文字数: 3,542

一日片時 (遊星中心)



※ Pixiv掲載: https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=313517

 不動遊星の朝は早い。

 いつものジャケットを肩にかけ、ガレージの机に突っ伏して眠っていたが、鼻先に黎明の気配を感じてゆっくりと瞼を押し上げた。ベッドはもちろんあるが、それは寒い時期か、取り掛かっている作業が一段落を迎えた時にしか使わない。凝り固まった筋肉をほぐすために肩や腕を回す。次第に意識がはっきりとした覚醒を迎え始めると、軽く柔軟をして、エンジンをかけないまま愛機と共に朝日を浴びに外へ出た。他のメンバーはまだ眠っているため、極力音を立てないように気をつける。早朝の空気は澄んでいて気持ちが良い。メットを被り、民家から充分離れた場所まで出てからエンジンをふかした。澄んだ空気に一掃されたかのようなハイウェイは車影もまばらだ。思うがままに愛機を走らせるのにはうってつけなのだ。

 1時間ほどハイウェイから朝のネオ童実野を満喫しガレージの前まで戻る。それでもまだ時間は早朝と言っていい時間である。外にある水道の蛇口をひねってバケツに水を汲み、クレンザーと布を取り出す。洗車はメンテナンスの基本だ。朝のシャワーを待ちわびるような、陽光を照り返す赤い車体を一度優しく撫ぜた。

「相変わらず早ぇのなあ……」
「おはよう、クロウ」
「んあぁー、はよぉ」

 洗車を終えた頃、わざわざ外の水道で洗顔し眠気を覚ますクロウが起き出す。宅配の仕事はフレックスではあるが、どうにも休みが無い、と以前漏らしていたことを思い出す。今日の朝飯は俺が作ろう、愛機と共にガレージに戻った。遊星も似たような仕事ではあるが、クロウには一番苦労をかけている気がしてならない(洒落ではない)。

「遊星おはよう!今日も早いね」
「ブルーノ」
「どうかした?」
「いや、俺が朝飯を作ろうと思っていたんだが……」
「当番は僕じゃないか。いいんだよ、座ってなよ」

 遊星と同じく、特別朝が苦手というわけでもないらしいブルーノは、鼻歌など奏でつつフライパンに卵を流し込んでいる。ブルーノの言う通りではあるのだが、手持ち無沙汰はあまり好きではない。まだ眠そうにしつつも、今日の仕事内容を確認するクロウの横に座り、デッキを軽くいじる。本気になってかかると長いので、カード自体よりはタクティクスの再考に重きを置く。

「ジャックの分はどうしようか?」
「ほっときゃいいんじゃねえの?」

 どうせ起きてる分だけ穀潰しだぞ、日に日にジャックに辛辣になっていくクロウに何とも言えない気分を抱えながら立ち上がる。辛辣な言われようにどれだけ釣り合った人間だとしても、チームの、同居人の一員である。あいさつと朝食くらいは一日の共同タスクとして組み込んでほしいものだ。

「俺が行こう。ブルーノ、ジャックの分も頼む」
「はいはい、ベーコンベーコンっと……」

 一番何もしていないはずのジャックが、さり気なく最も良い待遇を受けているのは最早仕方の無いことでもあった。これは天性の才能という奴なんだろう。幼い頃からあまり人好きしない、されない性格の遊星とは正反対だ。と言うと、各所から反論の上がるところだが、残念ながら遊星の胸中の独白を聞いているのは当人だけだ。

「ジャック。朝だぞ」

 ノックもせずにドアを開け、無心に寝入るジャックを見下ろす。実に健やかな寝顔だ。なんとなく気に入らないが、寝ている人間に罪はない。何度か声を大きくして名前を呼ぶが、ジャックは寝返りを打つだけだ。面倒なことは繰り返しても仕方が無い。遊星は手っ取り早くシーツを引き抜いてジャックを床に転がした。朝からなかなかの重労働だ。

「遊星、貴様ぁ!!」
「狸寝入りはよせ。いくら抵抗してもこうなるだけだ」

 ほぼ毎朝のことなのでそろそろ学習してほしいところである。怒りも露に騒ぎ立てるジャックを引き連れてテーブルまで戻る。

「やっぱジャックを起こすのは遊星だな」
「ジャックってほんと寝起き悪いもんねえ」
「なんだと!」
「うわ!ジャックの目玉焼きベーコン入ってるから!ね!」
「フン!」

 成程、ブルーノはこれを見越していたのか。デュエルとはまた違った同居人のタクティクスに内心唸りながら、パンに目玉焼きを乗せて頬張る。昨日、運送用バイクの修理を依頼されていた。今日中にカタを付けるつもりで、遊星は早々に席を立った。

 作業にメドが立ったのは窓から優しい色をした夕日が射し込んでいる頃合だった。予想よりは難航したが、ほぼ作業は完了したと見ていい。あとは洗車をしてテスト走行をすれば完了だ。今日中にそこまでやってしまおうというのが当初の予定だ。しかし外から帰宅したジャックと鉢合わせたのが運の尽きであった。

「遊星!」
「……何だ」
「風呂だ!風呂に入る!」

 嫌な予感は当たった。ジャックは無類の風呂好きだが、同時にここの風呂場を生活上の最大の敵とみなしていた。水を温める方式が未だにガスであり、しかも着火や温度調整にややこしい操作を必要とするからだ。しかし遊星はいつも思うのだ。お前、ここに住んでどれくらい経つと思っている、と。きっとジャック自身に覚えようとする気が無いのだろう。だとしたら、遊星がいくら言っても仕方がない。

「じゃあバスタブに湯を張ってやる。待っていろ」
「くだらん!今すぐだ!」
「だが、」
「来い!このボロ雑巾が!」

 油で汚れた様を言っているのだろうがさすがに腹が立つ。引きずられつつ抵抗したが、腕っ節は昔から一貫してジャックの方に分があった。遊星の代わりにD・ホイールの調整に腐心してしたブルーノが呑気に手など振っている。いや、ブルーノ、そうじゃない助けてくれ。

「ジャック、風呂なら一昨日入った」
「何を言っている貴様!風呂は毎日入るものだ!」

 遊星の主張は、ジャックにとって逆効果でしかなかった。昨日は入っていないのか、と信じられないような表情だ。マーサの世話になっていた頃や鬼柳と居た頃などは何日も風呂に入れないことは当たり前だったはずだが。渋々ガスをつけ、注文通りの温度に設定してやり、ついでに犬のようにシャワーでぞんざいに髪や体を洗われ、浴室から放り出される。ガラス戸から聞こえてくる鼻歌に、悪態を吐き出してから着替える。

「風呂から出てさっぱりしたのに機嫌が悪いだなんて遊星くらいだよ」

 風呂から出た際に毎度のごとく言われるこのブルーノの言葉さえ遊星には火に油だ。ホイール・オブ・フォーチュンの座席にマキビシでも撒いておきたい気分だが、万一にも機体を傷つけたくはないので我慢する。丁度その頃にクロウが帰ってきた。両手には依頼主にもらったらしい食材を抱えている。

「見ろよ、もうけたぜ!夕飯はこのクロウ様に任せな!……遊星?」
「……なんでもない」

 久々にそこそこ豪勢な夕飯を食べ、溜飲もなんとか下がった。テスト走行は明日に回すとして、今日一日お預けを食らったD・ホイール整備にかかることにする。と言っても、愛機は朝のうちに調整しているし、その他もブルーノが面倒を見てくれていた。今日は制御プログラムの改良に没頭することにした。D・ホイールと繋がれたままのパソコンを睨みながら、ああでもない、こうでもないと模索する。クロウは疲れきって早々に眠りについており、ジャックはブルーノのD・ホイール講釈に捕まっているようだ。しかしジャックは操縦することに興味はあっても機体の整備についてはてんで無関心だ。柳に風、暖簾に腕押し、馬耳東風とデッキ調整でもやっていることだろう。

 時折キーボードに指を走らせ、機体と見比べ、チリ紙の裏に図式やメモを走り書いては思案する。深夜の作業とは言っても、画面に釘付けになってファンクションキーを連打したり、キーボードにひどい絵空事を打ち込んだりするようなどこかの誰かとはその質が違うのだ。

 ふと気づくと、耳元に心地よく響いていたブルーノの明るい声とジャックの低く適当な相槌が聞こえなくなっていた。どちらも部屋に戻って寝たのだろう。パタン、ノートタイプのパソコンを閉じた。明日はアキや龍亞、龍可たちが来ると言っていた。いつもより少しだけ早く眠ることにする。と言っても、日付が変わって数時間は優に過ぎていたが。走り書きのメモを眠りの淵で最後まで眺めながら机に伏せる。

 不動遊星の夜は遅いが、明日の朝はまた早いのだ。

-+=