文字数: 2,939

Go all the way w/ U



 別に特別な合図は無い。けれど、夏準の部屋は他の部屋と離れているので、どんな理由であれアレンが夏準の部屋に入ることになった時は「そういうこと」になる場合が多い。

 音と夏準のリリックとで今一つハマらないところがあるから──アレンの表情も言っていることも至極真っ当なものだった。夏準も何度かサンプルを聞いてフィードバックを返す。なるほど、確かにな、感心しつつアレンはベッドに無遠慮に腰掛けてタブレットをいじる。しばらくそれぞれの静寂がそれぞれで好きに消費されていたが、アレンがふと声を上げた。

「これでどうだ?」

 音楽は鳴らない。期待に満ちた目がただ向けられているだけだ。夏準はそれに苦笑して本に栞を挟む。そして敢えて緩慢な動作でデスクから立ち上がり、ゆっくりとベッドに近づいた。

「どれですか?」

 体が触れる程の距離に腰を下ろし、アレンの膝に手を置いてタブレットを覗き込む。あからさまなちょかいに苦笑しつつも、HIPHOPの虜たるアレンは自分を譲らずに再生ボタンを押す。流れ出したメロディーに夏準の掠れた囁きが探るように重なる。

「な?」
「うん、良さそうですね。ただ……」

 少し綺麗に収まり過ぎている。もっとフロアを刺激する何かが欲しい。夏準の指摘したところへアレンは再生バーを戻した。共感するところがあったのか神妙に考え込んでいる。夏準はその横顔を楽しく鑑賞した。笑みが消えるとすぐに鋭くなる目元。三人の楽曲にどこまでも真摯なそれを夏準は心底気に入っている。目尻にひとつ唇をつけた。

「んー?」
「いえ?」

 何か言いたいことでもあるのか、を一音に込めてきたアレンに、夏準も短く返事する。ただじゃれついているだけだから、アレンが作曲を続けようが続けまいがどちらでもいい。体を傾けて肩に頭を乗せた。手持無沙汰にアレンの太ももを指でなぞる。段々そわそわし始める動きが愉快だ。

「……夏準」
「なんですか?」

 とうとう憮然とした声で名前を呼ばれたので悪びれずに顔を上げると、その瞬間に噛みつくように唇を塞がれた。唇を唇でやわらかく食まれ、吐息で笑って小さく口を開けばすぐに熱い舌が侵入する。パタリと音がする。タブレットがベッドに伏せられた音だろう。乗り出してくるその腕を掴んで体を支える。

 ん、とか、ふ、とか、ほんの小さな声や息が漏れる度、自分のものでない生き物が自分では触れないようなところまで舐める度に、血の流れが早くなって体に熱が灯っていく。アレンの体がゆっくりと前のめりになっていき、とうとう腕にしがみつくのが面倒になって夏準はベッドに頭を預けた。床に下ろしていた足を回収し、足先でアレンの腹のあたりをくすぐって片足を立てる。夏準もアレンも当然体が反応し始めているので、向き合うとなんだか間抜けだ。くすりと笑みを転がす。

「お前って……」
「最高でしょう?」

 余裕の無さを隠しきれない苦い顔に呆れが滲んでいる。は、と短く息を吐いてアレンは力を抜いて笑った。もうそういうことでいいよ、雑に呟いて口づけを続ける。

 夏準のシャツをたくし上げた熱い手が素肌を撫でる。脇腹から腹、胸元まで、普段はいくら触られても何も感じないのに、口を塞がれているだけの違いで肌が粟立つ。腰に熱が集まってくる。爪先が胸元の弱いところを掠めていって思わず息を詰めてしまった。ん、と漏れた声を満足そうに笑う気配がする。今度は夏準が呆れ笑いを漏らす番だ。ベッドに縫い留められたもう片方の手を持ち上げて押し出して抗議する。ふ、とまた悪びれない吐息が漏らされて口が離れていった。唾液で塗れた唇を拭いつつ、体を起こしたアレンがベッドサイドに手を伸ばし、一応は隠されている「必要なもの」を引き寄せてベッドに放った。転がったローションを手に視線が落ちてくる。

 皓々と輝くデスクライトの光を受けたアレンの目が、機会を覗う肉食獣のようにじっと夏準を観察しているのが分かった。制御できない感情が背中をぞわりと騒がせ、その感触にまた笑ってしまう。

「意外と、手慣れていますよね」

 肘をついて頭を起こし、ひとまずローションを捨てさせる。顔に浮かぶ困惑を愉快に思いつつトレーナーの裾に手をかけてたくし上げた。夏準の言いたいことが分かったのか、潔くトップスが脱ぎ捨てられる。チャラリとメタルの鎖が鳴いた。

「上手いも下手もないだろ、こういうこと」

 アレンの顔には何の見栄も強がりも見えない。心の底から誰がやっても変わらない行為とでも言いたげな顔だ。正面に居る夏準としては少々面白くないし、やっぱり普段のアレンを思い返せば意外だ。はあ、思わず生返事を返してしまった。アレンの目がきょとんと丸くなって少し眉が下がる。

「なんか……ダメだったか?」

 また体が屈められて顔が寄る。アレンに対してだけでなく、情けない顔がすぐ近くに来たくらいで簡単に溜飲が下がる自分にも呆れる。手をアレンの頭に回して鼻筋にひとつキスをしてやった。

「いえ、気にしないでください。意味のない指摘でした。ボクはアナタが初めてみたいなものなので……比較しようも、」
「えっ」

 せっかく場の空気を戻してやろうと思ったのに、アレンの素っ頓狂な声が更に空気をぶち壊している。目を大きく開いたアレンの手が両肩に回る。

「冗談、だよな……?」
「今更こんな嘘ついて意味あります? 箔が付く、くらいに留めておかないと色々と面倒なんですよ」

 いくら当人たちの中で「いらない」となったって、世間的には大きな肩書を背負ったままだ。恋愛や性交は最も人が無防備になる瞬間。それをどんな輩がどんな風に利用してくるか分からない。そうなると、どう転んでも有益になりそうな身元の明るい相手とビジネスライクな付き合いをするくらいが精々になる。

 アレンががっくりと胸元に崩れた。立たせた前髪がシャツに埋もれている。一体何がそんなに衝撃だったのか。まさか今更そんなことで失望したなどと言う気だろうか──思わず眉を寄せていると顔がガバリと上がった。

「夏準」
「……なんですか」
「お前……怖いな、ほんと」
「はあ?」

 アレンが何を言いたいのかさっぱり分からず、夏準まで妙な声を上げてしまった。呆れた視線と怪訝な視線をぶつけ合って数瞬、わけの分からない状況に笑えて来てしまったのはほぼ同時だ。アレンが両肘を付いて顔を覗き込んでくる。

「俺でよかったか?」
「そうでなかったら、大人しくこうしていると思います? ボクが」

 言い終わるか言い終わらないかの内に、また口を塞がれた。

-+=

ご不便をおかけしますが、コピー保護を行っています。