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流れ星を釣るひと (十星)



 またあの夢だ。

 そう思うだけで体は容易く力を失った。情けない話だとは思う。モーメントの光の中で見たものを、その光と闇を、遊星は少しずつ消化して行った。全てを一気に解消してしまうにはあまりにも長く深い霧が心にかかっていた。それでも遊星は、ただ内に向かうだけのその問題の殻から少しずつ歩き出そうとしていた。仲間が隣に居るのに、うつむいて歩くのは愚かなことだと気がついた。

(だが、それは……間違い、だったんだろうか)

 今遊星の体を飲み込もうとしている闇は、きっと遊星が何を考えているかには興味が無いのだ。ただ、遊星そのものが許せないと思っている。それはひょっとして、遊星がどうにかできるものではないのかもしれない。白かったはずの空間は今、ただただ黒い。目を開けている意味も無くなって目を閉じた。

 ――おいおい、もう諦めちまうのか?

 脳内に突然閃く声は明るく、光と力強さに満ちている。ぴくりと指の先が動いた。しかしそれは、闇を掴んだだけでなんの感覚も生み出さない。思えばあの悪夢のような現実からも、現実のようなこの悪夢からも、遊星は何度もあの人に、あの手のひらに救われた。

 そうか。

 声を出そうとしたが、もうそれすら闇に呑まれてしまっていた。呼吸が苦しく感じるのは酸素さえも闇に呑まれてしまったからだろうか。いつかは自我さえ薄れて、消えてしまうんだろうか。思い出せなくなっていく記憶のように、仲間の元へ帰る手立てを全て失うのか。

 オレはあの人に、会いたかったのか。

 そう思うとこの唐突な状況にも合点がいった。しかし十代にとっては迷惑な話だろう。本来は出会うはずのない未来の人間が光を求めて突然現れ、風邪を引っ掛け、面倒を押し付けられたのだ。しかし十代は嫌な顔ひとつ見せなかった。クセのある、それでも甘い笑顔で遊星、と呼んだ。

 っゅ、

 名前を呼び返すくらいなら許されてもいいだろうか。パラドックスとの戦いで、もう一度は勇気を受け取っている。十代に縋るのではなく、それを力に替えたら、光を諦めないでいられる気がした。

 じゅう、だ、

 十代さん、なりふり構わずまとわりつく闇を掻き分けつつ掠れた声で叫んだ。途端、バタンと大きな音が静寂を切り裂く。一体何が起きたのか分からなかったのは、闇を突然長方形に切り取った強い光に瞳孔が追いつけなかったせいだ。それでもそこに居るのが誰か、どんな表情をしているのかはすぐに分かった。

「おっ。良かったぜ、無事みたいだな。結構迷ったんだけど、キミの声が聞こえて助かった」

 自分が無事なのかそうでないかも分からない暗闇に呑み込まれているはずだったのだが、十代にそう言われて見れば、遊星は十代が蹴破った「ドア」が作る光の道の中にまっすぐ立っていた。ほっと肩の力が抜けた反面、また面倒をかけてしまったという思いも照らされる。これは夢なのだろうが、それでもやりきれない。

「十代さん、やはり……オレはあなたに……」
「悪かったな、遊星。実はお前を呼んだのオレだったみたいでさ」

 目を瞬くと、十代も同じような顔で遊星を見上げた。何故遊星が驚きを露にしているのか分からないという顔だ。遊星は勢いで一歩、十代に近づいた。光に近づいた分だけ、不思議と体が軽い気がする。

「違うっ、それは……オレが……!」
「そうなのか?」

 今この夢の中で十代に言っても仕方ないことだが、そこはどうしても訂正しておきたかった。時代も時空も超えてこんなところに転がり込んできたのは遊星のほうだ。しかし十代は遊星の話をまるで聞く気が無い。

「まあどっちにしたって、こんなに暗いところで考えてちゃ、頭ん中まで真っ暗になっちまうぜ」

 十代が遊星の手のひらを掴んで、また笑った。しかしそれは甘いだけではなく、若干の苦みを含んでいるように見える。目だけでその異変を追う遊星に気づいているだろうに、十代はその答えを明かさなかった。

「だから明るいとこで、もう一回考えよう。オレも、お前も」

 確かに遊星は、十代を追いかけるには言葉が全く足りていない。遊星が何か言葉を見つける前に十代は遊星の手を強く引いて、光の中に遊星を引き入れた。そうしてその勢いのまま遊星は光の中に立ち、十代は光と闇との境界に残る。結局遊星は頷く以外にはできなかった。

「……はい」
「いい子だな」

 力任せに片手で頭を撫でられた。こうして並んでいると体格は遊星の方が明らかに勝っていて、そんな風に子供のような扱いをされるとどうしても照れがある。しかしその手が名残惜しくて、黙ってされるがままでいた。

 頭に置かれた左手と、握られたままの右手が遊星から離れる。

 ゆうせい!

 耳元で繰り返される四つの音が自分の名前だと気づいた瞬間、深くぼんやりしたところにあった遊星の意識は急激に浅瀬に浮き上がった。しかし目を開けたはずが何も見えない。ひたすら柔らかい感覚に戸惑っているうちに、それがアキだと知覚できるようになってきた。それはそれで思考停止を余儀なくされるのだが。

「遊星!遊星っ、目が覚めたのね!」

 遊星、遊星と次々に十色の声音で名を呼ばれる。やっと広がった視界は、見慣れたガレージでも、見慣れない寮の一室でもなく、ただ真っ白な部屋だ。少しぎくりとするが、すぐ間近には仲間の実感がある。

「ここは……」
「病院だよ。気分はどう?」
「ったくよぉ!お前はジャックみたいな無茶はしねぇって信じてたらすぐコレだ!あっちが騒ぎ起こしたと思えばこっちで事件に巻き込まれやがって!」
「まあまあ、クロウ……」

 まくし立てるクロウを抑えるのはブルーノ、そして小言のこぼれ弾の標的となったジャックがムッとした表情で仁王立ちしている。泣き顔の双子も心配げに顔を覗かせてきた。自分が心配される事態に至り、病室にいるのだろうということは大体把握する。

「一体……何が……」
「呆れた奴だ……!お前が覚えていなくて誰が分かるか!どうせ新しいシンクロ召喚のためだとか言って無茶な走行をしたんだろうが!」
「試走レーンじゃなかったら無傷なんてわけにはいかなかったと思うよ」

 責めるようなジャックたちの視線が居心地悪く、目をそらそうとするが、その先には半泣きのアキたちの顔が待ち構えているのだった。四面楚歌だ。確かに遊星は一人で試走レーンを借り、スピード特訓をしていた。しかしそれは早朝だったため、誰にも言伝を残せなかったのだ。――焦燥があったことは、否定はしない。

「何時間もずーっと!起きなかったから心配したんだよ!」
「呼んでも呼んでも答えないから……もう、起きないんじゃないかって……」

 龍亞と龍可のトドメに観念し、遊星は素直にすまなかったと謝った。確かにあちこちきしむ体を起こそうと体に力を入れて、手のひらに感じる鋭い痛みに顔をしかめた。

「遊星!?まさかどっか怪我したか!」
「馬鹿な、医者は奇跡的な無傷だと言っていたんだぞ!」
「待て、ジャック……」

 今にも病室を出て人を呼ぼうとしているジャックを止める。怪我ではない。手のひらを小さく広げ、そこにある物を密やかに確認した。暗闇の中だけではなく、あの全ては夢だったのかもしれない。だが、夢にしては良すぎる夢だ。明るい部屋で今、そう思える。

「……オレは、釣られてしまったみたいだな」
「つられる?」
「吹っ飛んだ時、どっかに引っ掛けたのか?」

 目を丸くする仲間たちをこれ以上混乱させないように、遊星は手の中の釣り針を柔らかく握り締めた。

(2011-09-11)
ドアを蹴破って(あの人の心を開く5のお題-02

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