2 pm – 1
「夏準! おかえり……って、なにそれ!」
ダイニングテーブルで向かい合うアンの瞳にたちまち興味の光が満ち、宝石のように輝いている。つられて後ろを振り返れば、まず鮮やかな色が目に飛び込んできた。リビングに入ってきた夏準の腕の中にある、縦長なブーケから零れる花の色だ。細い枝に連なる紫がかったピンク色はどこか夏準の幻影の色に似ている。二人の視線を受けた夏準はふっと表情を緩め、テーブルに歩み寄ってきてブーケを傾けてみせた。まるで赤ちゃんでも抱いているみたいな柔らかな仕草だ。機嫌が良いのがよく分かる。
「撮影で使った花です」
「へえ? 綺麗だね。色も夏準っぽい。Azalea……かな?」
「ええ。진달래、日本語だとツツジ、ですね」
指輪の絡みつく長い指が伸び、一輪に優しく触れ、その根元をぷつりと断った。よくできました、とでも言いたげな笑みでアンにその一輪を差し出している。そのなんでもない仕草が絵になるのがさすがだ。差し出された花を遠慮なく受け取ったアンは「いい匂い」とはしゃいでいる。
「少し早いですがボクの誕生日に合わせて、わざわざ向こうの品種を取り寄せてくれたそうです。せっかくなので少しもらって帰りました」
「えー、すごいじゃん! ツツジが有名なの?」
「有名と言うと무궁화のほうだと思いますが、夏の花ですからね。ツツジは春といえば……の内のひとつ、という感じでしょうか」
窓から入ってくる今日の日差しと同じような暖かさと明るさのある声を、アレンはただぼんやりと浴びていた。トントン、と気のすっかり抜けた肩を叩かれてアンに視線を向ける。
「ボクたちのプレゼント、これ越えられるかなあ」
言葉とは裏腹にアンの顔には無邪気な笑みが乗っていた。珍しく浮かれた様子の夏準を茶化しているのだろう。夏準がアンやアレンのプレゼントを喜ばないはずがない、そんな自信を根っこから吸い上げた笑みが満開だ。
「期待しておきましょう」
夏準にも当然それが伝わっているので、アンの指からツツジの花を引き抜いて耳元に挿して遊んでいる。けらけら、アンがくすぐったそうに笑う。いつもの毎日だ。毎年、毎日、毎秒、積み重なるごとに穏やかさが増していく心地よい空間。そのはずなのに、アレン一人だけがうまい呼吸のしかたを忘れている。意識して肺を動かしていることを悟られたくなくて、テーブルに頬杖をついた。
「……リクエストは?」
押し出した声はどこか不機嫌な響きになってしまった。夏準とアンの表情から春の笑みが消えて、きょとんと意表を突かれた表情になる。なんだか気まずくて目を伏せた。
「おやおや、今年は無粋ですねえ」
「めずらし、ホントに自信なくなっちゃったの? あ、それとも被っちゃった?」
「要らないものあげてもしょうがないだろ」
自分から作ってしまった妙な空気をごまかすため、アンとアレンジ作業に使っていたラップトップに触れて画面を適当にいじる。しかし、ふっと笑われた気配がして顔を上げてしまった。機嫌の良い笑みを浮かべたままの夏準の指がまた一輪、花をぷつりと摘む。
「そんなことを言うならこの花だって要らないものですよ。無くても生きていけます」
指が伸びてきて何かと思えば、しかめ面のアレンもアンと同じように花を飾られる。アンと違って自分にこんな可愛らしい花が似合うはずがない。随分間抜けな見た目になっているのではないだろうか。
「嬉しいプレゼントは、必要かどうかと関係ないでしょう?」
花を外そうと上げかけた手を押し留めるように夏準が身を乗り出してきた。手に持つ花束からなのか甘い匂いがする。人形みたいな仮面でもない、揺さぶって遊ぶための棘も出ていない、心底嬉しそうな春の笑み。なんでこれを真正面から浴びているんだろう、つい最近まで当たり前だったそれを疑ってしまう。
「……じゃあ何なら嬉しいんだ?」
「当ててみてください」
アレンの複雑な感情なんてまるで気にしていないように、夏準はあっさりテーブルから離れていった。甘い匂いだけがそこに残っている。ため息を吐いて耳元からツツジを外せば、怪訝そうなアンと目が合った。言葉なく「どうしたの」と問われている。らしくないことを言ったのはアレン自身も分かっている。誕生日に贈りたいのは物じゃない、そこに添えた気持ちだ。毎年そうやって二人へのプレゼントを選んできた。
「別に。ただ……知りたかっただけだよ」
分からなくなったから。その「添える気持ち」を、夏準がどう受け取っているか。少し前まで知っている自信があったのに。唐突に知らない道に放り出されたみたいに途方に暮れている。