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恋ってやつは



「やあ!バーナビー君!そしてワイルド君!」

 相変わらずの爽やかな笑顔は、一瞬で虎徹の眼前から消え去った。と言うのも、ドアを開けたバーナビーがすぐさまそれを閉ざしたからだ。機能性よりも見栄えを重視した応接室の古風な手動ドアが災いした。
 キースのご指名を受けていたのは、わざとらしい無表情を維持しているこの相棒のはずだ。好奇心で付いて来たに過ぎない虎徹はその横顔をまじまじと見つめた。

「……おい」
「何ですか?」
「なんで閉めたんだ?」
「僕が閉めたいからですけど」
「いやいやいや」

 そもそも、虎徹の同行を何も言わずに受け入れている時点でおかしいと思ったのだ。バーナビーは懸命に平然を装っているがさすがに隠し果せていない。たった今閉じられたばかりのドアに目を遣った。

「ヘマってひょっとしてあいつ関係だったのか?」
「貴方には関係のないことです」
「さすがに気になってもおかしくないだろ、あれじゃ……保険会社のセールスマンかよ……」

 ほんの一瞬顔を合わせたキースは、もちろんいつものヒーロースーツでもトレーニングウェアでも無かった。だが時折見かけるフライトジャケットの私服でもなく、今まで一度も見かけたことのない黒のシングルスーツ姿だった。スポンサーとのパーティーでフォーマルスーツを着ている姿は何度も見かけたが、ビジネスライクな略礼装だと随分と印象が違う。余程畏まった用事でもあったのか。同僚が相棒にそんな話を持ってきたなら、気にならない方が無茶ってものだろう。

「とりあえず入んねーとどうにもなんねえよ」
「保険なら間に合ってます」
「あのな……ずっとここに突っ立ってるわけにもいかないだろ」
「じゃあ聞きますけど、僕が高級羽毛布団とか買わされたら貴方、責任取れるんですか?」
「大丈夫だよ!あいつなら買った後のメンテナンスまでやってくれるって!」
「それで数年ごとに新しい布団を買わされるんですよ。悪逆非道なやり口だ……!」

 ガチャリ、何やらおかしな方向へ走りかけた虎徹たちに冷や水をかけるように突然ドアが開いた。虎徹もバーナビーもドアに触れていない以上、そのドアは内側から開いたことになる。まあ、そうなるよな。虎徹は妙に冷静な頭で、輝かんばかりの笑顔をしんみりと眺めていた。そこに何の疑念も見つけられないことにつくづく感心する。

「……入らないのかい?」

 反応の鈍い相棒の脇腹あたりを肘でつつき、キースと共にテーブルまで押しやる。テーブルを挟んで向かい合う形になった。キースの格好が何かを髣髴とさせると思えば、面接官と求職者だ。

「もしかして君たちは独自に詐欺犯でも追ってるのかな」

 忙しいところに悪かったね、椅子に腰掛けながらキースは申し訳なさそうに笑みを弱めた。一瞬何のことかと思ったが、ドア越しに先ほどの会話が聞こえていたのだろう。相変わらず天然と言えばいいのか何と言えばいいのか。ちらり、とバーナビーを見たが憮然とした表情で押し黙っている。以前なら虎徹に対してはこういう反応もしばしばあった。だが最近、特に他社のヒーローに対してここまで露骨なのは珍しい。バーナビーに話を振るのは諦め、虎徹は頬杖を付いてキースに目を向けた。

「突然どうしたんだよ、スカイハイ。そんなにビシッと決めて」
「スカイハイと伝えるわけにもいかないだろう?……私なりに通してもらうために知恵を使ったということさ」
「さっきの名刺は?このためにわざわざ作ったの?」
「ああいや……君も見たのかい?恥ずかしいな。昔使っていたものだよ」
「我が社を志望した理由は?」
「えっ」

 言葉の通り、キースは困惑気味に照れてみせる。他社ヒーローのデビュー以前の事情などなかなか知る機会も無いが、キースの名刺はそこに関わるものなのかもしれない。しかし、そうなると、ここ数年は確実に使われずにいた物を引っ張り出してきたということか。

「そんなことしてまで、なんでここに」
「覚悟はできていますよ」

 キースが何かを言うよりも早くに低い温度の声が上がった。隣に座るバーナビーは、キースを睨むように見つめている。ほとほと様子がおかしい。今更ながら、蚊帳の外である自分がここに居ていいのか虎徹は自信が無くなってきた。

「失礼なことをしたと思っていますし、貴方にはそれを責める権利がある。そんな格好までしなくても、逃げたりなんかしませんから」

 とりあえず、さっきまで逃げまくっていた奴のセリフとは思えないぜ、バニー。
 しかしあのキースに対して一体どんなことをすればこんなバーナビーが出来上がるのだろうか。今のところキースに怒りの片鱗さえ見えないのだが――探るような視線を再度送っても、そこには不思議そうな表情しかない。一体何の話だい、とそれが30度ほど右に傾げられる。

「ひょっとして君は……私のことで悩んでいたのかな。弱ったな、それは気づかなかった……すまない、そして申し訳ない!」
「貴方……何しに来たんですか」

 切羽詰った様子だったバーナビーもキースの潔い謝罪には虚を衝かれたらしい。それぞれ自分に非があると思っているようだから、お互いわけが分からなくなってしまっているようだ。本人たちでさえ分からないものを虎徹だって動かしようがない。さてどうしたものかと手の内のお節介のカードを今にも引き抜きそうだったが、キースが先手を取った。

「……この前の君は、ひどく辛そうな顔をしていた。そればかりが気になってね。しかもそういう時に限って君たちとタイミングが合わなかっただろう?居ても立っても居られなくなって……というわけなんだ」

 確かに突然妙なことを言い出して、様子はおかしかった。そして確かにここのところ取材やショーの出演が重なってもいて、トレーニングルームにあまり顔を出していない。一度はタイガー&バーナビーのどちらも引退、ワイルドタイガーが2部リーグに復帰、その後バーナビーがリーグフリーのヒーローとして復帰、人気を博すようになったという複雑な事情もあって、以前より1部リーグの面々と顔を合わせることがぐんと減っている。もちろん現場で悠長に話している暇があるのは稀なことだ。
 とは言っても、それにしたって随分思い切った話である。根っこから名前まで善人のキースらしい。

「何か困っていることがあれば必ず助ける。そしてそれが私に関することなら尚更だ。君さえ良ければ話を聞かせてくれないか!」

 悪質な押し売りセールスとは比べ物にならない誠実さが前のめりでバーナビーに迫っている。互いになんらかの誤解があるようだが、キース相手ならすぐにそんなもの取っ払われるだろう、楽観的に虎徹は頬杖に戻った。しかし対するバーナビーの反応は存外に硬い。

「貴方に……そんなことまでしてもらう義理はありません」
「おい……バニー?」
「僕にもどうにもできないものを貴方がどうにかできるわけありません。帰ってください」
「そうか……余計なことをしただろうか」
「はい」

 目に見えてしょぼくれているキースに、何もしていないはずの虎徹が何故だか罪悪感を覚える。そんな言い方しなくても、と口を挟もうとしたのだが、バーナビーは構わないでくださいと取り付く島も無い。テーブルに手を付いて身を乗り出していたキースは、素直に引き下がるのを惜しんでか、わずかに身を引いただけで突っ立ったままだ。

「何か力になりたかったんだ。君は私を元気づけようとしてくれただろう?」
「慰めに行ったわけじゃないって言ったじゃないですか」
「でも元気づけるためにあんなことまでしてくれたんだ。せめてお返しさせてくれ」

 意気込むようにひとつ頷き、キースが再びテーブルに手をついて身を乗り出す。虎徹はもちろんだが、バーナビーにも一瞬、キースの言いたいことが理解できなかったらしい。反応できないでいるバーナビーの唇にキースの唇が一瞬重なる。それはまあ、地域によっては挨拶と言えなくもない接触かもしれない。しかし今ここで、この光景で驚くなというのは酷だろう。

「えっ……と?」

 硬直した空気があまりに呼吸に適していないので、ついつい虎徹は声を上げた。ちょっと待て、スカイハイは何て言ってこんなことをバーナビーにしたんだっけ?お返しとか何とか――考えに整理がつかぬ内に隣人の顔色が音を立てて変わった。何だかんだ言って相棒として様々な顔を見てきたが、この一見澄ました男の見事な赤面は初めて見たと思う。

「えっ」

 次に声を上げたのはキースだった。バーナビーの反応は完全に予想外だったのだろう。そりゃそうだ、俺なんかここに座ってから予想外続きだぞ。バーナビーに釣られてしまったのだろうか、目を見開いたその顔にみるみる朱が差している。ガタン、テーブルを殴りつけるかのようにバーナビーが立ち上がった。その目が燐光を放っているのに気づいた虎徹も慌てて立ち上がる。

「だから……」
「あ、おい、やめろバカ、」
「こんなもの要らないって言ってるんですよ!」

 一足飛びで窓際に接近したバーナビーは、窓が割れるのではないかと思うくらいの勢いでそれを開け放ち(高層ビルの窓だ、恐らく数センチしか開かないようになっているはずで、窓を割らなかっただけ冷静だったと言えるのかは微妙なところだ)、止める間もなく桟に足をかけて飛び出してしまった。キースと共に窓から身を乗り出すが、体よくビルとビルの間を縫って駆け去っているようだ。

「あのな、スカイハイ」
「なんだい!?ワイルド君!」
「頼むから、今追いかけるのはやめてやれ」

 この窓、多分俺が怒られるんだろうなと思いつつ、虎徹は今にも窓から飛び出しそうなキースの肩に手をかけた。

(2012-06-12)
3:追いかけると逃げて行くらしい

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