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流れ星を釣るひと (十星)



「遊星。遊星……おい、聞こえてないのか?」

 まず寒い、重たい。そう思った。体の側面に冬空に放り出された鉛でも埋め込まれた気分だ。重い瞼をなんとか押し上げ、声の主の輪郭を捉えようとする。明るい日差しから庇うように影を抱え込んだ誰かが、遊星を覗き込んでいる。

「気がついたか!遊星!」
『よかったニャー』
『さすがに、死人を蘇らせる能力なんて持ってないからね』
「にゃあ」

 どこかで聞いた声を不思議に思い、脳内に直接響くような声に戸惑い、そしてそれが記憶のさざ波と結びつくと、大波がひとつ遊星の頭の中を洗った。目を見開いて体を起こそうとして、喉元に違和感を感じて咳き込む。一瞬だけ共に戦うことができた、しかし本来隣に居るはずのない人が背をさすってくれている。

「悪かった、まだ口ん中水が残ってたか」
「じゅ、じゅだ……!?ゲホッ」
「分かった分かった。驚いたのはオレも同じだから落ち着けって」

 特に水辺に居たわけでも無いはずだが、遊星の服や体はぐっしょりと濡れそぼっていた。いや水辺に居たのだろうか。思い出そうとして、つい最近のはずの記憶に潜り込めないことに気がついた。靄がかかったようにぼんやりとしていて気分が悪い。思わず額を押さえると、十代が顔を覗き込んできた。

「どうした?どこか痛むのか。もしかして釣り針で怪我したか?」
「……釣り針?」
「釣ったんだよキミを。ここで釣りしてたら」
「……」
「本当だって!こんな嘘言ったって仕方ないだろ!」

 疑ってはいないが、にわかには信じることができない。しかし十代の傍らには確かに釣竿が転がっていて、ここは岸壁のたもとのようだった。あたりは潮風に包まれており、拭った口元も塩辛い。

「ここはよく釣れるとは思ってたけど、さすがにびっくりしたぜ……。まさか遊星釣るなんてなあ」
「十代さん、その……釣る、というのは……」
「大物だと思って頑張ったらキミだったのさ」

 それ以上に何の疑問も持っていない、更に言うなら魚でなくてがっかりだとでも言いたげな雰囲気だ。物理的にも心理的にも疑問しか溢れていなかったが、それをひとつの言葉にまとめるのは到底不可能だ。

「何故オレは……ここに……」
「キミが分からないんじゃオレたちにも分からないぜ」

 何かまた事件が起きたんじゃないのか、問われて小さく首を振る。起きたのかもしれない。そしてそれを追ってここに居るのかもしれない。しかし遊星にはここに至るまでの記憶がまるで辿れないのだ。

『なにかショックのようなものを受けて、一時的に記憶が混濁しているのかにゃ?』
『時を越えるだけでも、実際は大きな負担だろうね』
「そうか……。ただ事じゃないのは確かだよな。せめて記憶が戻れば……遊星?」

 寒い。体の重みも増したように感じる。今まで感じたことの無い嫌悪感に身を縮めた。少し、寒い。そう呟くと十代は立ち上がって遊星の腕を掴んだ。

「歩けるか?」
「あ、はい」
「じゃあちょっと当てがあるんだ。付いてきてくれ」

 それは随分古い、木々に囲まれた二階建ての建物だった。ひと気は全くないが、寂れている様子でもない。ギイギイとやかましい階段を上り、一室に足を踏み入れた。夕陽を取り込んだ部屋は朱色に塗り尽くされている。

「オレの部屋さ」
『部屋だった、にゃ……』
『キミも本当に好きだね、この部屋』
「なんか落ち着くんだよなあ」

 バックパックから十代が引きずり出したタオルをありがたく受け取り、ひとまず簡単に水気を取った。上着とタンクトップを脱いで窓から水を絞る。ここの季節はいつ頃なのだろうか。窓から入る風はひやりとしている。

「ここは、どこなんですか」
「デュエルアカデミアの本校だぜ。キミの時代にもあるかは分からないが……」
『そして十代くんの母校にゃ』

 詳しい位置関係は分からないが、ネオ童実野のデュエルアカデミアとは全く雰囲気が違っているように見える。窓からは木々が、遠くには海が望めた。ぽんぽんと誇りを舞い上がらせてから、十代は3段ベッドの一番下に座った。

「また……突然だな」
「え?」
「初めてキミを見た時も突然現れた。赤い竜から飛び出してきたんだ。いつも、びっくりさせられるぜ」

 それは苦情ではなく、単純に感想のようだ。しかし遊星にとっても、十代は突然なのだ。窮地に一人で飛び込んだ時、共に戦う仲間が居ることを体で示してくれた。

「オレは前も、今も、あなたに面倒を持ち込んでいるようだ」
「なんだよ、そんなことないさ」
『どっちかって言うと、十代が遊星と面倒を引き寄せてるんじゃないのかい』
「へへ、そうかもなあー!悪かったな、遊星」
「いえ……オレは、こんな時だが、あなたにまた会えて嬉しい」

 この先どのような行動を取ればいいか皆目分からず、漠然とした不安だけが回転数を重ねている。しかし十代との思わぬ再会が嬉しいこともまた本心だ。十代は笑顔を傾けてオレもだよ、と返事をした。バックパックに手を突っ込み遊星に黒い丸首のTシャツを放る。

「少し小さいだろうけど貸すぜ。今日は肌寒いだろ。腹は?減ってないか」
「いや……」
「そうか。じゃあ好きなとこで寝ていいぜ」
「え、いや、オレは……」
「もう日も暮れるって。ただでさえここは日が長いんだ。考えても仕方ないし、寝て起きたら何か思い出すかもしれないだろ?」

 普段から、夜明けまで作業に打ち込むこともあるぐらいあまり睡眠は取らない体質だ。確かにここにはD・ホイールが存在せず、今起きていても仕方ないことは確かではある。だが、日のあるうちに眠るというのに抵抗があった。しかしそんな遊星に焦れたのか、十代は遊星の腕を強く掴んだ。それから一番下の段に遊星を押し遣る。

「ここが一番寝心地が良いんだ。譲るぜ」
「十代さん、オレは……」
「寝ろよ、おやすみ」

 遊星の手から湿ったタオルを奪った十代は遊星の腹の辺りにかけてぽんぽんと手を置いた。まるで子供の扱いだ。納得いかない複雑な気分だが、強い抵抗を示すこともできない。目を閉じると、それで満足したのか十代の気配が離れていく。瞼の裏の闇は、案外早くに遊星を眠りを急き立てた。

 ひょっとすると、疲れが外に出ていただろうか。

(2011-08-10)
突然、視界に飛び込んで来た君(あの人の心を開く5のお題-01

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