文字数: 3,078

友達ごっこ (ブレイク)



 さくさくと砂の上を歩いている。

 遠くの証明が照らすライオコット島の砂浜は、夜の闇に浮かび上がって不健康な色をしている。日本とは違う澄んだ空気が、何億光年先にある星や月の光をそっくり地上に通している。砂粒のひとつが時折光るのはそのせいだろう。弱い光を眩しいとも思わず、踏みながら歩く。砂がざらざら鬼道の後ろに一歩の形を作って行くが、できるだけ振り返らずに歩いた。

 そうしていれば何かが変わるかは、実際分からない。衝動的な行動だった。どんどん宿舎が遠くなっていくだけなのに、どこまで行くつもりなのか。動いているのは自分の足なのに、それを見る心は他人事のように呟いている。

 ―――ふと。

 振り返りそうになってやめた。後方から自分のものでない足音が近づいているのに気がついたからだ。大体の見当はついている。だが、どうしても足が止まってくれなかった。チームのメンバーであることは間違いない。試合の結果が結果だ。眠れずに起き出してしまったのかもしれない。だったら鬼道は、立ち止まり何も言わずその肩を叩いてやればいい。鬼道も同じ気持ちを抱えている。だがもし、そいつが『鬼道』を追っていたなら。かけられる言葉や目の色を想像しただけで胸のあたりがきゅうっと締め付けられるようだった。

 さくさくさく、足を速める。さくさくさくさく、後方の足音も早くなる。距離が更に狭まって気がついた。足音は二人分だ。いっそのこと走り出してしまおうか、そう考えたが、同じことを考えたらしい後方の二人の方が行動力に勝っていた。それはそうだ――イナズマジャパンの攻撃と守備の二本柱が揃っているのだから。

 鬼道の左右にそれぞれ並んだ円堂と豪炎寺は黙りこくっている。観念して二人の顔を確かめた鬼道も何も言わない。というより、「言えない」が正しい。二人はひどく神妙な顔をしている。それはいい。しかし円堂の方は両手でそれぞれ輪を作り、目に宛がっている。豪炎寺はマネージャーたちが心を込めて洗ったであろうバスタオルを肩にひっかけ端を両手で引っ張って、ひらひらとなびかせながら歩いている。

「……何してる」

 異様な二人に挟まれて早足で歩いていたが、耐えられなくなって立ち止まった。数歩前を過ぎ去ってしまった二人が真剣な表情で振り返ってくる。

「見て分からないか」
「……まったく」
「鬼道ごっこだよ!」

 分かれと言うのかそれを。どこか責めるような感のある二人に何故か圧倒され、何も返せない。どう考えてもふざけているという結論しか出てこないが、それを口にするのも憚られるぐらいの雰囲気だ。

「なんでそんなことをしてるんだ」
「したかったから」
「答えになってないぞ……」
「怒らせたか」
「いや……怒る、というかそれ以前だ……」

 鬼道の答えをどう解釈したのか正確には分からないが、ひとまず怒ってはいないと理解したのだろう。円堂と豪炎寺がほっと息を吐く。この二人を見ていると、身構えて足を速めていた自分が馬鹿みたいだ。円堂の顔がへへ、といつものように笑みに崩れた。

「オレもバスタオル使おうと思ったけど乾いてなくってさあ」
「また出し忘れたんだろ」
「なんでだろ、溜まっちゃうんだよなあ。シーツとかだと汚れるし……あーあ、やっぱり似てないかあ」
「オレのは結構いい線行ってると思ったんだけどな」

 どこか得意そうな豪炎寺に呆れる。どこがだ。しかもそんな豪炎寺の発言を真に受けた円堂が、豪炎寺のバスタオルを本気で羨ましがっているので輪をかけて呆れる。仕方ないのでマントの紐をゆるめた。外して、円堂に差し出してやる。

「貸してくれるのか!?」
「……ああ」
「ホント!?サンキュー!」

 これで鬼道だ!円堂がマントを羽織って難しい顔を作っている。最初の真剣な表情は鬼道の真似でもあったらしい。普段、そんなに難しい顔をしているだろうか。皇帝ペンギン3号、と叫ぶが指笛は鳴らせないようだった。思わず笑ってしまう。

「円堂、あとでオレにも貸せよ」
「分かってるって!」
「……まずオレに許可を取るべきじゃないのか」

 少し拗ねた様子の滲む豪炎寺にも笑いが出た。大抵のことには動じない奴なのだが、円堂が絡むとどうにも子供っぽくなるところがある気がする。円堂に感化されているのか。鬼道にとっては、一概に悪いとも言えない影響だと思っている。ゴーグルを外して、差し出すと、さすがに豪炎寺も驚いたようだった。

「いいのか?」
「『鬼道ごっこ』なんだろう」

 丸くしていた目が細くなって、豪炎寺がありがとうと答える。露骨に羨ましがる円堂を尻目に、ゴーグルを目に当てた。途端、一気に喉元まで迫り上がってくるものがある。円堂も鬼道も、よく我慢した方だと思う。だが、数十秒もするとダムが決壊して笑いの洪水だ。不本意そうな豪炎寺は、さっさとゴーグルを外し、円堂のバンダナの上にゴーグルを巻いてやっている。円堂も向かい合ったままの豪炎寺にマントを羽織らせている。そんなことの何が楽しいのかと思うが、笑いをひきずりながらそれを見ている鬼道に言えたことではないのだろう。豪炎寺が右肩に引っ掛けていたバスタオルを奪って羽織った。

「オレになってみてどうだ」
「うーん、鬼道って難しいんだな」
「そんなに簡単にオレになられても困る」
「それもそうか」

 豪炎寺が納得したように呟く傍らでは、円堂が指笛に再チャレンジして失敗を繰り返しているようだ。先程まで体中を巡っていた緊張も、空転が止まらず眠りを遠ざけていた考えも、今ではどこか遠い。穏やかな波の音がした。先程まで自分の足音しか聞こえなかったのに。

「鬼道にはなれないけど、ごっこならできるかなって思ったんだけどなあ」

 円堂はゴーグルを目に当てたり、外したりしている。うっかり手が滑ったらしく、ゴムが縮んでぱしんと音がした。あてっと声を上げる様を豪炎寺が笑う。

「結局いつもと変わらないな」

 豪炎寺の言う通り、いつもと変わらない。円堂と豪炎寺が、チームの仲間が隣に居る。そして彼らのサッカーが、鬼道のサッカーを作っていく。やっと少し眠くなった気がする。バスタオルを引き寄せる。

「いつもと変わらないから、いいんだろう」

 円堂と豪炎寺が何故唐突におかしなことを言い出したか、その原因はやっぱり鬼道にあるに違いない。だが、それでも二人はいつもと変わらないのだ。

 鬼道の過去は、そこから続く現在と未来は、ひょっとすると鬼道の頭から爪先までまるごと全部か、とにかくそれは今日で劇的に変わってしまったかもしれない。去っていく『あの人』の後姿と、そこに重ねる複雑過ぎてちっともまとまらない思いが目蓋と頭から離れない。だが隣に立つ二人が、『鬼道有人』という人間が今確かにイナズマジャパンというチームに居ることを証明してくれている気がした。

「帰ろう、鬼道」
「さすがにもう寝ないとな、鬼道!」

 円堂と豪炎寺が歩き出す。お前たちも『鬼道』なんじゃないか、からかいながらさくさく、その後を追った。円堂や豪炎寺のつもりで笑みを作る。何年か、何十年か経てば、この頭の中もきれいに整理できるだろうか。静かに『影山零治』という人間を見つめられる日が来るだろうか。

 その時まできっと、オレはこの夜のことを何度でも思い出すんだろうな。

-+=