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月とスイカ (遊ジャ)



 ジャックが「違う」と思い始めたのはいつだったかは分からない。だが、なんとなく仲間内にはその共通認識があって、遊星もそれを否定しようと思ったことは無かった。ジャックは幼い頃から遊星とどこか違った。分からない感情を、分からない表情で、分からない言葉で語った。そういう時、遊星は大抵ジャックの真横か正面に居た。だが誰よりもジャックから離れた場所に立っているような気がしていた。

「ジャック」

 夜更けだ。ガレージとは言え気を遣った声量を選べば自然とトーンが落ちる。部屋に戻ろうと階段を上がった遊星は、そこで初めて踊り場に置かれた椅子に腰掛けて眠るジャックに気がついた。シェードランプの灯りを受けて、腕と足を組みそこに座っていたのは知っていたが、そのまま眠っているとは思わなかった。

「寝ているのか。部屋に戻った方がいい」

 返事は無い。揺すって起こせばいいだろうが、なんとなく気が進まない。ジャック、もう一度名を呼ぶと口だけが億劫そうに開かれた。

「……放っていろ」
「そうか」

 目は閉じられたままだ。だがそれで良かったような気がする。ジャックが目を開いた時のその表情が、遊星には想像できなかった。

「月を見ているのかと思った」

 去り際、独り言のつもりで呟くと、ジャックは寝ているのか起きているのかあいまいな声でもう見る必要はないと言った。昔のジャックはいつも窓辺にいて、朝も昼も月の影を探していた。

「ただいま帰りましたよ、っと!」
「クロウ。早かったな」
「当たり前だろ?早さがウリのブラックバードデリバリーだ!」

 クロウがドアを勢い良く開けると、薄暗いガレージの光量がほんの少しだけ増したように思う。階段を下りるクロウの足取りは軽い。もしかするとその軽やかなリズムが部屋を明るく見せているのかもしれないな、遊星は手を止めてクロウが同じ目線まで下りてくるのを待った。

「ご苦労様だな」
「お前もだろ?どうだ?調子は」
「まあまあだ」
「この状況じゃ、一日二日で何か変わるワケもねえな」

 遊星がテストマシンのボディを軽く撫でると、以前の爆発が思い返されるのかクロウが顔の筋肉を少し引き締める。それが面白い。口の端だけで笑ったが、すぐにクロウには分かったらしくゲンコツを伸ばされた。避けると、窓が作る陽光の四角の中に飛び込んだようだ。少し眩しい。陽が傾いてきている。

「もうちょっとカネさえありゃあなあ」
「それは言わない約束って奴だ。クロウ」
「まーなあ……って!」

 この会話が、この場に居ないある人物にとって都合の悪い事態のトリガーになることに気が付いたが、遊星は当事者ではないので黙っておくことにする。案の定クロウは左右を忙しなく見渡し、遊星に一歩分詰め寄った。

「ジャックの奴はどうした!?」
「さあ……分からないな」
「アイツ!またあのブルーアイズなんちゃら飲みに行ったんじゃねえか!?」
「それは違うんじゃないか。D・ホイールで出かけたからな」
「お前!見てたのか?だったら止めるなり行方聞くなりしてくれよ……!」
「声をかけようとも思ったが……相手は小さい子供でもないからな」

 むしろ図体だけで言えば子供数人分だろう。しかし遊星の答えは的外れだったらしく、クロウはそういうことじゃねえ!と頭を抱えた。配達用のメットを乱暴に脱ぎ取ってもう一歩遊星に詰め寄る。その勢いに遊星は一歩後退を強いられた。窓の陽から外れて影に入る。

「何度も言ってるし、お前に言っても仕方ねーけど!このままでいいわけないだろ!?アイツもチームの一員なんだ!それなりの仕事は分担しねえとダメだろ!」
「それはそうだとオレも思っている」
「それに!この街は変わったんだ!今ではひとつのネオ童実野!ここの奴らも変わり始めてる!なのにアイツだけちーっとも変わる素振りがねえだろ!」

 父親が子供の生まれた当初を大げさに振り返るように親指と人差し指を狭め、最後にはくっつけたクロウは、遊星の答えを迫るように押し黙った。同意すべきところだし、頷いてしまいたい気もするが、同時にそれだけではないと分かっている自分もいる。ジャックは変わった。変わったからこそこうして同じ場所に居る。

「確かに……オレたちはこの大会で、ひとつになったこの街のために何ができるか、オレたちだけの手で何が作れるかを探そうとしている」
「そうだ!のうのうと散歩してたっけえコーヒーなんか飲んでるヒマなんてありゃしねえよ!」
「……少し、話してみよう。出てくる」
「お?おう……」

 意外そうな顔をしているクロウを怪訝に思いながらD・ホイールにかかったシートを剥ぎ取る。ここまで焚きつけておいて遊星が何かアクションを起こすとは思っていなかったのか。メットを被って視線を送れば、まだぎこちない様子でシャッターを押し上げた。

「……お前は結構変わったよな」
「何だ!?聞こえないぞ!」
「早く引きずって帰って来いよ!一発殴らなきゃ気が済まねえ!」
「分かった!」

 体をD・ホイールに預け、心地いいエンジン音とスピードに包まれる。当てなどどこにも無かったが、このスピードの最中にあれば、なんとかなるような気がしてくるから不思議だ。

 気まぐれなジャックだ。捜索は難航するように思われたが、案外すぐに見つかった。レンガ造りの橋から、綺麗とは言い難い川面の流れを眺めている。なまじ彫りが深いため、ちょっと難しい顔をしているだけで重大な悩み事でも抱えているように見えるから厄介だ。声をかけ辛い。エンジンを切りD・ホイールを押して近寄った。

「遊星か」
「邪魔したか」

 フン、ジャックはつまらなそうに鼻を鳴らして手中の小石を投げる。川の流れに相殺されて石は一度しか跳ねなかった。

「……遊星よ」
「なんだ」
「オレは途方に暮れている」

 中身がどうあろうとも、常に強気のフルアーマーを纏っているのがジャックだ。珍しいこともあるものだとその横顔を見つめた。遊星もジャックに思うところの一つや二つや三つ……考え出せば切りがないくらいあったが、やはりジャックも真剣に考えていたのだろう。当然だ。少し安心して息をつくと、不意にジャックが遊星と視線を合わせた。

「ジャック?」
「どこにも無いのだ」
「……何がだ」
「スイカだ」

 スイカ。

 遊星の記憶に誤りが無ければ、緑に黒のストライプの球体の果物の名称だったはずだ。幼い頃から今まで、残念ながら口にしたことは無い。夏に食べるものだとか、種を飲み込むと腹の中で芽が出るだとか、正しいかも怪しい知識としてしか知らない。

「思いつく限りの場所を渡り歩いたが……見つからん。そうだろうな、オレもシティに出るまではその存在すら知らなかったのだ」
「待て、ジャック。何故スイカを探しているんだ」
「食べるために決まっているだろうが!」

 遊星は思わず咄嗟に、脳内のクロウと信じてもいない神に謝罪した。何故遊星が謝罪しなければならないかはよく分からなかったが、そうでもしないとやりきれない。何となく裏切られた気分だ。

「……ジャック」
「フン……しかしここで諦めるようなオレではない!丁度いい、お前も来い!遊星!」
「待っ、……ックソ」

 素早くホイール・オブ・フォーチュンにまたがり、急発進させたジャックを追う。こんなことならばさっさと声をかけ、チームの方針について建設的な会話をしておけば良かったのだ。できたかどうかはともかく。

 広い車道に出ると、ジャックのスピードは更に速くなった。本気だ。これがデュエル中ならそのスピードに血も騒いだろうが、今のジャックのデッキにはスイカ以外のカードは無さそうだ。

「ジャック!日が暮れるぞ!」
「それがどうした!まさか諦めろなどと言うなよ!お前の口からは一番聞きたくない言葉だ!」

 市場や青果店、スーパーマーケットを潰していくがどこにもない。シティ地区や旧トップス地区の付近まで行けば容易に手に入るのだろうが、手の届く値段かどうかは別問題だ。一応ジャックも、スイカの値段に関しては気にしているようだった。ハイウェイ越しに見える太陽は夕闇に溶け滲んでいる。ガレージを出たのが昼下がりだったとは言え、もう数時間は経っているだろうか。

「ジャック、日を改めたらどうだ」
「断る!オレはこうと決めたら貫き通す男だ!」

 それは大層な美徳である。貫くべきところならば。

 今ジャックは全速でネオ童実野の郊外へ向かっている。基本的に高価な青果は富裕層の居住地区へ出荷されるが、生産元を訪ねればもしかすると手に入るかもしれない――親切な店主がそう教えてくれたのだ。成り行きで付き合っていた遊星も、その流れのままD・ホイールを走らせている。実物を見たことがないということが探究心を大きく刺激しているのも手伝った。

「ここか!」
「店主の言葉通りなら、ここだな」

 ネオ童実野に近いとは思えないくらいの広大な土地が緑やビニールハウスに覆われている。空はほぼ宵闇で覆われ、西の果てにわずかな夕陽の余韻があった。街の中心部からでは見えない星々がいくつか空に、明かりの灯った民家がいくつか地に点在し、この地を守り育てているのが分かる。ゼロリバースにより、基本的にネオ童実野の土地は作物には向いていないはずだ。どれだけの労力と努力がこの地に染みこんでいるのか。

「ジャック……やはりここは……」
「くどい!」

 何を考えているのか、むしろ考えていないのか、ジャックの足取りは力強い。気は進まなかったが、ここまで来た以上ただジャックを黙って待っているだけというのも性分ではない。店主に教わった家へと近づく。これまた知識でしか知らないような、時代錯誤な一軒家だ。

「邪魔するぞ!」
「おい、ジャック!」
「ヒッ……!もうしばらくお待ちください、収穫には時期が……っ!あ、あなたたちは?」

 ジャックが敷地に足を踏み入れた瞬間、戸口から転がり出てきたのは初老の男だ。いかにも気弱そうな風体で、日に焼けた顔を困惑と狼狽で染めている。

「オレはジャック・アトラス、こっちは不動遊星だ。名ぐらいは聞いたことはあるだろう」
「ふ……不動遊星……!?あなたが……!」
「オレは!ジャック・アトラス!」
「は、はいい!」

 遊星にふらふらと近寄りかけた男は、ジャックの一喝でびくりと身を竦ませた。何だか申し訳ない気分だ。ジャックの横に並び、威圧感を与えないよう両の手のひらを広げて見せる。

「オレたちは別に危害を加えるつもりは一切ない。が、あんたはひどく怯えているように見える。一体どうしたんだ」
「い、いえ……」
「フン、言うくらいで何が減るというのだ。コーヒー一杯でやかましく怒鳴られるオレの身にもなれ」
「はあ……」

 ジャックの切実な説得が効いたかどうかは分からない(おそらく関係ないだろう)が、男は訥々と語り始めた。ゼロリバース直後から、仲間たちとこの地で農作物での復興を始めた事、苦労を重ねながらも、なんとか成功することができたこと、しかし性質の悪い商売人に騙され、この村の人間の販売ルートは牛耳られていること……

「許せん!」
「全くだ」

 高価な青果が旧サテライト地区に流通しないのもこれが原因のひとつだと聞いた以上、ジャックと遊星の『許せない』のニュアンスはかなり異なっているように思えたが、この際それはどうでもいいことだ。

「もちろんそいつはデュエルをするんだろうな!」
「へ……あ、はい……しかし!私たちはあいつらに負けて……!」
「フン、デュエルの勝敗で迷いにも憂いにも惑いにもケリがつく。それがこの街のいいところだ!」

 ヤクザじみた大声が近づいてきているのが分かる。男の顔が強張った。分かりやすいことだ。ホルダーからデッキを取り出したジャックは、遊星を振り返って笑った。

「なあ。遊星?」

 確かにそうだ。そしてこの街がいつも、遊星たちをそっくりそのまま映している。急激に変わっていく中でも、変わらないものを確かに残しているのだ。

「オレが捜し求めていたのはこれではない……!」
「だが、これはスイカで間違い無いんだろう」

 男に何でも持って行ってほしいと言われ、ジャックは迷わずスイカを選択した。三つのうちひとつはその場で切り分けてもらうという徹底ぶりだ。結果的に好意で分けてもらえることになったが、状況が状況ならばどうなっていたのか。脳内に浮かんだスイカ泥棒というフレーズを必死に拭いつつ、有難くスイカにありつく。甘く、水分を多く含んでいて美味い。しゃりしゃりとした食感が不思議で、種に気をつけつつも無我夢中で食べた。

「もっと甘くもなく、水分だらけでスカスカしていたぞ!」
「……それは、美味いのか」
「不味い!」

 それは恐らく輸入ものですよ、男はせっかく美味いものを出しているのに申し訳なさげだ。慌ててとても美味い旨を伝える。こういうジャックの人の感情を無視しがちなところは気に入らない。このスイカが不味いと言っているわけでは無い、と憤慨した様子で付け加えられたが。

「……そんなもの探してどうする気だったんだ」
「お前たちに食わすつもりだったのだ!」

 しゃくしゃく、違うと言ってみせるくせ、遊星の非難の目をかわしてジャックは美味そうにスイカを頬張る。すっかり星空一色になった空を見上げつつ、ジャックの言葉の意味をその空に探した。額面通りに受け取れば、それはただの嫌がらせだ。

「礼は、言わないほうが良さそうだな」
「フン。よく分かっているではないか」

 ただの嫌がらせをそうでない風に受け取りながら、食べるペースを少し早めた。クロウは今頃怒りを通り越して呆れている頃だろう。謝罪代わりに、この美味さを味わってもらうことにしよう。

変わってく君、変わらない僕(幼馴染みの恋物語-01

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