※ お題箱で頂いたお題「お酒で少し酔ってふわふわな夏準」
you = [naughty, nice]
「……お待たせしましたー」
ウイスキーのロックと冷酒一合を機械のようにテーブルに着地させると、席に向かい合って座っている顔ががばりと上がった。片方には驚き、片方には笑みが大げさに広がっていく。
「お! お前……!」
「なんや! なんしとるんや、こんなとこでぇ」
「いや、バイトっす……」
二人──匋平と依織の姿を見つけた時から遅かれ早かれこうなるとは分かっていたので焦る気持ちも起きない。別に悪いことをしているわけでもないのだ。多少気まずいだけで。ほんの少し複雑な感情を押し殺しつつ簡潔に返事をする。しかし既に相当な量のアルコールを注いでいる酔っ払いたちの反応はやはり大げさだった。前のめりになって、「おお」などと感嘆の声を上げている。
「パラドックスライブからよーさんイベント呼ばれとるっちゅうんは聞いとんで? なんでわざわざまた……」
「イベントとかステージは三人のパフォーマンスの結果なんで。分けた分は思いっきり音楽に使いたいっていうか……」
ステージを終えて最高にバイブスが上がったところで金なんて持ったら、それは当然音楽に吸い込まれていく、とも言う。機材とレコードだけが充実していく部屋に対する夏準とアンの視線は呆れ一色だ。しかし言い方が悪かったか、相手が陽気な酔っ払いだからか、なんだかいい意味で受け取られてしまった。「おお」、また感嘆の声と共に深く頷いている。
「ほー……感心、感心。えらい子やなあ、ちょっと茶代でもつけたろか」
「いや、そういうシステム無いんで」
「前から思っちゃいたが。中々骨がある奴だよな、お前。そう、そうなんだよ。変にちゃらついたってくだらねぇ。よし、座れ」
「ええ……?」
「せっかくだ。お前も飲んでけ。今日は語り明かすぞ。見極めてやるよ。お前の芯ってやつを」
ウイスキーのグラスを持ち上げた匋平が、乾杯でもするように氷をカランと揺らした。
匋平がもう少し朱雀野アレンという人間を知っていたら。もしくは依織がゴキゲンに酔っていなければ。HIPHOPという餌で容易く釣り上げることに成功していただろう。
「バイト中なんで。空いた皿お下げしまーす」
しかしそうならなかったので、HIPHOPスイッチを無事切ったままのアレンは省エネモードでバイト業務を続行した。皿を手際良くかき集めていく。
「これだから最近の若い奴は……つまんねぇ」
「あーあー拗ねてもーた。年寄りには優しくせな。旦那、こー見えて世話好きの寂しがり屋やからなあ」
「そういうんじゃねーよ。そりゃお前のことだろ」
ペコリ、小さく会釈して厨房に戻るところを別のテーブルに呼び止められた。せっかくリリックを鋭く交わし合った仲間にばったり会えたのだし、少しくらい会話したい気持ちはアレンにだってあるが、人で賑わう居酒屋にそんな余裕はありはしないのだ。
「せや!」
だから、背中から聞こえてくる嬉しげな声と手を打ち合わせる音には大して注意を払わなかった。すぐに後悔することになるとも知らずに。
「よお来たなあ! まさかあのヨンパチさんにこないなとこまでご足労頂けるとは」
「まあ、正直こういったところはボクの趣味ではありませんね」
「ケッ」
テーブルに近づくなり依織に陽気に肩を組まれ──そうになってさりげなく躱した夏準に、依織は尚もめげずに腕を伸ばした。背中に気安く触れ、座り座りと自分の隣の席に押し込んでいる。苦笑を口元に滲ませつつも大人しく腰を落ち着けることにしたようだ。当然、その手に妙な反応をすることもない。
「ただ……価値ある情報には敬意を払いますよ?」
「そーこなそーこな! ほらほら駆けつけ一杯! 今日は俺のオゴりやさかいに」
「別にそこはどうでもいいですけど……アナタがたの分を払っても食前酒の一杯分にもなりませんし……」
「おいおい、ホントにかわいくねー奴だな、こっちは。コイツのさっきの言葉聞かせてやるぞ?」
「ご注文は」
匋平に先ほどの言葉を繰り返される気配を感じ、憮然と引き結んでいた口を慌てて開いた。しかしアンをここに連れてきていない時点で手遅れな気もしているのだ。夏準の誕生日に向けてもバイトをしていたし、今回の主な目的がアンであることなんて簡単に予想がつくだろうとは思う。何もかもを見透かすような心底愉快そうな「王子の笑み」が絶妙な角度で傾けられ、ピアスが揺れる。
「ああ……お待たせしてすみません、店員さん?」
またこのパターンだ。夏準はどうやら、アレンをからかうとかアレンを顎で使うとか、そんなチャンスを絶対に逃したくないらしい。額に手を当てて天を仰ぎたくなる衝動を懸命にこらえつつ、二人の酒のおかわりと焼酎のロックを伝票に書き込んだ。
「お前……いけるクチじゃねーか。見直したぞ」
「酒量で人を量ってるんですか? 変わった基準ですねえ」
「あ゛ぁ゛?」
「そー言いなや、楽しい席やないか。付き合ってやったり。ほら、次。空け」
「そうですね……」
口ではなんだかんだ仕掛けつつ、注文を取りに来る度に匋平の態度は明らかに軟化している。これは見たことないですね、などとメニューを眺める夏準に飲み口を解説している依織も楽しげだ。即席で放り込まれたとは思えない馴染みぶりである。
「まだ飲むのか……」
「不真面目なバイトくんですね? 売り上げに貢献しようというのに」
「そうじゃなくて……」
本来この時間、夏準はモデル仕事への影響を考えて食事や飲酒は絶対にしないのだ。しかし今日は留まる様子がまったく見えない。夏準に限って絶対に無いとは思いつつ何か無理しているのなら……と挟んだ口だったが、まともに取り合う気は微塵も無いらしい。
「オススメは?」
意地の悪い笑みが口角を引き上げてこちらを楽しそうに見上げている。普段より赤みの強い瞳が細くなるのをまじまじと眺め、もしかして酔いが回っているのだろうかと思った。が、顔色は少しも変わっていないので判断できない。本人に聞けば絶対に否定してくるに決まっている。
「……水」
真面目に出した答えだったのに、何故だか酔っ払いたちの場が沸いた。何が彼らのアルコール漬けのバイブスに触れたのかよく分からない。憮然と伝票を手に厨房に戻った。
「……おかわりいかがすか」
依織おすすめの焼酎ボトルを空けてからはお呼びがかからなくなっていた。あちこち呼び出されながらホールを行ったり来たりしている中、視線を向ける度に陽気な雰囲気が消え、神妙な顔を突き合わせて何かを話し込んでいる。とうとう気になって自分からテーブルに近づいてしまった。三人のグラスには焼酎が残っている。「おお」、匋平と依織がまた酔っ払いの歓声を上げた。どうやら険悪な雰囲気ではなさそうなので安心したが、一体何が「おお」なのだろう。改めて考えると謎だ。
「見てみい、気になって自分から寄ってきたで」
依織がまた気安く肘でつついているが、夏準は避けることもなくそれを受け止めている。安心とはまた違う、なんだか複雑な気分になった。口をつけていたグラスをテーブルに戻し、ちらりと夏準の視線が上がる。先ほどまでと打って変わって退屈そうな表情だった。
「そういうひとですから」
何の話だかさっぱり分からないのに、視線だけがはっきりとアレンを責めている。突然襲い掛かった理不尽に戸惑うことしかできないでいると、ぶは、と匋平が勢いよく笑みを噴き出した。
「なんだ……かわいいとこもあるじゃねーか」
「ちょっと」
喉を鳴らして笑いつつ、身を乗り出して夏準の頭に手を伸ばし前髪を乱している。心底嫌そうな顔がまた匋平の笑いのツボをくすぐるらしく、普段からは想像できない陽気な笑みが惜しみなく零れている。それを正面で受けて夏準のしかめ面も呆れた表情に変わっていっているのが分かった。
「……お冷お持ちします」
だいぶ出来上がっていることを察しての気遣いだったのに、今度は三人分の笑い声を背中を背負うことになってしまった。釈然としない。
「ラストオーダーっすけど」
「早いなあ。もうそんな時間か。シメ、入れとこか?」
「もーそんな年でもねーだろ。要らねーよ。俺は同じのくれ。お前は? 入るだろ、若いんだし。食ってもいいぞ」
アレンとしては「ようやく」という感覚なのだが。依織が名残惜しそうにメニューをパラパラめくれば、定かではないがアレンたちから5、6歳くらいしか違わないはずの匋平がそれをいぶし銀で一刀両断する。水を向けられて、それまで黙り込んでいた夏準がゆっくりと顔を上げた。
「アレン」
「え」
シロップが溶け込んだみたいな声に、目の色にドキリとする。甘い顔の仮面を重ねるところなんてしょっちゅう見ているのに、何故だかはっきり「違う」と分かった。頬杖をついて、唇が緩く弧を描く。
「ほかは……いらないです」
いつもはその甘い声の裏に隠されている鋭さを今は少しも感じない。騒がしい店内にふわふわと漂う音の頼りない連なり。思わずぼうっとその目の色を眺めてしまい、匋平と依織にニヤニヤ眺められていることに気づくまで一拍遅れた。
「座ってくか?」
明らかにからかわれていると分かってはいても、バイト中なんで……と、同じような答えをリフレインするくらいしかできない。澄ました顔でグラスを傾けた夏準に取り残されている気分だ。その向こうに座る依織が苦笑とともにひらひら手を振っている。
「はよ終わらせてきいや。見といたるから」
なんだか、自分でもよく分からない何かまでを見透かされている気分になって居心地が悪い。首を傾げつつ、とりあえず仕事には戻っておいた。
待ってる人が居るならという店長の厚意に甘え、閉めたばかりの店の外に飛び出す。付き合いがある依織に気を使っていたのかもしれないし、酔っ払いたちにとにかく絡まれたアレンへの同情かもしれない。ともかくありがたい親切だ。そのまま仕事を続けていたら皿やらグラスやらをうっかり割っていたと思う。熱気と酒気で湿った店内から抜け出せば、五月の夜の風が首元を涼しくする。
軒下にある灰皿を囲んで煙草を吸う匋平と依織とまず目が合った。依織がまた手をひらひら振って、そして煙草を持つ指をすぐ隣のベンチへと向ける。店先の白くて安っぽいライトに照らされた顔には睫毛の影が下りていた。こんなところでうたた寝しているのだろうか。夏準らしくない。
「夏準」
ベンチからはみ出て組まれた長い足の先まで近寄ると、閉じられた瞼がゆっくり上がった。その無防備な表情のまま、淡い笑みが白く閃く。
「やっと注文がきました」
自分で言ったことに自分でクスリと吐息を漏らし、愉快そうに目が細められる。なんとなく直視していられず目を横に流すと、いつの間にか匋平と依織がすぐ横に立っていた。それぞれ片手ずつで両肩を叩いてくる。
「気を付けてな」
「後は若いおふたりさんで~」
こちらもこちらで愉快そうな笑みを零しつつ、アレンの怪訝な顔などは少しも気にせず、さっさと背中を見せて歩き出す。まだ開いている店を探す相談を始めたようだ。
「なんだったんだ……」
純粋な夜道の心配とはまた違ったような。不可解な気持ちを持て余しながら二人分の千鳥足を眺めていると、突然ぐいと腕を引かれて体が傾く。夏準と顔がぶつかりそうになる直前でなんとか体勢を留めた。
「まだ待たせるんですか?」
ごく近くで生まれた声はやっぱり耳の中で甘く響く。アルコールの強い匂いだけで酔いが回りそうな錯覚がした。どんな表情を取ればいいのか分からなくなっているアレンを夏準はまた愉快そうに笑い、掴んだ腕を支えにそのまま立ち上がった。帰りましょう、歌うように言う。
「……歩くのか?」
「たまにはいいでしょう? 『こういう時に、アイデアが浮かんだりするから』」
それはアレンが唐突に思い立って散歩に出かけたり遠出する時の常套句だ。むぐ、と口を閉ざしたアレンをまたクスクス笑っている。その陽気な気配が滲む目元にアレンもとうとう苦笑を返した。
「楽しそうだな……」
「はい。思っていたよりは悪くない席でしたよ」
「何の話してたんだ?」
「知りたいですか?」
いつもの外面でもなく、バトルの相手への先制攻撃でもなく。何の気負いもない燕夏準として酒を飲み、笑い、真面目な顔で何かを語る顔をただ、遠くから見ていた。ただそれだけ。いつものようにそこまでやるかというほどからかわれたわけでもないし、危うい「ほつれ」を見つけたわけでもない。
「知りたいっていうか……モヤっとする感じ、かな」
いつもより緩やかなテンポで歩いていた長い脚が止まった。街灯がたよりなく照らす頬はやっぱり白い。けれどやっぱり酔っているな、と確信できるのは、その力不足のスポットライトが苦しげに歪む笑みを幻のようにアレンに映したからだ。
「じゃあ秘密です」
夏準の長い人差し指の下で、唇がまた機嫌の良さそうな笑みで柔らかい曲線になるのを目も離せずに見ていた。
「そういうひとですから、アナタが」
どうしてだか「ひどい」と詰られた記憶がさっと蘇ったが、問い返そうとするアレンの視線なんかさっさと振り捨て、夏準は軽い足取りで夜道にステップを踏み出した。
(2024-03-01)