん坊や幼児というわけでもない。遊戯と同い歳くらいではないだろうか。よくぞ軽々しく持ち上げられたものである。長い手足をぎゅっと縮めて、己の身を守るようにその人は箱に詰まっている。
 ひょっとして……死んでる?そう慄いている矢先、辛うじて最も恐ろしい予想は外れてくれたようだ。一気に箱の中に光が入ったせいか、固く閉じられた瞼が震えている。そしてそれはゆっくりと持ち上がり、数度の瞬きの末、確かな覚醒を得たようだった。まだどこかぼうっとした視線が段々上へ上へと彷徨い、ついには遊戯の目玉を見つけた。

「あ……っ!その……ええっと……」

 窮屈そうにしている体をぐっと起こしたかと思うと、その男は遊戯の意識の外に出てしまった。一体どうなったか分かったのは三分ほどたっぷり時間をかけてやっとだ。祖父がこりゃあ、と言葉を失っているのはすぐに分かったのに。
 箱の中に詰まっていた謎の男は、迷わず遊戯の首筋に抱きついていた。

 わけが分からない。

 第二に―――

「えっと……?名前は?」
「海馬瀬人だ」
「じゃあ……海馬くん。君はえーっとその……どこから来たの?」
「知らん」
「し、知らないってことないでしょ。家は?」
「ここだ」
「え?」
「オレの家はここだ」

 ここは間違いなく遊戯の家の亀のゲーム屋である。すっかり困ってしまった。箱から上半身だけを出した男――海馬は、何度尋ねてもこの調子なのだ。あまり話が通じないというか、大した事情も語らずじっと遊戯の方を見つめている。

「家が分からないなら交番に行ってみるかね」
「……」
「なんで箱に入ってたの?なんでウチに来たのかしら……?」
「……」

 しかも、遊戯以外の人間――少なくとも祖父と母の言葉には全く反応しない。無視しているというよりは、聞こえていないかのごとくの無反応なのだ。しばらくそうやって居心地悪い視線を受け止めていたが、やはり居た堪れなくなってきた。とりあえず茶でも出してやろうと身を翻す。

「――っ、わ!」

 ところがその途端に綺麗に転倒してしまった。何か強い力にシャツを引かれたのだ。まあ「何か」などと言ってはみたものの、その原因は大体予想できてはいた。床に寝そべったまま後方を振り返ると、遊戯と一緒に箱ごと倒れている海馬の姿があった。

「……あの?」
「行くな」
「……お茶、取りに行くだけなんだけど……」
「……」
「えーっと……」
「……」
「一緒に行く?」

 頷くので、ひとまず手を離してもらって立ち上がる。と、遊戯より頭二つ三つ分は背丈があるのに衝撃を受けた。でかい。のに、なんか黙ってついてきてる。

(ちょ、ちょっと怖いかも……)

 なんだかどこへ行くにもついて来られるようになってしまった。

 第三に―――

 ひとまず、海馬は遊戯の家で預かることになった。まったく遊戯から離れようとしないからである。さすがに学校へ行く時は家に居てもらうのだが、登校前はかなり苦労する。幸いあまり朝は早くないようだから、眠っているうちにバタバタ出かけることができればいいが、起きていると遊戯のシャツをぎゅっと握ったまま離してくれないのだ。すぐ帰ってくるから、絶対帰ってくるから、と説得して、半ば強引に家を出る。どちらにせよ家に帰った時の機嫌の悪さに違いは無いのだが。遊戯が居ない間はダンボールから出てこないらしいし、そんなわけで最近の遊戯の帰宅はとても早い。学校が終わると同時にダッシュだ。

「海馬くん。これ……ママがとりあえず買ってきてくれたから……」

 今日も息を切らせて帰宅して、箱の中の海馬の安否を確かめて、それから母親に手渡されたものを差し出す。シャツとパンツという、何の変哲も無い服だ。ずっと同じ服を着ているわけにもいかないだろうから、と母が買ってきてくれたのだ。やはり不機嫌そうな海馬は、それでも一応じっとその服を見ている。

「……海馬くん?」

 海馬は何も答えない。少し考えて、遊戯は自分の部屋に一度戻ることにした。が、そこでまたビタン、と床に張り付かされてしまう。案の定、後ろには箱ごと倒れている海馬が居た。

「ボク、ちょっと部屋に取りに行くものがあるんだけど」
「……」
「行く?」

 頷いたので、助け起こす。最早これも定番の流れとなりつつあった。できればなるべく早く「こける」のプロセスを省略したいところだ。海馬を連れ立って自室に戻り、衣装ケースを適当に漁る。そして上着を脱いだ。

「いい?海馬くん」

 分かりやすいようにできるだけ大げさに出してきた服を着てみせる。と、海馬もそれに倣ってゆっくりと服を着替え始めた。それに満足して息をつく。

「……着心地が悪い」
「よく言うよ」

 思わず噴き出してしまった。最初はちょっと怖いような気もしていたが、最近はそうも感じなくなってきた。この感情をなんと言えばいいか、なんだか不思議と和やかな気分だ。箸を使う遊戯をじっと見つめていた海馬を見て、母が「まるで親鳥についてくるヒヨコね」と笑ったことを思い出す。

「海馬くんってヒヨコみたいだってさ」
「……オレはヒヨコではない!」
「知ってるよ」

 ちょっと、かわいいかなって気がしてきたりして。

 第四に――

 海馬は片時も遊戯から離れようとしないが、寝る時だけは断固元来た箱から出ようとしない。長い手足を丸めて眠るのはいかにも窮屈そうなのだが、ベッドや布団を勧めても絶対に頷かない。ここが家だと言っていた「ここ」は、ひょっとして箱のことを指していたのだろうか。

「海馬くん、そこ、狭いでしょ?」
「狭くない」
「君、いっつも風呂が狭い狭いって散々文句言うじゃないか。肩凝ったりしない?寝違えるよ」
「オレはそんな軟弱な男ではない」
「せめて何かタオルケットか何かさあ……」
「要らん!」

 試しに箱にタオルケットを放り込んでみたが、即座に投げ返されてしまった。ため息をついてそれを拾う。箱の縁に手をかけて、その中を覗き込んだ。

「海馬くん」
「……」
「心配なんだよ」

 既に丸まっている海馬は、目だけでこちらを見上げた。だがすぐにつまらなそうに目を閉じてしまう。もう一度名前を呼んだ。

「……安心する」

 返ってきたのは一言だけ。しかも短い。だが、遊戯はそれ以上何か言うことをやめて、おやすみとだけ囁いた。ダンボールのフタを閉じる。

 心配も多かったりするけど、やっぱりかわいかったりして。

 荷札にあるのは宛先だけ、差出人は空欄。荷物はかなり大きくて、味気ないダンボール。持ち上げてみると軽いけれど、何が入っているのかまったく分からない。

「海馬くん」
「……何だ」

 やっぱりぴったりくっついて来てる海馬くんを、ボクは振り返った。海馬くんはちょっと不思議そうにボクを見下ろしている。それがおかしくて、その両手を捕まえた。

「いっつも海馬くん、難しそうな顔してるよね」
「元からこういう顔だ」
「笑ってよ!ボク、海馬くんの笑った顔が見たい」
「何故オレが……」
「あー、分かんない?こんな感じ!ニッ、って!」
「それはみっともない顔だろう」
「えー!ひどいぜ!」

 いざやってみようとすると、笑顔ってなかなか難しい。うんうん唸って色々試していると、海馬くんがふっと表情を緩めた。本当に自然に。ボク、うまく笑えてないのに。ひとりでに。

「海馬くん!」
「何だ」
「……ううん、やっぱ、なんでもない」

 あなたなら、そんな箱をどうする?ボクは開けちゃいけないってやっぱり言いたい。それは、わけ分かんないとことか、ちょっと怖いとことか、心配ばっかりさせられちゃうとことか、そういうのとは関係ないんです。

 だって一度箱を開けたら、困るくらいこんなに好きになっちゃうんだから。

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