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往復切符



 久々に見た海馬くんは、シャツにネクタイだけで、上着が見当たらなかった。段々夏が近づいてきて、そろそろ学ランも暑いと思い始めていた時季だから、その格好自体は別におかしくない。でも、海馬くんらしくはないなと思った。いつでも海馬くんは完全でいようとする。隙が無いのが海馬くんのはずなんだけど。

「どうしたの」
「どうもせん」

 どうもしないわけはない。そこまで馬鹿にされちゃボクだって困る。海馬くんがいつもと違うことくらいはすぐに分かるんだ。

「仕事は?」
「……暫定的に休みだ」
「ざんてい?」
「休みだ」
「じゃあ、手」

 海馬くんの目の前に手のひらを出した。でも海馬くんはそれを冷たく見下ろすだけだ。これはいつものこと。海馬くんは多分、ひどく人に甘えるのが苦手に違いない。だからいつもボクは仕方ないなあってこっそり思う。

「いいよね」
「フン」

 その返事は「うん、いいよ」ってな感じに聞いとこう。海馬くんの少しかさついた手のひらを握った。いつかどうして手が荒れてるのか聞いたら、紙ばかり触るからだろうと答えられた覚えがある。わけもないけど、ボクはその返事がすごく気に入った。だから海馬くんのこの手がすごく好きだ。

「どっか行こう。休みならさ」
「どこにだ」
「どこかにだよ」

 ぐいぐいと手を引いて、海馬くんを引っ張る。いつも小走りじゃないと追いつけない海馬くんの足は今日だけゆっくりだ。ちょうど童実野駅が近かったから、そのまま切符を買って電車に乗り込む。文句を言われると思ったけど、海馬くんは特に口を挟んでこなかった。
 平日の昼下がりは人がとても少ない。試験で学校が早く終わったのが良かったのか、海馬くんはむしろそれを狙ってボクのとこに来たんだろうか、どっちか分からない。ボクに会いに来てくれたんならいいのに。試験なんて午後から自由時間ぐらいの意味しかないし、海馬くんがボクのところに来てくれる方がよっぽど意味がある。

「海馬くん、着くまで暇だから、ゲームしよう」
「ゲーム?」
「うん。目を瞑ってさ。窓の外の空がどんなふうか当てるゲーム」

 電車に入ってくる太陽はきついぐらい明るいのに、中は空調のおかげで少し肌寒いぐらいだ。電車がレールを踏む音がする。ガタンガタンとうるさいけど、人が少ないから声が響きそうでボソボソしゃべった。

「馬鹿馬鹿しい。今貴様の目の前にあるものは何だ」
「ゲームだよ。ほら、」

 海馬くんに見せつけるように目を閉じたら、握った手が湿っぽくてあったかいのがよく分かった。不思議だ。海馬くんって本当に激しい人だけど、こうしてると何でか落ち着いてくる。海馬くんもそうだったらいいのに。だからボクのところに来たんだったらいいのに。

「どんな感じ?」
「……気象庁の発表の通りだ」
「ボクは曇りかな。雨が降りそう」

 目を開ける、と、海馬くんと目が合った。だけど海馬くんは何も言わない。ちょっと腹が立ったみたいな顔をしているだけだ。だからボクは笑って目を閉じた。自然に海馬くんの肩に頭が乗る。

「着いたら起こしてね」
「だからどこまでだ」
「海馬くんの行きたいとこまでだよ」

 呆れたようなため息が聞こえる。それでもかさついた手のひらはやっぱりまだボクの手の中にある。だからボクは、まぶたの向こうの空が早く晴れますように、って思うわけなんだ。

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