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恋ってやつは



「やあ、バーナビー君!……と、ワイルド君だね!」
「は?」

 思えばあの人は最初から親しげだった。まるで数年来の友人にあいさつを交わすかのように、何の気負いもなく近づいて微笑んだ。しかし、当然バーナビーは彼のことを知らない。このトレーニングルームに居る以上、ヒーローなのは間違いないし、覆面の時の容姿や特徴を照らせば大体予想はつく。けれど、その予想を相手に強要させる態度は、意識的にしてもそうでないにしても傲慢だ。

「おい、スカイハイ……だよな?バニーちゃんが困ってるみてぇだぞ。マスク無しだと初対面だし、まずはアイサツだろ?」
「バニーじゃありません。僕はバーナビーです」
「ああ、そうか、そうだね……これは失礼!実に失礼!」

 長くヒーローをやっているだけのこの鈍くさい『オジサン』が言うには、現役ヒーローたちが公的に、このようにマスク無しで交流する場を持つは初めてらしい。その割にはこのオジサンも、目の前の『キング・オブ・ヒーロー』もランキングの天地揃って慣れ慣れしい。と言うより、無遠慮で失礼だ。

「私がポセイドンラインのスカイハイさ。今までヒーロー同士の交流はあまり無かったからね。この場で会えたことを嬉しく思うよ。うん、実に喜ばしい!」
「イメージまんまっつーか……ブレない奴だなお前……」
「えっ」

 その点だけはオジサンに同意したい。不動のキング・オブ・ヒーローとまで言われているくらいだ。ファンサービスのマスクを取れば、もう少し張り合いを感じさせる人間なのだろうと予測していた。全く以って期待はずれだ。さっさとこの場を離れようとしたところで、タイミング悪く右手を両手で包まれる。

「そうだ、そして君のことをきちんと歓迎したかった。デビューおめでとう、バーナビー君!共にこの街のために頑張ろうじゃないか!」
「はあ、ありがとうございま……っ」

 バーナビーの気のない返事をどう捉えたのかは知らないが、キースは満面の笑みに載せられた二つのスカイブルーを快晴にした。それからバーナビーの腕を引き寄せ、そのままハグをする。反射でその胸板を突き放していた。

「やめてください。僕は、慣れ合う気はありません。僕が貴方に興味を持つとすれば、それは順位とポイントの数だけだ」

 何も分かっていない呆けた表情に苛立ちが募る。オジサンもこの男も、バーナビーを面白半分にぬるま湯へ突き落とそうとしているとしか思えない。バーナビーはそんなものにいちいち構っている暇は無いというのに。

「失礼します」

 背を向けた後方からごめんな、と何故だかオジサンが謝っているのが聞こえる。何がごめんだ。何様のつもりだろうか?謝ってほしいのはこちらの方だ。まだ手と胸のあたりにぬくもりが残っているような気がして、腹が立って仕方がなかった。

「バーナビー君!」

 無理をしてジェイクと戦うバーナビーの元まで駆けつけてくれた虎徹を医者の元まで連れて行き、その足でICUに向かった。部屋に入るなり声をかけられて驚く。相変わらずいつでも親しげな人だ。

「よく来たね!待っていたんだよ!」
「は?僕……ですか?」
「もちろん!ロック君も折紙君もそうさ!」

 目だけを動かせば、アントニオやイワンが熱っぽい表情で頷いている。絶望的と思われた戦況の中、たった今バーナビーが持ち帰ったものに興奮しているのだ。それが伝わって表情が変わりそうだ。取り繕うように足を踏み出す。

「おいで!ここだよここ!」
「はあ……」

 キースは少し顔をしかめながら、身を乗り出してベッドのシーツを叩いた。昨日の今日だ。少しの動作でも傷が痛むのだろう。そう思えば逆らうのも憚られるし、そもそも逆らう理由もなく大人しくベッドに腰掛ける。

「あの」
「今だけは順位もポイントも関係なく共に勝利を喜んでも構わないだろう?」

 ゆっくりとキースの体が傾いた。経験から何をされるのか瞬時に悟ることができたが、バーナビーは動かなかった。痛みにしかめられた顔が肩に押し付けられ、背に手が回るのを傍観している。驚いたが、それはキースの行動にではなく、何ヶ月も前のバーナビーの言葉を覚えているキースに対してだ。

「気持ちは嬉しいんですが、別にこんなことまでしなくても……」
「君が無事に帰ってきてくれたことを、この手で確かめたいんだ」

 触れている部分には熱と鼓動があった。近くなった距離には相手の吐息があった。緊張と高揚に雁字搦めにされているバーナビーは、それを感じて初めて少しほつれた。深いため息を吐き出す。不覚にも少し涙腺が緩みそうだった。

「ありがとう。……そしてありがとう」

 キースがバーナビーに体重をかけ、ゆっくりと離れていく。その笑顔をじっと穴が開くほど見つめた。その笑顔には疑うべき曇りが一点もない。何ヶ月も前の自分の行動を今更になって後悔する。

「さあ、次は折紙君の番だよ!」
「ええ!?いや、僕は……」
「せっかくだし腹にパンチでも喰らわしてやれ。ヒヤヒヤさせやがって」

 突然名を出されて慌てるイワンと、口元を引き上げて笑ってみせるアントニオへキースと共に視線を移す。もう一度キースに目を遣れば深い頷きが返ってくる。ベッドから立ち上がってイワンたちに歩み寄る。

「お疲れさん」
「ありがとうございます、バーナビーさん」

 さすがに抱き合うのは気恥ずかしく、それぞれと握手をした。倒れそうになる体を支えてくれた人がいる。全身で無事を確かめようとしてくれた人がいる。握手で共に喜んでくれる仲間がいる。一人じゃないんだ、そう思うのは本当に久々のことだった。

 ――しょーがねえなあ、ほらこい。

 マーベリックとロトワング、そして彼らが作り出したH-01との死闘を経て、念のため病院での静養を申し付けられている虎徹は、見舞いのくせにただその顔を見つめるだけのバーナビーに両手を広げて見せた。この人は肝心なところでいつも聡い。確かめたいんです、最初に口にしたその一言だけでバーナビーの願いを聞き届けてくれた。それを確かな虎徹の温度で感じられたことが嬉しくて仕方なかった。一度は、また失ってしまったのかと諦めかけた体温だ。

「……貴方の言いたいこと、少し分かった気がします」

 しかし、同じように虎徹の見舞いに訪れた他の仲間たちには随分恥ずかしい絵面を見せることになってしまった。言い訳のように口早になってしまう。彼ら――特にネイサンに散々揉まれ、ひと気のない廊下のベンチに疲れきって座ったところで、キースが隣に腰を下ろしたのだ。何か言わないと気まずかったが、そもそもこの人はこういうことで人をからかうという回路が思考に無いのだった。首を傾げられて少し脱力する。

「無事をこの手で確かめたい……ってやつです」
「ああ!」

 キースは嬉しげに表情を明るくさせた後、迷うように視線をさまよわせた。一瞬よく分からなかったが、照れているらしい。一応そんな感情もあったのかと、当然のことに場違いに感心する。

「あまり言いたくない話だが……いつ、何があってもおかしくない仕事だろう?そして時には、事態に順番や順位をつけないといけない時がある。それも迅速にね」
「……分かります」
「だから、一番大事だと思うものを、できるだけ忘れないでいられるようにしたいんだ」

 それでも間違う時はあるけれど、キースは苦々しげに続けた。だが沈黙は長く続かず、すぐに明るい表情がバーナビーに向けられる。それにどこかほっとした。この人にはこういう表情でいてほしい。平和という言葉は、そういうキースのそういう表情にこそ使われるべき言葉だと思う。

「別れのあいさつをしても構わないかな」
「傲慢な人だな。この話の流れじゃ断れないでしょう」
「君に出会えたことを忘れないでいたいんだ」

 バーナビーの言葉に律儀に笑みを弱めるキースに苦笑した。それから相手との距離を探り合うようにゆっくりと抱き合う。胸に込み上げる何かが呼吸も言葉も塞いでいた。バーナビーの体の中で歪で不格好なわけの分からない生き物がか細い産声を上げている。少し不気味なような、くすぐったいような、おかしな気分だった。

(2012-07-02)
(そんないきもの)

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