文字数: 16,588

KSSC (ブレイク)



「鬼道ー!」

 廊下の向こうからバタバタと近づいてくる二つの影に、鬼道はつい笑みを浮かべて足を止めた。クラスが違うというのに、午前の授業が終わった途端これだから息をつく暇もない。これに困った気持ちが少しも沸かない自分も相当に困ったものだ。

「どうしたんだ。そんなに慌てて」

 教師が見ていれば即座に足止めを余儀なくされていただろう円堂が、鬼道の前で急停止した。その後からパタパタと小走りの豪炎寺が続く。

「言いたいことがあってな」
「オレたち、かけもちすることにしたんだ!」

 とっさに何も返さなかったのは、何かの聞き間違いだろうと思ったからだ。しかししかめ面のまま硬直した鬼道に、この至近距離で聞こえていないとでも思ったのだろうか、円堂がご丁寧に繰り返してくれた。オレたち、かけもちすることにしたんだ──へえ、そうか、かけもちか。

「かけもち……!?」
「おう!」
「部はどうする!?」
「かけもちだって言っただろう。それに、サッカーやりながらでもできるんだ」

 果たしてそんな通販教材のような部活が存在するのか。文化部だろうか?妹である春奈は元々新聞部だったようだが、今はほとんど籍を残すのみで、後はマネージャー業にかかりきりだ。マネージャー業の中でも情報収集を主に請け負っているので、新聞部と仕事を兼ねているのかもしれないのだが。

「この時期に何を考えているのか分からないが……何の部活なんだ。言ってみろ」
「部活?部活じゃないぜ?」
「……じゃあ何だ?かけもちなんだろう?」
「KSSCだ!なっ!」
「ああ。KSSCだ」

 聞いたことのないアルファベットの並びに、脳以外の機能が停止する。恐らく何かの略称なのだろうが、いくら思考を高速回転させても全くどういうものか予想も立たない。

「KS……なんだって?」
「KSSC!」
「……何だそれは」

 円堂と豪炎寺は同じように目を瞬いて、そしてお互いの顔を見合わせている。そっか分からないか、そうだな分からないよな、と鬼道を完全に置いてけぼりにして何かに納得している。

「えーっと、KSSCっていうのは……目金が付けてくれた名前で……」
「いや、名前は分かった。つまり、何なんだ?」
「鬼道好き好きクラブ!だよ!」
「は……?」
「だから、鬼道好き好……」
「繰り返さなくていい」

 円堂の言葉を繰り返そうとする豪炎寺の正面に手のひらを突き出した。ここで一体どんな反応を返せば正解なのか。鬼道は思わず頭を抱えそうになった。

「鬼道の話豪炎寺としてたんだけど、そしたら目金がいっそクラブでも作ったらいいって言うからさ!いい考えだなーって思って!」
「……からかわれてるぞお前たち……」
「えっ……そーなのか?」

 円堂が濁りのない澄んだ目を驚きに瞬かせて、豪炎寺を振り返った。豪炎寺も似たような目を瞬かせ、そんなことないと思う、とだけ言った。いや、だから、そんなことあると言ってるだろう。大体、鬼道について一体どんな話をすればそんなからかわれ方をするのか。ここでうっすらとでも予想ができる自分が辛い。

「そうだよな!そんなことないって!それにKSSCってなんかかっこよくっていいだろ!?」
「どこがだ……」
「音無も秘密組織みたいでいいですね、って言ってたぞ」
「うっ……そ、うなのか……!?いや!そういう問題じゃないだろう!」

 思わず声を大きくするが、ではどういう問題なんだと如実に書いてある二人の顔を見ると、最早どこから初めていいのか見当もつかなかった。がくりとうなだれる肩を片方ずつ叩かれる。

「じゃあ給食終わってからな」
「さっき自習でさ、豪炎寺たちとフォーメーション考えてたんだ!鬼道も一緒に考えようぜ!」
「自習時間は自習をしろ……」

 鬼道の突っ込みなど聞こえていない風で、円堂が思い切り手を振りながら廊下を戻っていく。片手を軽く挙げた豪炎寺もそれに続く。昼休みにも訪ねて来る気なら、今の話だってその時で良かったはずだろうに。言いたくてたまらなかったというところか。

「作るのは勝手かもしれないが、とことんオレが置いてけぼりだな……」

 恥ずかしさで苦くなる表情をごまかすように、一人呟いた。

 給食を食べ終わってからすぐ、鬼道は図書室へ向かうことにした。クラスの人間に、円堂たちを見たら図書室に向かわせるよう言付ける。どれほど有効かどうかは分からないが、サッカーの話ならサッカーの話に集中できるようにするためだ。極力『KSSC』とやらに話が戻らないようにしたい。

 つい口からため息が出てしまう。円堂が『ああいう』人間だということはうすうす感づいては居た。そもそも第一印象からして常軌を逸した人間だったのだ。ただ豪炎寺までとなると話は違ってくる。表情の変化に乏しい外面と、突出しすぎている能力値ばかりが先行していたから、実際に付き合ってみての落差が激しすぎる。

「……いや、あいつのアレは感化されてるんじゃないのか……」

 周囲、もちろん円堂に。ぼそりと呟いた独り言は呆れた苦言だったはずなのに、口元に手を当てていたせいで、少しばかりその角が上がっている自分に気が付いてしまった。これでは鬼道まで伝染病に罹患してしまう。無理矢理表情を引き締めた。その時だった。

「……何だ?」

 前方の廊下を二人の人間に阻まれている。目だけで後方を確認するが、やはり二人の生徒が逃がすまいと気を張っているようだ。鬼道はゴーグル越しに前方の二人の生徒をぞんざいに観察した。いずれも見覚えはない。サッカーに関わりのない人間か――記憶のデータベースにも残らない、取るに足りないサッカーしかできない人間か。そのどちらかだろう。

「何の用だ」

 ニヤついていたまま何も言わない生徒たちにも答えやすいように少し言葉を足してやる。いちいち聞いてやるのも億劫な口上に拠れば、彼らが鬼道にしたいのは他校の友人のためを思った感動的な行いのようだ。

 鬼道自身のその足、そのサッカーで傷ついた人間が居ることは、踏みにじられた人間が居ることは、間違いないことだと分かっている。影山から離れた今、そういう覚悟はあった。黙ってやられる趣味はもちろん無い。だがどうしようも無いことだとは思う。ただ足だけはどうにか守らなければと思った。変な難癖を付けられないよう、防戦一方を強いられることは想像に難くない。

 その程度には、鬼道は今のチームに愛着を持っているのだ。

「……好きにしろ」
「待てーっ!好きにされたら困る!」
「そうだな、せめてKSSCを通してもらわないとな」

 後方の二人の生徒を押し退けて両隣に並んだのは、円堂と豪炎寺だ。突然の出現に驚くが、鬼道は図書室に向かう途中であり、しっかり言伝を頼んでいたのだから当然と言えば当然か。両肩をそれぞれにぽんと叩かれた。

「お前ら卑怯だぞ!普通一人の時は絶対バトル起きないのに!」
「ああ、宝箱を思い切り開けて回れてスッキリするな」
「……お前たち何の話だ」
「あっ、そう、そうじゃなくて!とにかく!どんな理由があるかは知らないけど、鬼道になんかしようって言うなら……」

 言うなら?正面に居る生徒の一人がオウム返しに尋ねた。目前の4人にはサッカーで決着をつける気など毛頭無いようだ。もしここで抵抗らしい抵抗をすれば、雷門サッカー部の進退に関わってくる。だが円堂は不敵に笑っていた。ちらりと豪炎寺に視線を送って、それだけで考えを悟らせている。その証拠に豪炎寺も不敵な笑みだ。

 何も分かっていないのは鬼道だけで、それを悔しいと思う束の間に両腕をそれぞれに捕まれる。

「言うんなら、逃げるっ!」

 言い切って、円堂と豪炎寺が同時にスタートを切った。一瞬呆然とした生徒たちをまたも押し退け、バタバタと廊下を駆けていく。鬼道はただひたすらそれに引きずられていた。昼休みをのんびり過ごす生徒たちが驚いたようにこちらを見ている。

「お前たちには関係ないことだろう。放っておけば良かったのに」
「何言ってるんだ」
「そんなことできるわけないだろ!」

 少し俯きながら廊下を走る。後方から追ってくる気配も無いのに、円堂も豪炎寺も足を休める様子が無い。それどころか鬼道の腕を解放する気さえ無さそうだ。

「……万一、お前たちに飛び火でもしたらどうする」

 円堂と豪炎寺が寸分違わぬタイミングで鬼道を振り返り、それぞれ特徴的な笑みを浮かべた。清々しいまでの曲線を描く円堂の笑みと、緩やかに目を細める豪炎寺の微かな笑み。今度は、何も言われなくても何が言いたいのか分かった気がする。

「お前たちには無いのか」
「えっ?何が?」
「……やっぱりなんでもない」
「鬼道もKSSCに入るか?」
「それじゃただのナルシストだろう……」

 これはただの当然でなくて、『円堂と豪炎寺』の当然なのだろう。

(2010-07-21)

-+=

ご不便をおかけしますが、コピー保護を行っています。