文字数: 15,380

流れ星を釣るひと (十星)



「遊星、朝だぜ。何か思い出したか?」

 ベッドの上の段に手をかけ、遊星を覗き込む。そこで十代は初めて異変に気が付いた。体を折り丸まるようにして目を閉じている遊星の呼吸は浅く弱い。よく見れば震えているようにも見える。十代は己の口元に手を当て、左右に視線を送った。半分透けた姿ではあるが、大徳寺とユベルがそこに在るのが分かる。

『昨日の夜はかなり寒かったみたいなのにゃ』
『これは風邪ってやつじゃないのかい。十代、キミも昔ひどいのを引いただろ』
「いつの話だよ。……まずいな」

 この島にしては珍しく、確かに昨晩の気温はかなり低かったように思う。生憎遊星に合うような替えのズボンは持ち合わせていなかったから、遊星は半分生乾きの服のまま寝ただろう。風邪のウイルスからすれば格好の温床には違いない。

「遊星、大丈夫か」

 肩を軽く揺すると、遊星はくたりと仰向けになった。細く目を開き、視線をさまよわせてから十代の名を呼ぼうとした、のだろうと思う。しかしそれは掠れた呼吸でしかなかった。重症だ。

「そうだ、鮎川先生……!」
『言ってる場合じゃないけど、キミ、卒業生にゃ……』
「ユベル、遊星見ててくれ!」
『見るしかできないけどいいのかい』
「遊星、何かあればユベルに言ってくれよ!」

 顔を近づけ言い聞かせる。すぐにその場を離れようとしたが、遊星が緩慢に腕を上げ十代の袖を掴んだ。何か言いたいことがあるのか。もう少し距離を詰める。しかし遊星は何も言わない。喉がやられて言えないのかもしれない。苦しそうに目を細め、十代をただ見上げている。

「熱いな……」

 長い前髪を分け入って額に手を当てる。汗で湿った額はかなりの熱を十代に伝えてきている。袖を掴む遊星の手を掴んで握り締めた。

「安心しろって。風邪なんてすぐ治るぜ」

 遊星がひとつ頷いて手を放したので、十代は寮のドアから飛び出した。

「ひどいけど、ただの風邪ね」
「良かった……」

 何の前触れも無く卒業生である十代が飛び込んできたことに鮎川はひどく驚いた様子だったが、十代の焦った風体を見て、深く考えることを放棄してくれたようだった。薬やタオルなどを手渡されたので有難く受け取る。

「先生、内緒で来てるから他には秘密で頼むぜ」
「まあ……スパイごっこでもしてるの?」

 おどけてはいるが、十代の頼みは聞き届けてくれているようだ。卒業生だからと言って二度と母校に足を踏み込めないわけではないが、絶好の釣りスポットが恋しくて黙って釣りをしてはレッド寮を好きに使っている、なんてことがバレたらまたやかましいことになるだろう。今のこの気兼ねない一人旅が気に入っている身としてはなるべく面倒ごとは避けたい(ユベルが隣で一人じゃないだろと文句を言っている)。

「ところであの子は?アカデミアの卒業生じゃないみたいだけど……」

 それは当然の問いだろう。しかし十代にとっても彼について説明できることは少ない。未来から来た人間で、名前は不動遊星。ピンチと危うさを背負って、十代の目前にいつも飛び込んできた。

「釣ったんだ」
「……え?」
「多分空から落っこちてきたのを、オレが釣ったんだ」

 埃を被った机に息を吹きかけ、デッキを見ていると、遊星が苦しげなうめき声を上げた。驚いて中腰になる。覗き込むと目を閉じたままだ。うなされているのか。胸のあたりに手を置く。

「遊星。遊星、起きろ」

 喉の痛みにつっかえるのか咳き込みつつ、それでも遊星は目を開かない。これでは休んでいても症状が悪化する一方だろう。十代は遊星の腕を強く掴んだ。

「遊星!」
「……、っ!」

 目を見開いた遊星は、荒く短い呼吸を繰り返しながら十代を呆然と見つめている。夢見が悪かったのか、という問いにも答えられない様子だ。ペットボトルを差し出してやって、遊星はのそのそと身を起こしそれに口をつけた。

 ……すみません。

 ほとんど息だけの掠れた声だ。返事をする代わりに新しいタオルを渡す。自分が面倒見のいい方だとは思わないが、遊星には我ながらよくやっているんじゃないかと思う。気にすんなと苦笑した。

 ありがとう。あなたが、ここにいてくれてよかった。

 静かな部屋だからやっと聞こえるような声に、まあたまにはこういうのも悪くないかと思った。

(2011-08-13)
いてくれてありがとう(あの人の心を開く5のお題-05)

-+=

ご不便をおかけしますが、コピー保護を行っています。