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ハイスピード・ベータブロッカー!



六、一時凌ぎのバレルシフタ

「童実野駅まではまだちょっとあるぜ」
「どこに行くつもりだったのさ?それぐらいは聞いてもいいよね」
「……テレビ局だ」

 結局、移動は電車になった。幸いすぐ近くに駅があったし、こんなに大騒動になった手前、タクシーを捕まえて車に乗る気にもならなかったのだ。三者三様にすっかりボロボロな姿になっていたが、夏休みの最中で賑わう電車ではそれほど目立ってもいないようだ。木を隠すなら森という言葉を思い出した。

「確か童実野駅のすぐ近くにテレビ局あったっけな」

 城之内の言葉に海馬は何の反応もしなかった。ため息をついて城之内は首を振っている。普段だったら間違いなく掴みかかっていただろうに、その元気も無いようだった。遊戯もまさか、あそこまでの大事になるとは予想していなかったのだ。そこまでして海馬のことを消してしまいたいなんて――ぞっと背筋が冷えた。

「海馬くん」
「何だ」

 海馬はとても冷静で、落ち着いているように見える。だが確実にその身で相手の敵意を体感したはずなのだ。何と言っていいかは分からなかったが、とにかく声をかけたかった。言葉に迷って目を伏せると、海馬の左手が目についた。思わず咄嗟にその手を取って裏返すと、深い傷口から血が滲んでいて、乾いた血を更に血で洗い流している。そう言えば先の銃撃戦で、割った窓から身を乗り出していた。

「うげっ、何だよお前これ……」
「騒ぐな。大した怪我ではない」
「いや充分大した怪我だと思う……えーっと……」

 ジーンズのポケットに手を突っ込んでみると、ぐしゃぐしゃになったハンカチが出てきた。入れっぱなしにしたまま洗ってそのままにしていることがしょっちゅうあるのでまさかとは思ったが、運良く今回もそうだったらしい。普段要らないと思っている布切れでも役に立つ時はあるものだ。丁寧に海馬の手に巻きつけた。始めは遊戯の手を振り払っていた海馬も、しつこい遊戯に諦めたようだ。

「余計なことを……」
「海馬くん」
「貴様は余計なことばかりだな」
「ボクは君が消えるのは嫌だ。それだけだよ」
「何故だ」

 海馬から何故だと問われるのは、ここのところ二回目だっただろうか。何故だと言われても、本当は理由なんてない。あったとしてもうまく言葉になんかできやしないのだ。でも海馬はそんな答え、信じてくれないのだろう。

「諦めてないってことだよ。君と闘うこと」

 海馬は何も答えなかった。電車がレールを踏む音が規則的に響く。人の声がざわざわ揺れる車内で、またため息をついたのは城之内だ。

「着いたね」
「で、どうすんだよ?」
「どうするもこうするも、正面突破だ。それ以外にない」

 城之内はため息もつけないようで頭を抱えた。行動に表さないまでも遊戯も似たような心情である。熱心なファンだとか、頭のおかしい人だとか、とにかく狙われやすそうなイメージのあるテレビ局だが、そのイメージ通りに警備も厳重のようだ。各所で警備員が目を光らせている。観光客用に展示が置いてあるところまでは何の障害も無く入れたが、それから先が問題だ。

「正面突破ってお前な……」

 顔を上げた城之内が言葉を止めた。海馬がじっと、細めた目でその顔を睨みつけていたからだ。腕を組み、背筋を伸ばし、海馬は黙って城之内を見下ろしている。それになんとか抗おうとしていた城之内だが、状況が状況だからだろう、珍しく根負けしたようだった。

「だあああ!分かったから睨むんじゃねえ!オレが囮やりゃあいいんだろ!」
「城之内くん?」
「遊戯に助けてくれって頼まれたんじゃ仕方ねえからな!あークソ、海馬テメー後で絶対なんか奢らせるぞ。あと今度から城之内サマって呼べな!城之内サマ!」
「誰が呼ぶか!」
「城之内くん!待って、ボクも一緒に囮……」
「遊戯、お前も後でちゃんと助けに来いよな。オレが助けってやったんだから」

 拳で頭を小突かれる。城之内の笑顔に、遊戯も笑顔で答えた。そう言われてしまうと、遊戯だって男だ。情けない顔はできない。満足そうに頷いた城之内は、海馬から拳銃を引っ手繰って駆け出した。

(なんとか入れたけど……)

 城之内が騒ぎを起こしたおかげで、比較的スムーズに部外者立ち入り禁止のエリアに進めた。だが、そんなところにフロア案内などあろうはずもなく、海馬に従って走ってはいるが、どこに向かっているのか見当もつかない。

「海馬くん、ここ入ったことあるの?」
「ああ。ここの一番のスポンサーはオレの社だからな。宣伝も広報もここだ」
「なるほど……。それで、どこに?」
「クク……ワハハハハハ!」
「えっ……!な、なに?」
「新商品の宣伝のため仕方なくとインタビューを受けてやったのが、確かこの時間の番組だったな!下卑た質問ばかりしおって!フン、今度はオレが最高のショーを演出してやるわ!」
「そ、そう……」

 よく分からなかったが、その番組が海馬の怒りを買ってしまったことは間違いないようだ。海馬は迷い無くその長い足を駆使し、廊下を駆けていく。息を切らしてそれを追い縋るのに精一杯だ。すれ違う人間に不審そうな顔で見られているようだが、それぞれ忙しいのか呼び止められるまでには至らなかった。

「ここだ」

 海馬が突然立ち止まったのは、第二スタジオと書かれた扉の前である。鍵がかかっているのではと思ったが、海馬が押した分だけドアが開く。海馬はいつも通り堂々としており、怯む様子はまるで無かった。遊戯など緊張で縮こまってしまいそうだというのに。

「君っ、一体何者だね、今は……!」

 撮影中のセットに視線を注いでいた人々が、次第に海馬に気づき始めた。慌てて海馬の行く手を阻もうとしたスタッフたちは、次々と容赦なく薙ぎ倒されていく。初めは小声だった面々も、次第に声を大きくしてざわつき始めた。ライトに照らされているタレントたちも驚いているようだ。

(あ、この人たち見たことある……!)

 随分際どいことまでやるからと、巷の奥様たちに随分人気のワイドショーだ。遊戯の母親もいつも見ている。海馬のように薙ぎ倒すことも出来ずスタッフたちに取り押さえられながら、遊戯は海馬が何故この番組に恨みを持っているのか分かったような気がして胸の内で手を合わせた。一体どんなインタビューだったやら。海馬くんに目を付けられたら怖いんだぞ。

「何ですかアナタ!突然出てきて……!」

 パネルを前に芸能人のゴシップを嬉しそうに解説していた司会者が、あたふたと声を上げている。海馬はついにその隣に並んで、ライトとカメラの中で、司会者のピンマイクを奪った。ポケットの機械からコードが伸びているせいで司会者の体が傾いている。海馬が息を吸う気配がここまで伝わってくる気がした。

「オレは――海馬瀬人だ。海馬コーポレーション社長の海馬瀬人だ!それに文句がある奴は今すぐ出て来い。完膚なきまでにオレが叩きのめしてやる!」

 一瞬、しん……とスタジオは静まり返った。それに臆するでもなく海馬は辺りを見回し、誰も居ないのか、とつまらなそうにマイクを放り捨てた。そしてさっさとセットから歩き去っている。行き場の無いピンマイクは、唖然とした司会者のスーツからだらりとぶら下がっているだけだ。海馬がカメラに映らないところまで出てきたところで、一人の男が慌てて駆け寄ってきた。

「しゃっ、海馬社長困ります!いきなりこんな……」
「何が困ると言うのだ?オレが金を出さなければこんなくだらん番組も作れんくせして!」
「仰るとーりでございますが……私にも面子というものがですね……!こういうことは、事前にご連絡を頂ければ……!」
「事前に連絡をしてどうなる?またくだらんインタビューでもする気か。オレは貴様が嫌いだ。オレを侮辱しておいて安泰に暮らせると思うなよ。この海馬瀬人をな」

 すっかり顔を青くして言葉を失っている男――恐らくディレクターか何かなのだろう――を目の前に、海馬はニヤリと笑ってみせた。遊戯が今まで見てきた中でも、最高クラスの悪い顔だ。

「まあ……今後オレのために働くというのなら大目に見てやらないこともないがね。どうする?」

 いつもの調子で高笑いを繰り出す海馬は絶好調のようだ。相変わらずスタッフに押さえ込まれながら、遊戯はそれを何とも言えない気持ちで見ていた。
 海馬くん、楽しそうだね。でもボクのこともちょっと思い出してほしいかな。

「ショック療法だ」
「ショック療法?」

 先を行く海馬を小走りで追いかけながら、遊戯は問い返した。一体何がどうなっているのか、海馬に事情説明を頼んでだのである。

「昼間の生放送に乱入してきた人間というのは、それなりに衝撃的だろう」
「その衝撃で海馬くんを思い出させたってこと?」
「あの凡骨のようにいちいち一人ずつ頭突きをするわけにも行かんからな」
「まあ、そりゃそうだろうけど……」

 遊戯には、もう少し違う原因で皆に海馬を再認識させたように見えた。頭突き、突然の乱入などといったメチャクチャな行動力は、最早海馬の特徴と言っていい。海馬を知っている人なら、「そう言えば海馬瀬人ってこういう人だったなあ」という納得に至ってしまうに違いないのだ。

「それで……今度はどこに?海馬コーポレーションに向かわないの?」
「ここの局長に話をつける。テレビ局を乗っ取れば、相手の卑劣な戦法は死んだも同じだ」
「乗っ取るって……」

 発想が完全に悪役である。情けない顔をしたディレクターに案内されながら局長室を目指す。

「城之内くん、大丈夫かな……」
「あのような史上稀に見る馬鹿、殺そうとする方が難しいわ」
「でもボク、助けるって約束したから……。ちょっと見、」

 ほとんど反射だったのだと思う。海馬が遊戯の腕をしっかりと掴んだのは。その証拠に次の瞬間にはその手に振り払われていたのだから。

「貴様が居ても邪魔なだけだ。勝手にしろ」

 海馬はスタスタと歩き出していく。どうすべきか、かなり悩んだ挙句、遊戯は結局その後を追った。

「こ、ここです……」
「フン、ご苦労だったな。貴様のような無能はさっさと解雇すべきだとよくよく説き伏せておいてやるわ!」
「そんなあ……」

 すっかり萎んでしまっているディレクターに同情の眼差しを送りつつも、何の遠慮も無くドアを開けた海馬に慌てて追いついた。しかし、海馬がすぐに足を止めてしまったために、その背中にぶつかってしまう。

「海馬くん……?」
「ドアを閉めなよ」

 その声には聞き覚えがあった。確かめるために急いで海馬の隣に並ぶと、ドアがひとりでに閉まる。いかにも偉い人の仕事部屋、そういうイメージのものが全て詰まった部屋の中、大きな木のデスクの上に足を組んで座っているのは小さな影だった。

「よく来たね、瀬人。それから遊戯。――久しぶり、と言えばいいかな」

 容姿は、モクバより数歳上ぐらい。そしてどこか海馬に面影が似ている。脳内にははっきりとその顔と合致する名前が浮かんでいた。だがそんなはずはないのだ。何故なら彼は既に、この世から消えてしまったはずなのだから。

「乃亜――?」
「何だいその、オバケでも見るみたいな顔。失礼じゃないか」

 クスクス笑いながらデスクから降りた男は、遊戯の問いを否定しなかった。それこそオバケにでも遭遇したような顔で海馬を見上げる――と、そこにあるのは非常に冷たい目だった。驚いた様子は無い。ただ刺し貫くように乃亜を睨みつけている。

「やはり貴様か。一体どうやってあの状況下から逃げ出したかは知らんが、しぶとい奴め。ゴキブリのごとく湧いて出おって!」
「それは君だよ瀬人。ボクがここまでやってあげたのに、雑草みたいに生き延びて、挙句の果てにテレビに生出演なんてね。昔から君はイカサマが得意みたいだけど……ここまでいくと逆に感心するよ」
「フン、イカサマを仕掛けてきた奴にイカサマで返して何が悪い。オレなりの礼儀だ。有り難く思うことだな」
「海馬くん、違うよ。この子、乃亜のはずがない。だって乃亜は……」

 乃亜は遊戯たちを救ってくれたのだ。敵対して恐ろしい目に合わされたが、最後にはその身を犠牲にしてまで助けてくれた。乃亜は電脳世界で独りぼっちだった寂しがりの少年だったのだ。もし仮に彼が生き延びることができたとしても、こんなことをしたなんて信じたくない。

「そんなことはどうでもいい。オレをこの世から消そうなどと、愚かしいことを考えた人間がたった今目の前に居るのだ!ならばオレのやることは決まっている!」
「へえ?何をするつもりだい。言っておくけど、これも映像だよ。ボクの本体がどこにあるかも知りもしないくせして……」
「本社だな」

 乃亜が一瞬、笑顔を消した。それを合図に、海馬が一歩足を踏み出す。

「考えてみれば異変は本社から始まった。それに、このオレがまず弾き出された場所だからな」
「ふん……もうちょっと慌てふためいてくれたっていいのにね。相変わらず可愛くないやつだ」
「驚きなどするものか。インターネットでアクセスできる情報は全て書き換えられているが、アナログな……名簿や、新聞記事などは全く改竄の跡が無い」
「そんなことできるのはボクぐらいって……?なるほどね。でも本社にあることが分かったとして、一体今の君に何ができるっていうんだい?言っておくけど、まだ本社はボクの掌中にあるよ。このテレビ局だって、すぐにボクの手の中に戻るさ。君に味方は居ないよ。誰もね」
「そんなことない!」

 突然喉の奥から飛び出した大声に、乃亜も海馬も驚いているようだった。遊戯自身も驚いているのだから仕方ない。二人分の視線が集まる。

「みんなが海馬くんのこと忘れたって、ボクが覚えてる。ボクが海馬くんの味方をするよ」
「へえ?でもね、記憶なんて脳内に蓄積された電気信号でしか無いんだよ。例えばボクが、人々の触れるあらゆる通信機器を介してちょっとした合図を継続的に送り続ける。そうするとどうなると思う?瀬人のこと、皆簡単に忘れただろ?」

 乃亜は楽しそうに声を上げて笑った。それは最後に見た乃亜の姿とは全く重ならない。

「でもボクは海馬くんのこと忘れないよ。頭じゃなくて心が覚えてるんだ」
「また非科学的な話かい?生物の基本構造はどの個体だって変わらないよ。君だってそれぐらいは分かるだろ」
「特別なことじゃないよ。ボクは海馬くんのこと忘れたりしない。みんなや、乃亜のこともね。君はボクの知ってる乃亜じゃない」

 乃亜は呆れたように首を振り、話にならないねと呟いた。

「まあ……君の言うことは間違ってはいないかもね。ボクは厳密に言うと乃亜じゃない。もし緊急事態になっても復旧できるように父上が用意していたバックアップさ。でもオリジナルが要塞をネットワークから切り離すまでの情報は共有してるから、乃亜じゃないとも言えない」
「バックアップ……?」
「そうさ。オリジナルが消えたら、ボクが代わりに瀬人を消すっていうプログラムが組まれてる。かなり昔にオリジナルが組んだんだよ。まあ、ボクのことなんかすっかり忘れて消えちゃったみたいだけど……」

 あの時確かに、乃亜は消えてしまっていたのだ。そしてここに残ったのがバックアップ、海馬を憎む乃亜の心だけが残ってしまったらしい。でも本当にそれだけなのだろうか。どうにもならないのだろうか。一度は分かり合えたと思った人とまた会えたのに。
 遊戯は少し前方に佇む海馬を見上げた。そう言えば、海馬の性格上もっと怒鳴ったりしそうなものだが、先ほどから沈黙を保っている。

「貴様は乃亜だ。オリジナルやバックアップなどくだらん言葉を弄すな」
「君は何を聞いていたんだい?もう一度最初から説明しなくちゃならない?」
「何故モクバだけは残した。もしオレを消したいのならモクバも邪魔なはずだろう。モクバを真っ先に殺すという手段もあった。0と1の集合体のくせに随分と厄介な方法を選んだものだな?」
「違う、何を言ってるんだ!それは『モクバ』が、君に有ってボクに無い唯一のものだから……」
「生れ落ちた時から全てを持っているのではなかったのか?死んでから世界の全ての英知をその手にしたのだろうが。――やはり間違いなく貴様は乃亜だ。孤独に怯え、くだらん感傷に振り回される、ただの人間のな」

 乃亜は沈黙を破った海馬を、憎らしげに見つめ、それから笑った。狂気の入り混じったような耳に障る笑い声だ。だが聞いていると、不思議に胸が痛くなる。このままでは放っておけない、と思わせるような。

「……ならいいよ、確かめてみたら?ボクがただの人間かどうか。ただしボクが勝てば……瀬人、君の体を今度こそもらうよ。元々海馬コーポレーションはボクのものなんだから」
「フン、やっとらしい展開になったな。いいだろう。受けて……」
「待って、海馬くん!」

 乃亜の周りには見慣れたカードの映像が並んでいる。デュエルモンスターズで勝負するつもりなのだ。負けじとデッキを取り出そうとする海馬に触れた。

「何だ」
「ボクにやらせてほしい」
「馬鹿を言うな!これはオレと奴との因縁だ!貴様には何の関係も無い!」
「あるよ。やっぱりボク……放っとけないんだ。だって一度は分かり合えた相手だし。それに、『ボクが居た方がいいよ』って言ってまで付いて来ちゃったからね。何か役に立たなくちゃ」
「そんな言い分が通るか!」
「見ててほしいんだ」

 海馬は遊戯の決闘のことをよく知らない。だから見ていてほしいのだ。遊戯はアテムに自信をもらった。それをちゃんと、もう一度見ていてほしい。何も知らずに一蹴されるのは嫌だ。遊戯だってかなりの負けず嫌いなのだ。

「いいよね?乃亜」
「……リベンジだね。いいよ、今度こそボクが勝つさ」

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