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テーブル宇宙



 黒くてちょっと扱いづらい長さの箸がすっと伸びて、餃子の羽根をパリパリと切り込む。円堂なんか、ちょっと苦戦して手でも使ってしまいそうなところだが、その箸はきれいに餃子をつまみ上げた。それからひょい、と持ち上げる。ゴールであるところの口が小さく開いた。試合以外で、こいつが大口を開けるところってあんまりない。飯を食べている時もそうで、不思議と大人っぽく、行儀が良く見える。餃子をおさめた口がもぐもぐと上下する。ごくり、と呑み込んだ後は、舌先がちろりと唇を舐めた。ボーっと、円堂はそれを眺めていた。自分はいつもの半分くらいしか食べなかったのに、全然腹が減らない。むしろ、腹の上のあたりが苦しいくらいだ。

 雷雷軒のギョウザはほんの少し小ぶりだ。でも、そのぶんキャベツやニラ、ひき肉なんかの具がみっしり詰まっているし、こんがり良い具合で焦げ目のついた羽が口の中でパリパリして美味しい。見た目の数も多いから、仲間たちと分け合うこともできる。老若男女分け隔てない人気メニューだ。響木が数か月前に大手術を終えたばかりということもあって、すっかり「気まぐれ営業」になっている雷雷軒だが、相変わらずサポーターは多い。もちろん、円堂たち雷門中のメンバーだってそうだ。

 雷門中の新生イナズマイレブンにとって二度目フットボールフロンティアは好調な滑り出しだ。その日の地区決勝もVサインの勝ち試合だった。響木が特別に店を開けてくれたのは、その試合を見に来てくれていたからだ。口ではあれこれ厳しい言葉をぼやきながらも、しっかり餃子のサービスまでしてくれている。ニンニクの香ばしい匂いが湯気と一緒になって白くくゆるのを差し出された時は、思わずはは、と笑みが漏れてしまった。

 一年生がどっと増えて、雷門中サッカー部もすっかり大所帯だ。全員この店に居たら座るどころか立つ隙間も無いだろう。今、ラーメンを食べているのは「響木監督」に馴染のあるメンバー数人と、雷雷軒の話が出た時にたまたま居合わせた一年生たち数人だ。それでも店には活気が溢れ、あっちでわっと盛り上がったかと思えば、こっちでどっと笑いが起きる。そしてへの字口の響木が気を緩めるなと格言をこぼしていく、これを繰り返している。それを笑顔で見渡した円堂はそっと視線を正面に戻した。何故だか仲間の声を遠くする静かさが中央の餃子の皿あたりでスピンしている。でもいやな空気じゃない。むしろ落ち着くやつだ。

 狭いテーブル席で円堂の正面に座ったのは豪炎寺だ。これは最近では珍しいことだった。特に問題があったわけじゃない。増えた部員たち一人ひとりに向き合うよう心掛けていたら、自然とそうなっていることに椅子についた瞬間に気がついた。

「食べないのか」
「へっ?」
「残すなら俺が食べる」

 伏し目がちにラーメンを食べていた豪炎寺の目がちらりと上向いた。ちょっと口元が笑っている。円堂が考えていることなんて分かっている、その上でからかっている、そんな顔だ。食べるよ、豪炎寺に併せて怒ったふりをしながら餃子をつまみ上げて口に放り込んだ。それから二人して笑う。

「これが俺たちなんだ……って思ってたんだ。いや、毎日思ってるよ。一年が入ってきてずっと」

 もう五月も半ばだ。新しい仲間たちと過ごして一か月以上は経っている。それでも朝練で、部活で、試合で、フィールドを駆け回るたくさんの部員たちを見ると胸に込み上げるものがある。一年前なんか、出場できるかどうかも怪しくて、雷雷軒に部員が入りきるかなんて心配したことすらなかったのに。

ふと夕日の河川敷が頭をよぎった。あの場所と、そこに居たこいつから、全ては変わった。

「……ああ」

 たった二文字の言葉が、円堂の言葉にできない気持ちを全てキャッチしてくれている。それが嬉しくて、また言葉にできない気持ちが生まれ、円堂の足の裏をくすぐる。それまで悟られたら何故だか恥ずかしい気がして、テーブル下でスニーカーをパタパタさせ、夕日の河川敷の土を頭から一旦落とした。箸を大げさな動きで持ち上げる。

「よし、豪炎寺、勝負だ! 早く食べたほうが勝ち! 残りの餃子全部な!」
「おい、円堂」
「始め!」

 ずずず、勢い良く麺を啜る。箸でつつくとほろっと崩れてしまうチャーシューのかけらを拾い上げて麺と一緒に味わった。独特のとんこつの匂いと、こしょうの効いたスープが箸の動きを早くする。響木の気まぐれ営業もあるが、円堂も忙しくなって最近はこの店ののれんをくぐっていなかった。久々の味に夢中になってしまう。息継ぎついでに汗かきグラスを掴んで、氷の溶けかかった水を飲み込む。ぷはあ、思わず声が出た。ビールを飲んだ時の父さんみたいだ、そう考えたところで対戦相手の様子が気になった。グラスをコトリと置いた先に、小さな笑みを見つける。

「喉につまらせても知らないぞ」

 豪炎寺の箸はあまり動いていなかった。多分マイペースに食べ続けていたのだろう。呆れたような、でも意地の悪い感じのしない笑みはいつもと少し違う。試合が楽しくなってきた時の顔や、仲間をからかっている時の顔とも全然違う。柔らかくて、嬉しそうな笑みだった。

「……ひょっとして、言った先からつまったのか?」
「えっ!? いや、そうじゃないけど……」

 突然動きを止めた円堂を不審げに見る表情がさっとその笑顔を消す。そうすると、マレトマレの呪いでも解けたかのように体が動いた。もちろんラーメンなんか詰まらせていないけれど、喉の下、胸のあたりが変な感じだ。

「腹減ってるんだろ。やるよ、勝負なんかしなくても」

 箸を置いた豪炎寺は餃子の皿を円堂の方に押し出した。またあの笑顔だ。ほら、なんて言われてもすぐに動けなくなっている。おう、とだけぎこちなく返した。そうだ、この笑顔――似ている。豪炎寺が妹と一緒の時によく見せる顔だ。

 食べてるとこ、見られてたんだろうか。あんな笑みで。そう思うと何故だか急に、恥ずかしさとそれに似た何かがつま先から顔面まで駆け上ってくる。変に思われないようにしなきゃ、と動かす箸もかちかち空振りだ。

「円堂?」

 今度は心配そうな顔だった。それが覗き込んでくる。いつもは当然のように受け入れているその動きが気まずい。さっきから分からないことだらけだ。頭の中でハテナがペンギンと共に踊っている。

「今日はもう腹いっぱい! ごちそうさま!」
「え、円堂?」
「豪炎寺、餃子食うよな!」
「ああ……。円堂が食わないんなら……」

 お椀を持ち上げて立ち上がり、壁山にチャーシューごと残った麺を分けてやる。壁山は目を輝かせて喜んでいたが、その隣の少林は風邪ですか、なんて変な顔で聞いてくる。そう言えば顔が熱い気がした。赤くなっていたら嫌だと思った。なんとなく。

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