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恋ってやつは



 夕方の色をした公園には人影が少ない。ベンチには座っている人も居るが、それぞれに小宇宙を作っていて他に構う様子は見えない。公園に沿う公道では忙しく人が家路を急いでいる。公園の中と外では時間の流れが違っているかのようだ。背後で噴水の水音を聞きながら、寄り添うソウルメイトと共にのんびりと夕雲の観察をする。風がひとつ吹くと、未だにその役目を全うできていない薔薇の花束から芳香が漂った。毎日嗅いでもやはりいい香りだ。今日こそ渡せるといい、公園の入り口に目を戻したところで、見知った顔が近づいているのにやっと気づいた。

「座りますよ、ここ」

 挨拶も笑顔もなく、キースが何も言わないうちからバーナビーはキースの隣に腰掛けた。その様子が彼が偶然にこの場に居合わせた可能性を否定している。さすがに少し驚いたが、心当たりが無いわけでもない。苦笑して瑞々しい赤い薔薇の花弁を目でなぞった。

「……君が来るのは予想外だったな」

 バーナビーはやはり無言だ。否定が無いのは肯定と見ても構わないだろう。ひょっとするとかける言葉に迷ってくれているのかもしれない。キースは苦笑を深めた。

「ファイヤー君にうっかり見つかってしまってね。その後はブルー君とドラゴン君が来てくれた。情けないが心配をかけてしまったようだ」

 以前恋の相談を持ちかけたこともあって、3人の仲間たちは感じなくてもいい罪悪感を覚えてしまったらしい。しかしキースはあの時誰かに話を聞いてもらって良かったと思っているのだ。アドバイスはあまり生かせなかったかもしれない。だが3人に話していなければ、キースは彼女と一言も話せないままだったかもしれない。夕暮れを乱反射する噴水の光を受け止める彼女のまっすぐな瞳を思い出す。小さく笑みをこぼした。

「君にも、心配をかけてしまったのかい?」
「……たまたま、3人が話しているのを聞いたんです」
「なるほど……少し恥ずかしいね」

 言い辛いと思ったのか、バーナビーの声は硬い。けれどキースはあまり気にならなかった。恋だとか愛だとかいう話は昔からあまり得意ではない方だから、そんな自分の話が知らないところで広がってしまったのは確かに恥ずかしい。だが後ろめたいことがあるわけでもないのだ。安心させるように笑みを端正な横顔に向けた。

「大丈夫だ、バーナビー君。君が心配するようなことは何もない。私はこの時間が好きでここに居るんだ」

 グリーンの片目だけがちらりとキースを窺っている。まだ疑われているのだろうか。実際、一時期は再会出来ないことに落ち込んでもいたし、この状況が理想とは離れていることも理解している。大丈夫だと言われてもピンと来ないのだろう。ネイサンたちにも大丈夫じゃないだろうと随分疑われた。

「彼女が来るか来ないかは実は……どうでもいいことなんだ。いや、来てほしくて待っているのは確かだが」

 もちろん彼女に再会して直接お礼が言いたい、そのためにここに通っている。けれど気づいたのだ。この街のどこかで、スカイハイの活躍をきっと見てくれているだろう彼女を待つ場所と時間が、この公園のベンチにある。それはこの世の他の誰も有していないキースだけの幸福な権利だ。だからこの新たな日課を、キースは心から楽しんでいる。

 キースが一人で一方的に喋りすぎただろうか。バーナビーは相変わらず黙っている。口を閉ざして様子を窺った。しばらく噴水の水音だけを聞いていたが、僕は、とバーナビーはやっと夕暮れに言葉を吐き出した。

「僕は慰めに来たわけじゃありません。半端な言葉は、逆に失礼になりますから。嫌いです」

 どこか突き放すような、投げやりな声色は恐らくわざと作っている。その言葉があまりに実直そのものだからだ。相変わらず目が合わないのがもどかしく、わずかに身を乗り出す。

「バーナビー君は優しい。そしていい人間だ」
「貴方ほどじゃないでしょう、『グッドマン』さん」
「名前とは全然関係無いさ。特にここに居る私は、たった一人の女性のことしか考えられない愚かな男だよ」

 言ってから、少し恥ずかしくなる。あまりに格好をつけた文句だっただろうか。しかしバーナビーは笑うでもなくキースを横目で見ているだけだ。どこか不服げな表情で、そういうものなんでしょう、と彼にしてはあいまいな返事をした。もしかするとキースの言葉が足りなかったのかもしれない。

「恋っていうのは、バーナビー君。本当に些細なことから始まるものだ。それがこんなに強い力を持っている」

 こんなに、と繰り返したバーナビーに照れ笑いで花束を持ち上げてみせた。彼女はもうこの場所に現れないかもしれない。これだけ会えないでいるのだ。もう会えないと思う方が自然だろう。それでも諦め悪く、むしろ楽しんでこうやってベンチで待ち続けている。

「会えないのはもちろん寂しいが……それでもいつか彼女にお礼を言う日のために、私は毎日普通よりも頑張れる。実に素晴らしいと……」
「スカイハイさん」
「うん?」
「左を確認してください。僕は右を」

 疑問を挟む前に咄嗟に左を向いた。だがそこには人の座っていないベンチがあるだけだ。いつもはもう少し散歩やデートの人々が往来しているのだが、今日は人影が少ない気がする。

「突然どうしたんだい?何も無いようだが、」

 薔薇の花束を持ち上げた腕が引かれ、バーナビーが身を乗り出してきた。唇に感触があり、そこに何が触れたか目視していたはずなのに咄嗟に理解できない。周囲から隠れるように持ち上げられていた花束と並ぶ、顰められ歪んだ顔がすぐに離れていった。

「慰めに来たわけじゃありませんから、僕は」

 何事も無かったような歩調で歩き去る背中をただ見ている。花束が影を作るグリーンの、不思議な鮮やかさが網膜に焼き付いている気分だ。何をされたのか、何故そうしたのか考えもしない内に、何故あんなに苦しげな表情なのかがいつまでも気になっていた。

(2012-05-30)
1:些細なことをきっかけに生まれるらしい

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