文字数: 20,340

恋ってやつは



 あの人は正直な嘘つきだ。

「はあ……」

 オフィスデスクに頬杖をつき、画面を茫洋と眺めている。ヒーローの主な職務はデスクの外にあることが殆どなので、多少気が緩んでしまうのも仕方ない、と思うのは隣の席で退屈そうにしている人の影響かもしれない。などと、気詰まりに任せて安易な責任転嫁に走る。陰鬱に頭が重く額に手を置いた。

「……俺、まだなんもしてねーよな?多分……」

 たった今バーナビーの脳内で冤罪を被った虎徹は、当然ながらそれに気づいた様子もなく自分の行いを省みているようだ。少し救われた気分で思わず苦笑を浮かべる。

「違いますよ、貴方に何か思うことがあればもう言ってます」
「……そりゃそうだけど。なんつーのか……ほら、アレ、デジャブって言うか……」

 バーナビーが虎徹を信用しきれずに、きつく当たっていた時期が未だ印象に強いのだろう。それは当然だろうし、反省しているが、今持ち出されるとやはりばつが悪い。そんじゃあ一体どうしたんだ、と転換される話題を受け入れざるを得なくなる。

「貴方には関係のないことですよ」
「そりゃねえだろ、真横で気になるようなことしといて」

 バーナビーとしては軽い切り返しだったが、存外に不満げな表情を浮かべられて戸惑う。虎徹もそんな反応を見てバーナビーに他意のないことを悟ったようだった。

「ああいえ、ただ……誰が悪いわけでもない、と言いたかったんです。僕が自分のことを一人で反省しているだけですから」
「なんかヘマこいたの?お前が?珍しいこともあるモンだなー……しかも俺の知らないとこでだろ?」
「残念ですけど相談しませんよ」
「遠慮すんなよ、相棒だろ?」
「貴方、僕の失敗が聞きたいだけじゃないですか」
「そんなんじゃねえよお前、まあ……それも気になってるけど」

 好奇心半分、お節介半分というところだろう。以前ならそのどちらにも脊髄反射で反発していたに違いない。親しげに肩に置かれた手をそのままに苦笑することなんてできなかっただろう。一年という時間離れていたことも、却ってバーナビーと虎徹との間のバランスをうまく調整してくれたように思う。バーナビーは変わった。時間をかけて、今も少しずつ変わるために生きている。周囲もそれを喜んでくれているようだった。
 でも最近になって時折、以前――ヒーローとしてデビューする前の自分に戻ってしまえば楽かもしれない、そんな馬鹿げたことを考える。自分に厳しいフリをして、きっと楽をしている面もあったのだ、これまでずっと。

「……じゃあ相談の代わりに頼みを聞いてくださいよ」
「おっ、バディヒーローらしい流れになってきたな!いいぞ、何でも言え!」
「買い取ってほしいものがあるんです」

 虎徹はすぐには反応しなかった。全く予想もしていなかった頼みだったのだろう。バーナビーの表情を目でしっかりと確認た上で、買い取り?と繰り返したので頷く。

「金にでも困っ……てるわけないよな、お前は」
「買い手がつきそうにないので困っているんです」
「なんだよ、厄介そうだな。どんなモノなんだ?」
「僕の気持ちです」

 またも虎徹の反応が一拍遅れた。だが表情はじわじわと変化している。眉根が寄り、口が半開きになったなんとも言えない表情だ。

「……なんですかその顔」
「いや……笑わないで正解なんだよな、ここ」
「そうですね。笑われていたら傷ついていたかも」

 気まずげな愛想笑いにしっかり咎める視線を返しつつ、少し拗ねた気分で顔を画面に戻した。長らく操作されていないディスプレイはスクリーンセーバーが作動してしまっている。

「不要ですから、タダでもいいので誰かに譲りたいんです」
「あー……なるほど、確かに厄介だなあ、そりゃ」
「必要ならあげます。持っていってください」
「無理……ってのは自分が一番分かってんだろ?」

 虎徹の声には呆れがあるが、同時に少なからず同情も込められているように思えた。何を馬鹿なことを言っているのかと切り捨てられない程度には、虎徹にも覚えのある願望なのだと思う。少しホッとする。

「感情も……お金で簡単に売買できればいいんですよ」
「モメるぜー?金で買えるモンだってモメるんだ。気持ちなんて金で勘定した日にはどうなるかってな」
「これだけ技術も進歩してるんだ。むしろできていないのがおかしいんじゃないですか?今度斎藤さんに相談してみます」
「おいおい落ち着け、斎藤さんでも無茶ブリだろ」
「じゃあ、どうすればいいんですか」

 もちろん本気で言っているわけもない。くだらない戯言だ。虎徹もそれは分かっているだろう。けれど表情は自分でも不思議なくらい冗談らしい顔を作ってはくれなかった。虎徹は困った様子を隠さず、それでも笑みを浮かべた。

「詳しくは聞かない。どーせ言いもしないんだろ。でもなあ、気持ちが金で始末がついても、きっと虚しいだけだって」

 誰だって売っ払いたい気持ちのひとつやふたつあるよなあ、のんびり呟きつつ椅子の上で虎徹は伸びをした。今まで人生で、衝動的に捨て去ってしまいたいと感じる思いは山ほどあった。そんな思いばかり抱えている自分自身が嫌になる時さえあった。しかしバーナビーはそこで立ち止まるわけにはいかなかったのだ。そういう感情も捨てずに利用した。新たな情報や行動の源に変えていった。だが今ここにある感情は、何にも転化も昇華もできそうにない。ただ胸の奥で暗くくすぶるだけだ。

 正直者のあの人の言葉も、僕にとっては嘘でしかない。確かに些細なことから始まって、強い力を持っているが、今では少しも素晴らしいだなんて思えはしない。

「ちょっと、バーナビー君いるかな」

 デスクに足でも上げそうな勢いだった虎徹が慌てて姿勢を正す。ロイズだ。普段はあまり自分の執務室から出てこない人なので、バーナビーも少し驚いた。

「お客さんだよ」
「客……ですか?ですが、そんな予定は……」
「そうなんだよねえ、アポ無しは困るって言ったんだけど。どうしてもって聞かないらしくて。ハイこれ、名刺」

 これじゃ手荒に追い返せないでしょ、ロイズがやれやれと首を振る。硬直したバーナビーの手元を虎徹も覗き込んでくる。差し出された名刺には見知った社章と名前、それから見知らぬ役職が同居している。

「君の知人で、本人じゃないと用件も言えないっていうことみたいだから、とりあえず応接室に通せって言っといたよ」

 引き抜きなんかは勘弁してよ、ロイズの言に、虎徹がビジネスの話じゃないと思いますよと呆れた様子で返事をした。

 キース・グッドマン、スカイハイの本名がそこには記されている。

(2012-05-31)
2:お金では買えないらしい

-+=

ご不便をおかけしますが、コピー保護を行っています。