※ Pixiv掲載: https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=21292991
※ Be smitten with me と Anchor me, never let go を経てくっついたアレ夏です
Duh!
何か決定的な瞬間があったわけじゃない。本当にふとした、小さな小さな変化だ。例えば二人がすれ違う時に交わされる視線とか、相手の注意を引く時に触れる手つきとか、笑い合う顔の近さとか。そういうものが意識の端に引っかかっては降り積もり、ついに確信に近づいた。
「あのさあ……アレンってひょっとして、さあ……」
「なんだよ、揺らすなって」
いつものようにボディクリームを塗り込みつつ膝でアレンの背中をバウンドさせていたら、さすがのアレンの集中も途切れたようだった。思いっきり作業の邪魔をしている自覚はある。が、そもそも当然のように人の膝を背もたれにしているのは眠気が強くなってきているサインなのだ。佳境になるとアンが何をしてもロクな反応を返さずテーブルかデスクに噛り付いている。
膝で受け止めたアレンの肩に手を置き、怪訝そうな横顔を覗き込む。少しためらってしまうのは、「これ」がこれまで全く考えもしていなかった、無意識に候補から一番目に外した可能性だからだ。
「『好きな子』って……夏準、だったりする……?」
「えっ」
目尻が深く切れ込んだ鋭い目がぱっと開き、人を寄せ付けない険しさが一瞬で吹き飛んでどこか幼い表情になる。いつかのような秘密を暴かれる恐れや不安を一切感じない。ただただ単純な驚きがアンに跳ね返されている。そこでまた一本、ピンと繋がる回路があった。
「ちょっと待ってよ、まさかその反応……」
そう、アレンはただ驚いている。アンがアレンの想い人を的中させたことに……ではなく、「今更そんなことを言い出したアンに」だ。ハアッと大きく息を吸って胸を膨らます。それがアンの爆発の前兆であることをよくよく知っているアレンは怪訝そうな表情に戻ってわずかに身を引いた。尻に勢いを付けてソファから立ち上がる。アレンをじろりと一睨みし、フローリングを大股でドスドス踏んだ。もちろん向かうはリビングの外、王子様の寝室だ。
「夏準! 夏準! 起きてよ! 今! いーま!! 絶対話さないとダメなことがあるんだけど!!」
ドンドンドン、いつかは恐る恐る叩いたドアを全ての遠慮と配慮をドブに捨てて思いっきり叩く。お高級なマンションの分厚い壁や床が無ければとんだご近所迷惑になっていただろうとは思うのだが、どうしても明日に持ち越せない一大事なのだ。ドンドンドン、四度目の拳を振り下ろそうとしたところ、ガチャリとドアが開いた。振り下ろそうとした拳を受け止められる。目が開ききれずに顔をしかめたレアな夏準だ。
「なんですか。こんな時間に……」
「すやすや寝てる場合じゃないでしょ!! どーいうこと!?」
「はあ……どういうこととは……」
「とりあえずこっち! 来て!」
握らせた手をそのまま引っ張りリビングまでズンズン戻る。アンへの困惑と、自分のやらかしに夏準を巻き込んだ焦りとで居心地悪そうなアレンの隣に夏準を押し出し、とりあえず並べて座らせた。眠気が振り切れないのか夏準は目元を軽く揉み込むように抑えている。そしてちゃっかりアレンに傾いて体重を預けた。アレンも当然のようにそれを受け止めている。最早疑いようもない。仁王立ちでそんな二人を見下ろしつつ、頭のあちこちに引っかかった記憶を高速で拾い集めていく。
「分かったー! あの、変な感じだった時……ってもう一か月くらい前じゃん! 去年じゃん!!」
年末、二人の雰囲気がちょっとおかしくなったことがあった。よくよく考えれば事の発端はアレンの片想いだったわけで、相手が夏準だったならわけが分からなかった全てに美しい一本の線が通る。なるほど、決めつけちゃダメなわけだ。アンにも確かにそういうところがあった。
「あれ……? 悪い、なんか言った気になってた」
「全っ然言ってないよ! 何も知らなかったんだよ! 僕だけ!!」
「別に聞かれませんでしたし……」
「夏準の! そういうとこ! ヤダ!!」
思わず両手を頭に当ててせっかくサラサラにケアした髪の毛を搔き乱してしまう。夏準には何を言っても無駄だと早々に悟り、気まずげに頬を掻くアレンに照準を合わせた。
「なんで真っ先に僕に相談してくれなかったの!?」
「それは……」
「もっと早く知ってれば僕もアレンをからかえたのに……!!」
「そういうところだろ……」
くうう……喉の奥で悔しさを引き絞りその場にがっくりと崩れ落ちる。これまで散々様々な恋愛事情を見てきたし巻き込まれもしてきた。それなりに「そういう」ものを見る目は持っているつもりだったのに。二人との距離が近すぎて却ってぼやけていた。
「大体、全っ然分かんなかったよ?……あれからはいつも通りだったじゃん……」
それに加えて二人も二人だ。何か甘い雰囲気を醸し出してきたり、際どい現場に居合わせたりしたことは一度も無い。依織にもらった酒を三人で楽しく空けて、すっかりいつも通りの日常が戻ったようにしか見えなかった。んんー……猫のように唸りながら二人を見上げると、夏準が小さく苦笑を漏らした。
「別に隠していたわけじゃないですよ。アレンが外に出すなと言うので。ねえ?」
「夏準」
笑みにいつもの意地の悪さが加わってゆっくりアレンに傾けられると、アレンの表情がばつ悪そうに歪んだ。本当にまるで思春期のヒヨコちゃんみたいだ。しゃがみ込んだ膝に両肘をついて頬を支え、気づけなかった悔しさを夏準に便乗することで発散する。
「あーなるほど? 恥ずかしいわけ」
「違うって」
「アレンはそこがかわいいっちゃかわいいけどぉ、いつまでもそんなんじゃ愛想尽かされちゃうかもよ~?」
「だそうですよ? アレン」
あからさまにからかわれてアレンの表情はどんどん不服そうに歪んでいく。アンをじっとりと睨む目がそのまま夏準に向けられるが、アンも夏準も愉快な気持ちにしかならない。似たような笑みをニコニコ浮かべる。
「わあ、怖いですねえ」
「分かってやってるだろ……」
アレンの様子を見るに、二人の仲はまだまだ進展していないように思える。冷やかしはするものの、別に二人がどう関係を築いていくかに口出しするつもりはない。世の中には世の中に居る人の分だけ付き合い方があって、好きなように愛や信頼を積み重ねていけるのだ。名前や決まりで敢えて縛る必要はない。二人が何か新しい関係を見つけて、それを始めようとしているなら、それはやっぱりアンにとっても嬉しいことだ。
「今日気づいたってのもあるけどさ、なんかヘンな感じ」
ただ、ひとつだけ。照れをしかめ面でごまかすアレンを微笑ましく思いつつも気になることが生まれてしまった。なんとなく指先で髪の先を捩じる。アンの言葉を受けてすぐに下ろされる視線に不安が隠れていることに気づいて慌てた。髪先を放り出して両手を開く。
「いや、最初に会った時から二人ってペアって感じだから。びっくりしてるんだけど、同じくらい今更っていうかさ……その、ちゃんと恋人らしいことできてるのかなって」
全く違う顔立ちなのに、きょとんとした顔は不思議なくらい似ていて思わず眉を下げて笑ってしまった。二人は顔を一度見合わせたかと思えば、息ぴったりに立ち上がった。アレンが右隣にカエルのように飛び込んできて、夏準がゆっくりと後を追い左隣に腰を下ろす。
「なあ、余計な気使うなよ」
「そうですよ。安心してください。アレンにはちゃんと慣れてもらうつもりですから」
「はあ?」
「あっはっは、ホント~!? それはそれで気まずいかも! でもイチャイチャするアレンって想像できないや! 見たーい! 期待してるね!」
敢えて口に出さなかったのに、二人にはすぐにアンが何を考えたかバレてしまったらしかった。なんだかそれがくすぐったい。いつも通りの日常が減るわけじゃなく、増えていくんだったらいいなと思う。そうなる予感を二人が今、両脇から支えてくれた。ふふ、思わず自然と笑みが湧き上がってくる。
「別れ話になった時はちゃんと教えてよ? 一緒にdivorce cake作ろうね!」
「ディ……あのなあ……」
「なんですか、それ」
「ウソ、夏準知らないの? 後で見せてあげるよ! 僕たまにdivorce party呼ばれて行くからさ~」
「そんなこと起きないから大丈夫だよ」
アンと夏準が同時に口を閉ざしたので、アレンは自分がうっかり漏らした言葉がとんでもない爆弾だったことに一拍遅れて気が付いたようだ。顔がそっぽに向けられるが赤くなった耳は隠せない。
「へえ?」
「へー? 起きないんだあ……」
夏準は自分で気が付いているだろうか。アンと同じようにニヤニヤ笑っているつもりで、目がいつもよりも何倍も柔らかくて甘い色をしていることに。VIPシートで観戦も悪くないね、忍び笑い漏らす。
「もういいだろこの話。邪魔するなら俺も寝る」
逃げるように立ち上がったアレンを追って夏準も立ち上がった。ついでにアンも立ち上がり、ソファに置きっ放しのボディクリームを回収する。気も済んだので大人しく寝ることにしたのだ。おやすみ、声をかけようとしたところに夏準の満面の笑みが振り返ってくる。
「アレン? アンも心配していることですし、少しは恋人らしいことでもしましょうか?」
「は」
自分の部屋へ大きな一歩を踏み出そうとしたアレンの腕を掴んで引き寄せ、振り返ってきた額にすかさずキスを落とす。ぽかんとした顔を愉快そうに鼻で笑って、夏準の視線はまたアンに戻った。
「잘 자요、アン?」
「Sweet dreams, lovebirds! 僕はたまごと寝るもんね~」
サービス旺盛な夏準に呆れ半分、愉快な気持ちにしてくれて感謝半分。むっと照れを押し殺しているアレンをケラケラ笑いながら部屋に戻った。この様子だとやっぱり夏準がアレンをリードしているんだろうな、なんて思ったりもしたが、それ以上の邪推は止めた。もうこの後は二人の時間だろう。
「寝ないんですか?」
当然のように一緒に部屋に入ってきた夏準は、何の遠慮もなくアレンのベッドに入ってアレンの枕に肘を付いている。二人になればこの様だし、一人で寝ていても寝具に感じる残り香で人を翻弄していることにちゃんと気づいているのだろうか。全て計算しているように見えて、そんな細かいところには頓着していない気も最近してきている。だから性質が悪い。
「寝ると言うから来たのに」
「もうちょっと作業したいから」
実際のところ一区切りは付いているが、額に感じた柔らかい感触ですっかり目が冴えたとは言いづらい。ただでさえあんなにからかわれている。PCのスクリーンロックを解除すると、クスリと笑みが空気を揺らした。
「ボクがここに居たら集中できないのに?」
どきり、心臓がまた夏準の好きなように弄ばれている。ひとつ息を吐いて憮然とした表情をベッドに向けた。
「『恋人』に嘘をつくなんて……悪い男ですね、アレン」
しかし、いつもより機嫌が良さそうだなと気づいて苦笑する。
アレンだって、アンがその勘の良さで想う相手を知った時どんな反応をするか、恐れる気持ちが全く無かったわけではない。今日は浮かれてもしょうがないかと散々からかわれたことを忘れてやることに決めた。椅子から立ち上がってベッドの端に腰かける。夏準の笑みから棘が抜けた。この瞬間が好きだ。
「作業なら後でいくらでもして構いませんから」
「うん」
枕から肘が抜け、代わりに頭が預けられる。いつも仰向けで眠っている夏準だが、アレンが傍に寄ると横向きになる。手を差し出すと、すぐに夏準の手が乗った。きゅっと握りしめてやる。
「眠るまでこうしていてください」
「分かったよ」
ふ、とまた夏準が笑う。片目が心底嬉しげに細くなる。くすくす、小さく肩が揺れた。
「アレンは本当に、ボクのことが好きですね?」
「そう言ってるだろ」
何度言えば分かってくれるやら。空いている手の甲で頬を軽く撫でると、心地良さそうにすり寄ってくる。少し猫に似ているかもしれない。そんな感想をこの腹黒ドS王子様に抱いている自分がおかしい。
「だから二人だけの時にしといてくれよ、それ」
こんな姿をもし万が一誰かが見ることになったらアレンのように底なし沼に真っ逆さまだ。そんな犠牲者を自分の他に作るわけにはいかない。アレンが掴んでいる限り夏準がどこかへ行くはずもないのだから、アレン以外の誰かはただただ惑わされるだけだ。かわいそうだろう。
「너뿐이죠」
どうせまた、不器用なアレンをからかうようなことを言っているに違いない。苦笑して手のひらで目を塞いだ。まつ毛が上下した感覚がする。大人しく目を閉ざしてくれたようだ。
「アレン」
「うん? なんだよ」
「アレン……このまま」
「うん、夏準」
これが惚れた弱みと言うか、欲目と言うか。ベッドを我が物顔で占領されているのに、この完全無欠の『恋人』というやつが、アレンには可愛らしく映ってしまうのだった。