※ Pixiv掲載: https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=21796298
※ 若干の性描写があります
if (you):
アレンには最近、ちょっと気にかかっていることがある。
「うわー……『夏準』って感じだなー今の」
「どういう意味ですか?」
「最高って意味に決まってるだろ!」
ミックスのために自室で夏準の音を録っている最中。アレンは思わず笑みを堪えられなくなってしまった。録ったトラックをもう一度再生し、ヘッドホンでも耳に流し込んで堪能する。夏準らしい甘さ、それに対してシャープで硬いリリック。くっくっ喉を鳴らしつつキーボードを叩いた。今度はこういうメロディーだとどうなるか聞きたい、とせがむ。もうそれを数えきれないほど繰り返していた。
「楽しそうですね。ボクで遊んで」
「ちゃんといい曲にするためだって! こういうのが本番でも効くだろ?」
「……まったく。喉に優しくないリーダーですね」
ここで出て最終的に採用しなかったアレンジがライブのアドリブで出たり、他のパートや曲に転用したりすることも多い。だが何より夏準もアンもセンスの塊なので、つつけばつつくほど思いもしない色になるのが楽しくてしょうがない。遊んでいると言われれば否定しづらいところは確かにあった。けれど、それは一緒に曲を作る実感があるからこそであって。コンデンサーマイクの前で呆れた顔をしている夏準に椅子を滑らせて近づいた。夏準も椅子に座っていて目線が並ぶ。
「アレン?」
不審そうな顔に苦しげな様子は無い。それを確認したところで手が伸びていた。無意識の行動を一瞬遅れて感知した頭が止められず、指先が夏準の喉に触れる。ピクリと体が小さく揺れた。見開かれた目が責めるようにアレンを見ているのに、そのままの顎の先から喉仏を撫で下ろすように指が動いた。喉が震えている。居心地の悪そうな音が吐息と共にひとつ、ふたつ、漏れ出たせいで。その音色に含まれる色艶に心が物騒な音を立てて動いている。逃げるように伏せられる目、そこに下りる睫毛、寄せられた眉。
「……アレン」
「あ、ごめん。そんなに酷いのかって思って」
ワントーン下がった低音に慌ててホールドアップして椅子を後方へ転がした。長い指を自分の喉元に当てた夏準の鋭い視線の照準は、しばらくピッタリアレンの眉間に合わせられていた。が、最後には呆れの色が濃いため息になって身柄を解放される。
「ええ、ひどいです。アナタは」
「俺? 喉じゃなくてか?」
「そうですよ。だから、まだ歌えます。どうします? 次は」
「いや、でも、それってどういう」
「最高の曲が出来上がっていく作業は楽しいですよ。ボクも」
傾けられた笑みに混じるのはやっぱり呆れと、それから信頼。素を出す場が限られる夏準だからこそ、そういう言葉でアレンの喜びは簡単に誘発されてしまう。ふへ、照れた笑みを隠し切れずにキーボードを適当に弾いているといい感じに奇抜なメロディーが発掘された気がする。じゃあ次! と調子よく音録りを再開してしまった。
気にかかること、それは夏準のその反応だ。いつもではないのだが、時折。らしくないほつれ方──と言えばいいのか。そんな瞬間があり、そこにアレンは何か危うさのようなものを感じている。心配していると言い換えてもいい。
と、いうことでここのところ注意深く夏準を観察している。気づいたこととしてまず。
「ちょっと夏準!」
「そんなに面白いことを言ったつもりはないんですけど。事実です」
「だってさあ……! もうホント、いいのは顔だけなんだから」
バシバシ、アンがダイニングテーブルで隣り合う夏準を叩いて爆笑している。その広い交友関係の中で取りなすことになったカップルのケンカの顛末を語っていたのだが、それに対する夏準のコメントがあまりに鋭く毒に満ちていてツボにハマったらしい。夏準は始終澄まし顔で、しかし仲裁のため度々家から緊急出動していくアンを見送ったことが気に入らないんじゃないか、とアレンは予想している。聞いても多分否定するだろうし黙っているけれど。
「でもさー、丸く収まって良かったって思うけど、同じくらい振り回されて……ちょっとくたびれちゃった。スッキリしたかも。ありがと」
テーブルの上に置かれた夏準の左手の甲にアンの手がポンポン、と重ねられた。アンの覗き込む笑みに夏準も満足そうな笑みで答えている。フォークを口に突っ込んだままそれをボーっと眺めていると、アンが不思議そうにこちらを振り返ってきた。なに、と問われてしまう。
「いや、俺はそういうの巻き込まれるとか無いからさ。ただアンはすごいなって」
「まあ、そうだね。アレンに恋の相談は……無いよね」
「時間をドブに捨てたい人が居れば別でしょうけどね」
「はあ? 何もできないかもしれないけど、一緒に何か……考えるくらいはできるぞ」
「それ以前に増えるといいですね、オトモダチ」
「ライブとかで増えてるし……」
珂波汰とか。SNSはブロックされているが。
相談うんぬんはともかく、アンに触れられても夏準は「ほつれ」ない。アンはよくアレンや夏準に親しみを込めてちょっかいをかけてくるが、夏準がそれに妙な反応を返したところはこれまで一度も見たことがない。何なら昔はうまく躱していたそれを受け入れるようにすらなっているくらいだ。
そう、普段の夏準は感心するくらい人との距離をうまく保っている。心理的にも物理的にも。講義が終わって教室を出ようとしたところ、呼び止められた夏準は笑みで振り返った。
「わあ、読んでくれたんですね、あの雑誌。嬉しいです。モデルも、音楽も……こうやって熱心に応援してくれる君に、届いてほしいって思っていましたから」
アンと目線でだけで会話してほぼ同時に一歩下がる。アンの香水くらい人工的な甘さがたっぷり振りかけられた声。アレンが作り出した旋律をなぞる声の甘さをゼロ距離を聞くことができるのは自分だけなんだな、となんとなく思う。高い背を屈めて覗き込む夏準にその場にいる女性たちはたじろいでいる。ん? 首を傾げられて一番正面に近い女性なんかはすっかり続く言葉を失っているように見えた。それをクスリと笑った夏準は手をゆっくりと女性たちの前に出し、そして一定のスペースを自分の前に作ってその手を上げた。気品たっぷりにゆっくり手が振られる。
「今日だけじゃなくて、明日も、明後日も……ボクのことだけ考えて。안녕?」
歩き出す夏準の後を追うのはアレンとアンだけだ。後ろから追い縋るのは悲鳴のような叫び声だけ。はは……乾いた笑い声もアンと同時に漏れる。
「相変わらず……」
「……すごいな」
ふ、と笑みの混じった吐息だけが返事だった。その目端に宿る光の意地の悪さ。アンがこの顔撮って拡散してやるーと意気込んでいる。アレンも怖い詐欺だな……と感心するしかない。
「聞こえが悪いですよ。ボクはファンを大事にしてるんです」
そして巧妙な手口でファンには夏準を大事にさせているに違いなかった。厄介な相手を無意識に引きずりがちなアンに比べ、夏準がこれまで好意を持つ誰かによって厄介事を起こされたことは無い。ただアレンたちに見せていないだけかもしれないが、陰で何か行われているならそれはそれで怖い。
子供みたいないたずらっぽい小さな笑み。アンと二人だけの特権を真正面から浴びつつ、少しだけ安心する。夏準はそもそも、見も知らぬ誰かに簡単に触れさせる距離を持たない。だから、そんな相手に「ほつれ」ることもない。
そもそも誰かに触れさせることを許していないし、気を許しているアンには特に妙な反応を返さない。となるとアレンに対するあの「ほつれ」は一体何なのか。気を許そうとしてまだできていないとか。なんだか寂しい事実に気づいてしまいそうだ。
悶々と考える最中、幻影ライブの対バンイベントで顔見知りのチームいくつかと一緒になった。西門に飛びつかんばかりのアンに今度は夏準と目配せで通じ合う。夏準に文字通り首根っこを掴まれたアンはそれでも上機嫌で手を振っている。穏やかに手を振り返す西門は大人だ。
「あー! 夏準さん! おひさじゃないっスか~!?」
「ちょ、ちょっと斗真……!」
「葵くん! 斗真くん! 会えるの楽しみにしてたよ~!」
「えっ」
短い一音を発した後何の言葉も発さなくなった葵を呆れ顔の甘太郎がバシバシ叩いている。優しい手つきで同じように肩を叩きつつこちらに会釈する憧吾は器用だ。アレンもなんとなく頭を下げ返してしまった。
「君ですか。相変わらずですね」
「えー!? それいい意味に取っちゃってオッケーなやつですか!? うっわ~生夏準さんやっぱオーラつよつよ!」
「あはは、ほんとに相変わらず! 一緒になった時に作ったグループ、なんか二人でずっと美容の話してるもんね! 葵くんももっと喋ろーよ!」
「あっ、はっ、うっ……」
「葵……」
「いつもはあんなにカッコイイのに……」
交流があるのは知っていたが、思った以上の盛り上がりに置いてけぼり感がある。こういったお祭りイベントにcozmezはよっぽどのことがないと出てこないので残念だ。憧吾や甘太郎にVISTYの華やかな音作りについて聞いて参考にしようかな……などと考えていると、人懐っこい笑みを浮かべた斗真が夏準へ身を乗り出した。
「これ、この前言ってた保湿めっちゃ効いてます? こんなツーヤツヤなんないっスよ~!?」
「一応商売道具ですから。全部は教えてないですよ。企業秘密です」
「え~マジ!? さすがすぎ!」
多分斗真には触れる意図は無かっただろう。感心するように夏準の顔周りで手を動かしていただけだ。けれどアレンの体の反応のほうが早かった。夏準の肘を掴んで一歩自分のほうへ引き寄せている。丸くなった目四つがこちらを向いていてハッとした。
「あ、ごめん。割り込んだ」
「いーえー! すみません、本番前ありますよね、準備とか! テンション、マジでアゲになっちゃってました」
「俺たちも色々、ちゃんと確認しよう。それじゃあ」
「葵は? もういいの?」
「う、うん……あの、アン様! 頑張って……いや、頑張り、ましょう!」
「うん! 見てて! 僕も葵くん見てるからね~!」
「はい……!」
彼らの楽曲のように華やかな騒々しさが離れていく。夏準はVISTYのほうへほとんど意識を向けず、ただアレンを見下ろしている。アレンが掴む手を。
「葵くんってあんなにクールなのに可愛くって大好き。たまにハグしちゃいたくなるけど、さすがにダメだよねえ、我慢してるよ」
「……ボクたちからこれ以上殺人犯が出なくて何よりです。それで?」
僕のことなんだと思ってるのさ、ぼやくアンを背に夏準はアレンの輪郭を鋭い視線でなぞった。離せと言われているのだと思う。だが、離してほしいなら振りほどけばいい。
夏準が好きそうな話題を矢継ぎ早に繰り出せて、ごく近い距離に入れて、親しげな笑みで呆れられて。そんな姿を横から傍観することなんてほとんど無かったのだ、これまで。
「夏準って、人に触られるの得意じゃないだろ。だから」
「え? そーだったの?」
「一体、何を思い出して……そう思ったんでしょうね」
当然アンはアレンの抱える違和感なんて持っていないだろうし、本人に否定されればそれまでだ。賭けるようなつもりで肘を掴む手から力を緩め、腕を少し撫でるように動かす。ピクリと腕が跳ねた。やっぱり、浮きたつ気持ちを手のひらごと夏準の手に抑え込まれる。
「そんなことだから、人の時間をドブに捨てさせると言っているんですよ」
「は?」
悪く言われていることだけが分かる意味の分からない言葉。それを咀嚼しようとしている隙に手を放り出された。スタスタ歩き出すのでアンと共に慌てて肩を並べる。
「気にしないでください。精々、アンの厄介にならないように気を付けますよ」
アンとまた目を合わせたが、勘のいいアンにも何を言っているのかよく分かっていないようだ。もう少し近くで観察する必要があるかもしれない。「ほつれ」にある危うさをうっかり他の誰かに気づかれない内に。
(2024-01-13)