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はなことば (ブレイク)



 こんなところに、という稲妻町の一角にひっそりとその花屋はある。

 その青年がすぐに目に付いたのは、頭から爪先まで皺のひとつも無いスーツ姿だったから……ではない。スーツ姿の人間なんて、今この時にも世界中に数えるのが馬鹿らしいほど棲息している。だが、スーツが似合っている人間、となるとその数はぐっと減るのではないだろうか。ぼうっと店の看板を見上げて顔をしかめているので、店先に出た。贈り物ですか?

 ぱちぱち。眼鏡越しに二度瞬きが帰ってくる。声をかけられたのが自分だと思わなかったらしい。構わずに、お祝いの大きな花束は少し時間がかかる、と続ける。

「……お祝い?」

 スーツがあまりに高価そうな気合の入ったものだったから、結婚式か何かかと思ったが違ったのだろうか。そのまま伝えると、青年は少し困った顔をする。

「……こんなところに花屋なんてあったかと思っただけです」

 青年は昔この近くの中学校に通っていたことがあったらしい。だがもう何年も来ていないから、街が変わるのも当然だなと一人で納得している。では、仕事か何かで通りかかったのだろうか。

「いや、友人と会う約束を。もう何年ぶりになるのか……」

 言ってしまってから、青年は明らかにしまった、という顔をした。一応客商売、余計なことは一切言っていないが、『そんなかしこまった格好で?』という視線は隠しきれなかった。つい謝る。

「……仕方ないだろ。着るものが……思いつかなかったんだ」

 恥ずかしそうに漏らす青年を見ると、微笑ましさに笑顔になってしまった。馬鹿にしたと思われても困るので、足元のプラバケツを作業のフリで少し動かす。

「綺麗な花だ」

 そのまま立ち去るかと思ったが、青年はプラバケツに生けた花が気になったようだ。そうでしょう、でもそんな格好でこの花を持って出かけたら誤解されるかも。青年はまた目を瞬く。青年が目に留めたのはキクの花だ。そうは見えない、と不機嫌に答えられたように、確かにいわゆる仏花のキクとは品種が違う。贈り物にもよく使う綺麗な花だと冗談の弁解をするが、青年は顔をしかめたままだ。苦笑する。

「……花束二つは、時間がかかりますか」

 しかしそれは、青年なりの照れ隠しだったようだ。急ぎましょうと答えて、すぐにいくつかの種類のキクを組み合わせ作業にかかる。アナスタシアにダブリンにセイサイファ、それからピンクのバルセキロ。これで誰も彼から葬式に向かうしめやかなムードなんて感じ取らないだろう。店内にある作業台から確認すると、青年は居心地悪そうにベンチに腰掛けていた。

「小さくて構わないので。どうせ花なんて腹の足しにもならないと思ってる奴らなんだ」

 本当に友人で、デートの照れ隠しではなかったのか。思わず考えを口にも出してしまったので大声で否定される。しかし、そんな友人では贈り甲斐も無いだろうに。団子屋なら三件先にあると言うと、知っている、まだ潰れてなかったのかとぶっきらぼうに返された。あとは沈黙。茎を水の中で折り、アレンジを考えていく。

「……理由なんてない」

 時間を気にし始めた青年のために駆け足で花束をまとめた。赤を中心にした花束は、沈痛な色をしたスーツに文字通り花を添えている。花束を受け取った青年の言葉が唐突だったので、反射で聞き返した。

「やっと会える友人に花を贈るのに、理由が要りますか」

 答えの代わりに笑ってやると、やっぱり照れ隠しか青年は礼を言ってそそくさと店を飛び出していく。思わず漏らしてしまった一言が気になって、ベンチの上でその答えをじっと考えていたのか。キクの似合う人ね、作業台に頬杖をついて苦笑した。

 次に店の前に立ち止まった青年も、これまた目立つ出で立ちだった。いや、ジャージにバンダナ、という姿だけ言えば、ランニングか何かの最中かと思うだけで特に気にならないだろう。しかし、失礼とは思いつつ、どう見ても花屋に立ち寄るような人種に見えなかったのだ。

「……こんなところに花屋なんてあったっけ……?」

 久々だからなあ、青年は呟いた。いや、呟いたというよりは叫んだ。いかにもスポーツマンという印象の大声である。あったんですよ、苦笑しながら店先に出た。

「あっ、ごめん。気づかなかったわけじゃなくて……」

 なんでも、この青年も過去この町に住んでいたが、ここ数年は帰ってきていなかったらしい。街が変わるのも当たり前だよな、やっぱり一人で納得している。ひょっとして、先ほどの青年の言葉が頭をよぎる。この青年が待ち合わせの人物だろうか。

「……!なんで待ち合わせって分かったんだ?」

 一瞬迷って、花屋は何でも分かるんですなどと適当なことを言っておく。キクの花束はきっと、サプライズの方が渡すのも渡されるのも嬉しいだろう。苦しい言い訳だったが、冗談だと思って青年は笑ってくれた上、そんなに嬉しそうな顔してたかな……だなんて自分を疑い始めている。少し悪い気分だ。

「今日は、ずっと会いたかった奴らにやっと会える日なんだ。もう朝から嬉しくってさ!」

 その友人は二人で、中学時代の同級生だという。高校時代までは道が分かれても交流があったが、その後は完全に別々の道を取ることになってしまった。だから再会までの年数を決めて、それまでにお互いベストを目指すよう誓い合ったのだという。

「あいつら有名だから、会わなくたってどんなに頑張ってるか分かっちゃうんだけどさ」

 まるで自分のことのように青年が嬉しそうに笑った。それに釣られてつい笑顔になる。なるほど、これは確かに花でも贈りたくなる友人だろう。待ち合わせの時間を聞けば、もう少し先だ。スーツの青年は随分早い時間だったらしい。あれだけ真面目な気性で、鮮やかな花束片手に待ち合わせ場所に棒立ちしているかと思うとかわいそうな気もする。それにしても先の青年に比べて、この青年の格好は随分ラフだ。

「ああ……格好?何着れば分からなかったからさ……、あいつらとはサッカーで仲間になったんだ!だから、再会してもやっぱりサッカーかな……ってね」

 答えつつ、青年の目はこちらを見ていなかった。きょろきょろと店先のディスプレイを眺めている。身を乗り出して店内まで注意深く観察しているようだ。そしてあれ、綺麗だなと指を伸ばした。

「ひまわりだ!」

 がく、と脱力しかける。ガーベラですよと訂正すると、ごめんと無邪気に謝られた。確かに言われてみると黄色いガーベラはヒマワリに似ている――と言えないこともない。ピンクや赤、オレンジに白もあることを指差ししながら示す。青年は感心したように頷きながら近づいて、ガラスの向こうのガーベラをしばらく眺めていた。

「うーん……花束二つって時間かかるかな」

 急ぎますよと返すと、満面の笑みでお願いしますと叫ばれる。花びらが反り返っていないか注意深く観察して、なるべく鮮度の高い花を選ぶ。ガーベラを中心に、カスミソウやスモークグラスで柔らかに仕上げる。包装に気を遣いながら、ベンチで落ち着かない様子の青年に声をかけた。男性への贈り物にしては可愛くしすぎたかもしれない。だが青年は気にした様子もなかった。

「頑張った奴には拍手するだろ?」

 スーツの青年の答えを聞いていたから気になって、この青年にも聞いてしまった。どうして花を贈ろうと思ったのか。

「でもあいつらは俺の両手じゃ足りないくらい、頑張ってると思うから」

 時計を確認して、やばいと漏らした青年が店を飛び出していく。小さな花束を大事な宝物のように抱えながら、一度だけ笑顔で振り返った。こっちはガーベラの似合う人、呆れて小さく笑った。

 ジャージの青年を見送って店に戻ろうとすると、すぐ背後に人が立っていて驚く。こちらは見ておらず、ぼんやりと店の看板を眺めている。先手を打って最近開店したんですと申告すると、青年もこちらに驚いたようだ。

「そうか……もう何年も経ってるからな……」

 その呟きが、それ以上何も聞かなくても青年の状況を説明していた。青年はきっと、数年前この町を離れて、そして大事な友人たちに会うために戻ってきたのだ。営業スマイルもいつもの数倍は柔らかくなる。青年はじっとこちらを見ていたが、ふいと顔を逸らして店の奥を指差した。

「あの花は。……あの花はなんと言いますか」

 小さな缶バケツで白い花をつけているのは、開花が遅いため手間をかけて育てているオーニソガラムだ。もう随分花をつけている。

「あれで……花束を作ってもらうことはできますか。二つ」

 時計をちらりと見た。ジャージの青年が告げた時刻はもうすぐそこだ。構わないが急いでも多少の時間がかかることを告げる。しかしそこで青年が示したのは難色ではなく、何故か困ったような笑みだった。

「俺は……遅れることになってるんです。いつも」

 それだけ言うと、ベンチに腰掛けて街路をぼんやり眺め始める。スーツほど畏まっているわけでも、ジャージほどラフでもない普通の私服だ。聞いてみれば、彼も着る服に迷ったのだと答えるのだろうか。

 オーニソガラムは少し小ぶりの花なので、大きくて軽やかな花弁のシャクヤクやキキョウなどと組み合わせる。

「……誰かに似ていると言われることはないですか」

 突然青年が口を開いた。残念ながら、生まれてこの方誰かに似ていると言われたことはなかった。芸能人どころか、悲しいことに家族と比較されたことも無い。青年はその答えを聞いて更に何か言おうとしたが、結局やめにしたようだ。花を贈るなら相手は女性ですか、白々しく質問してみる。

「いや……友人です。同性の。ただ……」

 ラッピングがまとまったところで顔を上げると、青年は明後日を向いたまま小さく笑っていた。優しい色をした目が細くなっている。

「ただ、贈りたいから」

 花束を差し出すと、青年は丁寧に礼を返した。片手にまとめた小さな花束二つに加え、ビニールで包んだ一輪のアマリリスを差し出す。花言葉は誇りって言うんですよ。サービスです。今日は珍しく繁盛してるから、戸惑う青年にそう説明した。

「……ありがとうございます」

 時間は大丈夫なのかと問えば、青年は慌てて駆け出した。遅れ過ぎてもいけないのだろう。その背が道の向こうに消えるまで見送る。

 オーニソガラムは開花が遅い。つぼみが中央に集まっていて、外のつぼみから順に咲いていくのだ。小さな努力が順に実って花になっていく。そういう生き方なら、拍手だけでなく花でも贈りたくなるだろう。

 子供の成長って、本当に早いものなのね。

 その一瞬しか見ていられなかったけれど、昔から何度も繰り返される言葉はやはり正しいらしい。幼い頃の夢だったごっこ遊びの花屋を背に笑う。本当に、あなたは私の「誇り」だったのよ。もちろん今もね。

 こんなところに、という稲妻町の一角にやっぱり花屋なんてない。

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