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KSSC (ブレイク)



「よーし!今日も張り切って行こうぜ!」

 パン、円堂がいきいきとした表情で両手を打ち合わせた。その柏手で、どんな天気もどんな空気もさっと真夏の晴天に変わるようだ。梅雨を前にした湿っぽい曇り空も円堂が笑えばサッカー日和のいい天気、なのである。花を落とし、雨を待つ若葉の匂いが甘い。毎日毎日、何年も繰り返して来たことなのに、楽しいことに比例して辛い思い出も少なくないのに、サッカーを前にするとどうしてか背筋が伸び、歩幅が大きくなる。今日はどんなサッカーができるかと楽しみで仕方がない。

 この雷門はそんな感情を共有していることを、肌でびりびりと感じてしまうチームだ。円堂がうきうきとボールを蹴れば、部員もそれに続き、また円堂が笑い、部員が手を打ち合う。その素直さが笑えるくらい好ましいところだ。

 オレもあいつらにこういう顔をさせていただろうか、時々そう思う。

「じゃあ今日は、KSSCで話した練習をやってみたいから聞いてくれ!なっ、豪炎寺!」
「ああ、KSSCでな」
「何か分からないことととか、もっとよさそうなこと思いついたら言ってくれよ!ん?どうしたんだ鬼道?」

 それまでの思考をまるで放棄して色々と言いたいことがあったのだが、その全てを同時に発散させることは不可能だ。仕方なく鬼道は震える手を挙げた。抗議の意味で。

「何から言っていいか分からないが……とりあえずオレはそのクラブの人間じゃないぞ」
「KSSCだぞ鬼道」
「ボクが考えたんですよ!洗練されたこの文字列、なかなかのものでしょう。FBIやCIAもびっくりの諜報機関ですね」
「おう!かっこいいよな!鬼道好、」
「正式名称はもういい」

 鬼道をひっくるめてからかっているのだろうと決めつけていた目金の表情は、どこまでも真剣かつ得意げだ。怒るに怒れないが腹の立つしたり顔である。

「確かに自分が入るとナルシストになるとか言ってたな」
「そうかなあ?まあとりあえず、鬼道とKSSCで考えた練習!これでいいよな!?」

 何も良くなかったが、きっといくら時間をかけたところで理解してはもらえないだろう、この鬼道の内にあるなんとも言いがたい恥ずかしさは。それなら話を先に進めた方がいい。円堂と豪炎寺――自称『KSSC』にしてもサッカーがなかなか始められないことは本意でないはずだ。ここは鬼道が折れるしかない、そう諦めていた時だった。

「待て!雷門ばかりにデカい顔をされちゃ困るぞ!」

 聞き慣れてはいるが、絶対にここでは聞こえるはずのない声がした。その姿を確かめる前に口が勝手に動いている。

「佐久間、」
「突然悪いな、一応止めはしたんだが……」
「源田!?」

 さすがに驚きで動けない雷門勢を掻き分け、ピッチの外の二つの人影に駆け寄った。もちろんどちらも入院中の身だ。いつものユニフォームというわけにも行かず、パジャマに私服の上着を引っかけたような出で立ちだ。源田は腕を吊り、佐久間は車椅子に腰掛けている。

「どういうことだお前たち……病院のはずだろう」
「ついさっきまではそうだった。だが黙っちゃいられないことを聞いたからな」

 黙っちゃいられないこと?佐久間の言葉をオウム返しで反芻する。ついでに目を上げて源田の表情を確かめるが、苦みのある笑いを浮かべているだけだ。

「とにかく、許可があって出てきたというわけでもないんだろう。まだ安静にしていないと……」
「だけど鬼道、KSSCはオレたちこそにふさわしい称号だろう!」

 またそれか。そしてお前もか。
 いやそれ以前に病院を抜け出してまでそれなのか。

 唖然とした表情が呆れに変わるのに大した時間はかからなかからなかった。ばつの悪そうな源田が、ついうっかりお前のメールのことを話して……などと釈明を披露している。しかしそれは別に謝る必要のないことだ。鬼道だって源田からチームメイトへ話が伝わることを想定した上でメールをしている。しかしまさかこういう反応で返ってくるとは夢にも思わなかったが。

「いや……佐久間……」
「それをぽっと出の雷門に奪われるのは納得いかない!」

 佐久間は厳しい視線をまっすぐに円堂と豪炎寺に向けた。対する二人も、そこまで言われては引き下がってもいられないらしい。不本意そうに――というより拗ねた子供のような表情で駆け寄ってくる。

「オレたちだって、そんなに急に言われたって納得できない」
「そうだぞ!鬼道好き好きクラブはオレたちが考えたんだ!」
「なんだそのふざけた名前は!益々許せないぞ!KSSCは『鬼道をすごく尊敬するクラブ』だ!」

 外野の目金が感心するように唸っている。その一部始終、逐一に至るまで脱力だ。まだまだピッチに立つまでには時間がかかるだろうが、ここはひとまず元気そうな姿を見れて喜んでおくべきだろうか。ため息を吐き出すと、ぽんと肩を叩かれた。源田だ。

「死ぬ気で脱走してきた。お前ぐらいは怒らないでくれ」
「オレが怒らないでどうする……オレはお前たちのキャプテンだぞ」
「良かった」

 源田の横顔は心底嬉しそうな笑みだ。視線の先では佐久間が円堂たちとあれやこれやとネジの2、3本抜けた会話を繰り広げている。目だけで源田に問えば、笑みはこちらを向いた。

「オレたちはこうやって無茶してでも、それを確かめたくなるくらい、そのキャプテンが好きなんだ」

 あれはちょっと弾けすぎだけどな、源田はすぐに目を正面に戻した。松葉杖を使ってはいないが、やはりまだ足取りはどこか不安で、吊られた利き腕はしっかり固定されて少しの自由も利きそうにない。

「……馬鹿だな」

 チームはいつも確かに信じていられる。だがキャプテンとしての自分は、いつどこでもはっきりと掴める時はない。それでもその輪郭にちょっとでも触れることができるとしたら、それはこういう瞬間なんだろう。

「んー……、まあ確かに鬼道は帝国のキャプテンだしなあ……」
「じゃあオレたちが本部で、佐久間たちは支部だな。できたのはオレたちが早いんだ」
「なるほど!やっぱ天才だぜ豪炎寺!」
「何が天才だ!それを言うなら鬼道は元は帝国に居たんだから、本部はこっちだろう!」

 感動の余韻にも浸らせてくれないらしい。このごっこ遊びが一刻も早く飽きられることを祈るしかない。鬼道がいい加減に声をかけようと口を開くと、それより早く円堂が佐久間と視線を合わせて身を乗り出していた。

「じゃあ、サッカーで決めようぜ!」
「……っそれは、」
「早く治して、もう一回戦だ!それで勝った方が本部!」
「それまではどっちも支部だな」
「なっ!なっ!」

 円堂が源田にも笑顔を向ける。源田も笑顔だ。悔しさを露わにしていた佐久間も、ため息を吐き出して表情を苦笑に崩している。

「ああ、望むところだ」
「受けて立つ!」

 鬼道にとっては、もはやどちらも大事なチームメイト、好きライバルになってしまっているのだ。それが皆、今、笑顔であることはやはり嬉しい。

「不安も悔しさももどかしさもある。だがお前がその力を雷門でも発揮できているってことが、まず一番に嬉しかった。オレも佐久間も」

 拳を突き出した。一瞬、源田はどういう意味か悟りかねたようだった。だがすぐに笑って、拳を合わせてくる。こん、と骨がぶつかった。長い間同じチームにいたが、ひょっとするとこんなことをしたのは初めてかもしれない。悪くはない。

「鬼道!」

 飛びついてくる円堂を、よろけつつなんとか受け止めた。後に続いてきた豪炎寺は、子供の相手をするように鬼道の頭をぽんぽんと叩いている。

「オレたちも、お前の仲間だからな」
「オレたちも、お前が好きなんだからな!」

 タイミングを計らずともほとんど同時にかけられた言葉に思わず笑った。もう認めるしかない。

「分かってる。好きにしろ」

 明らかに感化されている。さすがにあそこまではできないなと、源田と佐久間が呆けて見つめているのには全く気づかないくらいには。

(2011-01-13)

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