2 am – 2
執着はみっともないし、時間の無駄だ。理屈では分かっている。なのに仕方のないことだと諦めなかったのは、そうした瞬間に「自分」が消え去ると分かっていたからだ。「いらない子」の烙印を押されてから日に日に屋敷の空気の中に薄れていく存在を、自分以外の誰が守れるというのだろうか。諦めたほうが楽になるなんて嘘だ。誰にも必要とされていないのに、誰かにおもねって生きるなんて意味がない。諦めた瞬間に「燕夏準」は死ぬ。体が生きているだけの存在に成り下がると分かっていた。死にながら生きるよりは、憎悪に焼かれながらでも存在したほうがマシに決まっている。血だけに飛びつき、夏準という人間を見なかったことを破滅と共に後悔させてやるのだ。
自分を諦めきれなかった。そして諦めないための手段は恨むことだけだった。それはずっと、復讐を終えるまで変わらないだろうと確信していた。自分でより深くより強く意味を刻んでいかないと存在がまた薄れていく気がする。だから、何も知らない人間が口々に屈託なく夏準の存在を祝う誕生日は、気休めでも悪い気はしなかった。有利に築いた関係の中、夏準の存在を無視できない人間たちが足を止める。逆に言えばそれだけだ。365日の内の変哲のない一日、少しの安堵を得て、日付が変わる頃にそんな自分の弱さがつまらなくなる。
けれど結局これも、アレンを拾った日から変わってしまった。いくら言葉で表したって本人には伝わらないだろう。アレンは当然何も知らない。夏準が崖の先で生き繋いでいたことも、何気なく口ずさむワンフレーズで夏準をまっさらにして、ゆっくり中身を塗り替えていったことも。きっとアレンもアンも夏準が初めから「そういうやつ」だと信じている。そして──そのおかげで、夏準もきっと「そういうやつ」として存在している。殺されて、生まれ直した。そう言うと少し大げさだろうか。でも二人に祝われるその日は、もはや平凡な一日ではない。何物にも代えがたい特別な一日だ。手放すのが怖いと思えるほど。
「夏準」
深夜のリビングに入るなり明るい声がかけられてギクリとする。今夜は部屋で作業すると言っていたから完全に油断していた。動揺がバレないように笑顔の仮面を咄嗟に拾い上げる。アレンはいつものローテーブルの前だ。曲が固まるまでは部屋じゃないほうが捗るなどと言って、アレンは家の中のあらゆる場所を自分の作業場にする悪癖がある。
「なんか久々だな」
座るか、ポンとソファの座面を叩く軽い音。随分昔に逆の立場で同じような夜を共にした気がする。いつから、どれほど悟られていたのだろうか。眠れない夜を共有する誰かに感じる感情を。直接聞く気はしない。弱い自分を自分から認めにいくのはやっぱり癪だ。
「ああ、大丈夫です」
執着はみっともないし、時間の無駄だ。それでいて、打ちのめされた心をいくらでも暗く燃やせる効率のいい燃料でもある。誰かを傷つけてでも「自分」を存在させるための手段になる。けれど今、夏準は誰が何を言ってきたところで自分が儚く散り去るだなんて馬鹿なことを考えていない。
「もう充分です」
だから、そう信じさせてくれた二人を傷つける感情を、初めて諦めたいと思っている。