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ワン・アンド・オンリー・ユー (円+豪)



※ 2010-07-18 / 青春カップ2 / A5コピー / 20P / 円豪
※ Pixiv掲載: https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=2268433

 一度だけ豪炎寺の家まで行ったことがあった。

 その日は一日曇りで、朝からいつ雨が降り出してもおかしくない空色をしていた。なんとなくスッキリしないままの灰色は、それでもなんとか昼、部活、夕方と続いていたのだ。だが円堂がいつものように鉄塔広場で特訓している間に、分厚い雲の上で誰かが雨水いっぱいのバケツをひっくり返してしまったらしい。家を出る前に傘を持って行けと持たされたはずなのに、すっかり部室に忘れている。為す術もなく全身びっしょりになりながら駆けた。

「洗う手間省けたって見逃してくんないかな……」

 帰るなり浴びせかけられそうな小言を想像して、今日の空より気分は重い。しかし何を考えたって、降られてしまった以上は仕方ない。風丸のように足が速ければ雨と雨の間を走っていけないだろうか、なんとなくちょろちょろ蛇行しつつ走ってみる。

「円堂!」

 びちゃびちゃと足元のコンクリートを跳ねる雨音の向こうから、大きな声がした。振り返ったが誰も居ない。真横の車道を大きなトラックが横切っていくと、その向こうに見慣れた顔を見つけた。ガードレールに手をかけて、車にぶつからない程度に身を乗り出す。それでもクラクションを鳴らされたが。

「豪炎寺っ!」
「お前、傘は!」
「部室にっ忘れた!」

 サラリーマンや学生がぎっしり詰まったバスが目の前に停まった。すぐそこの信号が赤に変わったらしい。豪炎寺の姿が見えなくなってしまったので慌てて駆け出した。横断歩道の信号はもちろん青で、こちらへ渡って来ようとする豪炎寺の傘も青だ。慌てててのひらを突き出す。

「そっち行く!」

 ダッシュで車道を横切って、豪炎寺の目の前に立った。思わぬところで会ったのが嬉しくて、バンダナや髪から目に流れてくる水滴をごしごしと拭って笑う。だが豪炎寺の顔はしかめられたまま変わらなかった。

「豪炎寺?」
「……お前、びしょ濡れじゃないか」
「まあ、後は家帰るだけだしさ」

 すぐ風呂に入れば風邪も引かないだろう。梅雨の時期は練習中に降られることだってあったので、今更気にするほどでもない。だが豪炎寺はびしょ濡れのジャージごと円堂の腕を掴んだ。そのまま無言で歩き出す。

「……豪炎寺?」
「お前の家、まだ向こうだろ。オレの家の方が近い」

 豪炎寺があまり飾った喋り方をしないのはいつものことだし、普段気にしてもいないが、なんだか今日は怒っているように聞こえた。声がかけ辛いので黙って引っ張られる。
 確かに豪炎寺の家は歩いて数分のところにあった。最近できたばかりのマンションで、入り口に小さな水路のようなものがあったり、円堂にはよく分からないオブジェが置いてあったり、とにかく高級そうだ。興味津々、という文字を隠さずに目を動かしていたが、豪炎寺がぐいぐい引っ張るので床を水で汚しながら中へ進んでいく。エレベーターから降りてすぐの扉が、豪炎寺の家だった。

「そこに居ろ」

 玄関の明かりは煌々と明るいが、部屋の奥は暗そうだ。誰も居ないのだろうか。豪炎寺が立ち去ってしまうと、円堂の立っている空間には他に何の音もない。広いのに、静かだな。そう思った。

「ほら、タオル」
「悪いな、ありがと!」
「今日はフクさん……いつも来てくれてる人が居ないから、大したことはできないけど、そのまま帰るよりマシだろ」

 それってお手伝いさんってやつ、鬼道もすごいけどお前もすごいな、体を拭くのもそこそこに話していると、豪炎寺が手を伸ばしてきた。

「わっ!」

 タオルを奪われ、頭に被せられて、乱暴にごしごしと髪を拭かれる。バンダナが落ちてきて目にかかってきた。自分でやるって、そう何度も抗議したが、豪炎寺は黙ったままだ。

「豪炎寺?なあ、なんか怒ってないか?」
「……」
「よく分かんないけど、怒らせたなら、ごめんな」

 手が止まった。ひとまず目だけでも上げようとしたが、やっぱりできないままだった。豪炎寺にタオル越しに抱きしめられている。それに気づくのに少し時間がかかった。
 濡れるぞとか、どうしたんだとか、言いたいことは山ほどある。豪炎寺のタオル越しの力はそう強くないから、無理矢理抜け出して表情を確かめてもいい。でも何故か円堂は動けなかった。玄関先で一段低いところに居る円堂の顔の前にあるのは豪炎寺の肩口だ。豪炎寺の匂いがするな、そう思うと全部がどうでもよくなってしまった。だからしばらく、そうやって豪炎寺に抱きしめられていた。

 少し経って、着替えを貸してやるからと離れていった豪炎寺は、戻ってくるといつもと変わらない顔だった。さっきのことなんて何も無かったように、いつも通りの会話をしていつも通りに別れた。
 でも本当はずっと、気になっている。なんであんなこと、したんだろうって。

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