文字数: 35,236

連続炭義小説『ふたり、ひとつづり』



「手紙になると義勇さんはよく喋りますねえ」

 敬具、まで書いて張っていた気が緩んだのか、ため息と共に炭治郎はそう笑った。じいわじいわと夏の終わりを惜しむ蝉の声がする。汗が滲むのか、紙から炭治郎の手が離れようとすると紙もそれを追う。あーあ、と炭治郎はそれをぺたりと引き剥がした。

「俺、なんだか字が上手くなった気がします」

 筆を一度擱き、炭治郎は己の手蹟を見て満足そうに微笑んでいる。特にこの文字なんかいいぞ、と自画自賛は止まらない。呆れてそれを見ていると、がばりと顔が上がった。

「あっ、また変な勘違いしないでください!俺は嬉しいんですからね」

 勘違いも何も、迷惑そうに見えていたらとっくにこんな頼みはやめているし、さっさとこの家からも失礼している。そんな義勇の考えを匂いから知ったのかどうか、炭治郎はまた笑みに戻って筆を取った。穂先を整えて、注意深く日付の下に筆を下ろす。

「代筆している時俺は、義勇さんの右手だ」

 冨岡義勇、一字ずつ丁寧に炭治郎はその四文字を綴った。そうして、瞳を細めて優しく笑う。ひとつきりしか残っていないのに、その鉱石のような瞳が熱で熔け出すのではないかと義勇は気が気ではない。最初の一枚目からずっと同じ目をしていた。

「それがどれだけ幸せか、義勇さんには分からないだろうなあ」

 自分では何も気付かないまま、この男はそういう目で義勇を眺めて笑うのだ。思いきりため息を吐きたい気持ちになるが、この男が竈門炭治郎である以上は仕方のないことだと諦めてもいる。こういう性質の男でなかったら、きっと義勇は死ぬまでこの家を訪れることはなかった。感謝されたくて押した背ではない。恩を返されたくて超えた敷居ではない。

「右手だけじゃない」

 義勇が言えば、筆を再び筆置きに戻した炭治郎は不思議そうな表情をする。額から流されて耳元にかかる髪が汗に湿り、頬に幾筋か張り付いている。顔の輪郭に出会った頃の丸みはもうほとんど残っていない。どこからどう見ても精悍な青年だ。しかしそれが幼気な表情を浮かべていると不思議な愛らしさが蘇ってきたりもする。贔屓目もきっとあるだろうが。そんなことを考える自分に口元で小さく笑ってしまった。

「全部お前だ、俺は」

 目覚めるのも食べるのも働くのも眠るのも、何をするにも全て炭治郎に繋がっている。今更放り出されることがあれば、きっと義勇は途方に暮れるだろう。

「それがどれだけ幸福か、お前には分からないだろうな」

 左腕を伸ばし、ざざざと文机を畳の上に滑らせる。ぽかんと口を開けて義勇を凝視するだけの炭治郎の前に片腕を付いて近づいた。肘を曲げて体を屈め、横になった。炭治郎の膝を枕の代わりにする。

「少し眠りたい」

 暑気に中てられたか、情けないことに座っているのも苦しい。耳のあたりで頭がじわじわと痛む。熱が体の中で燻ぶっていて細く息を吐いた。

「今日は炭焼きは休みだ」

 投げやりに言って目を閉ざす。炭治郎から返事がないので寝かせて置くことにしたのだろうと呼吸に専念していると、右肩に手を置かれ強く握られた。

「幸せなら」

 目をゆっくりと開き、すぐ真上にある顔を見上げる。そこにはもう笑顔は欠片も残っておらず、苦しげに歪められた顔が義勇を見下ろしていた。ゆら、と炭火が揺れる。どれだけ経っても炭治郎の涙腺はその豊かな心と繋がっていて、すぐに涙の膜が張り墨色の布が滲んでしまう。

「幸せなら、なんでこんなふうに、何枚も何十枚も残すんですか」

 何を言われているのか咄嗟に分からない。炭治郎がもどかしげに瞬きをすると、とうとう涙が零れて義勇の頬に落ちた。ぬるい温度がつっと滑って喉に落ちる。

「これじゃあ、まるで遺書じゃないですか」

 遺書。

 思いもしない言葉に思わず呆けてしまった。そして本当の本当に、この男は義勇がここに居ることの意味を知らないのだと理解する。分かっていたつもりだったが改めて言葉にされると呆れが大きい。

「……どういう顔ですかそれ」
「……ばかだと思っている」
「ばか!?」

 広い額で眉がきりりと吊り上がり、涙の滲む瞳に不服な色が強く灯る。その変化が愉快で、義勇は呆れた表情を緩めてしまった。逃れるように炭治郎の膝に顔を伏せる。

「そんなものじゃない」
「じゃあ、何なんですか」

 そんなに高尚で後ろ向きなものではない。義勇に後ろを向くのを許さなかったのはいつだって炭治郎だというのに、そんなことすらこの男は自覚していないらしい。

「義勇さん」

 硬い手のひらが両頬に触れ、無理やり炭治郎を見上げさせられた。涙に滲んだ赫い瞳をじっと見上げる。義勇さんは俺に、言ってないことがありますよね。硬い表情でそう問われたので素直に頷くと、炭治郎の表情が苦しげに歪む。

「もう教えてください。貴方がここに来たのは──」
「お前に死ぬまで想われたい」

 炭治郎は長い沈黙を蝉たちに譲った後、最後に小さく「えっ」と一音を漏らした。そしてそれが合図のようにみるみる頬を耳を首筋を赤くしていき、茹で上がるのではないかと心配してしまった。穴が開くのではというほど見つめられ、義勇は炭治郎の両手に頬を擦りつけてその目から逃れた。喉が笑みで震える。こんなに愉快な気持ちになったのは幾年ぶりだろうか。

「ばかはあなたでしょう」

 炭治郎の膝に顔を押し付けて笑う義勇に、炭治郎はとうとう恨めしげにそう言った。

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