どうしてだかは分からない。いつからなのかも覚えていない。だが、豪炎寺は円堂が物を食べているところを見るのが好きだ。一番良いと思うのは雷雷軒のラーメンだろうか。給食のカレーも捨てがたいが。
響木が無愛想にどん、と器を置くと、もうもうと上がる白い湯気の向こうで丸い瞳がくるりと嬉しげに光る。手をぱちん、と合わせてあのバカでかい声でいただきますと叫ぶのだ。円堂はそういうところは行儀が良いし、礼儀正しい。それから、「うわあ」なんて吐息を漏らしながら箸をスープに突っ込んで、勢い良く啜り上げる。やっぱりうまい、なんて笑顔で叫んでいるのを見ると、豪炎寺のラーメンまで何割増しも美味くなるようだ――もちろん、元々美味いのだが。それで、その自分のラーメンをいざ見ると思ってしまう。これも円堂に追加で食べさせてやりたい。自分の空腹なんてすっかり忘れて、円堂が満面の笑みでラーメンを平らげるのを見ていたい、なんて考える。しかし、体調不良でも疑われては困るので、試したことはない。
「そ、そうか……」
「そ……れで、豪炎寺は俺たちにどうしてそれを?」
事前に豪炎寺が頼んでおいたらしく、今日の雷雷軒は貸し切り営業だ。昨日の今日である。しかも風丸と鬼道の二人のみ。昨日の件を豪炎寺は知らないはずだが、どこからか漏れ出たのだろうか。二人分の疑惑の視線を一身に受けた響木は、何かが通じたらしく憮然と首を横に振った。
「最近、円堂の様子が少しおかしいと思わないか」
「そ、そんなことないだろー」
風丸は相槌を打った自分を責めた。明らかに不自然な棒読みだった。鬼道の視線も険しい。しかし、豪炎寺は幸いにもそちらへ気を取られることはなかった。円堂を心配する気持ちのほうが大きいのだろう。昨日までなら同調できたのだが。
「いつもより食べる量が落ちた。それだけじゃない。食べ方もどこかぎこちないような気がする。プレーに影響はないみたいだが……何か聞いてないか?」
まさに昨日とてもよく聞いたのだが、どこまで話していいものか分からない。円堂を納得させた言葉を繰り返せば良いのだろうか。しかしそうすると豪炎寺の視線が円堂の変調の原因という話になってしまう。実は大体がその通りではあるが、これは円堂のほうの問題でもあって……風丸は頭痛をこらえつつ、とにかく豪炎寺の不安を拭うために口を開いた。
「あいつなら大丈夫だよ。昨日だって、俺たちと一緒にチャーハン餃子セットつけてラーメン平らげてたんだぜ? しかも、家じゃおかわり絶対してるって言ってたからな。それに……、豪炎寺?」
豪炎寺は考え込むようにあごのあたりに指を当てている。その顔には安堵どころか次第に渋さが浮かんできてさえいた。ひやりと背筋を冷たいものが走る。
「そうか……やっぱりあいつが食べないのは、俺といる時か」
思わず硬直した風丸をやはり気に止めることなく、豪炎寺は先週の地区決勝突破祝いの記憶をとつとつと語った。円堂の食べっぷりが間近で見られて嬉しかったこと。だが、急に様子がおかしくなり、終いにはあんなに美味しそうに食べていたラーメンも餃子も人に譲ってしまったこと。どう考えてもその日から変調が始まったこと……なるほど、心当たりとしては申し分ないわけだ。やっぱりヤブヘビ……風丸は頭を抱えるしかない。
「そうだ、豪炎寺。円堂はお前の目に気づいている」
「鬼道!」
鬼道の目は信じろと力強く伝えてくる。さすが天才ゲームメーカー。餃子と半ライスを頼んだのはこのためだったに違いない。
「だからこそ、食べる量を減らした。これは円堂のメッセージだ」
「メッセージ?」
「き、鬼道?」
話の雲行きがやや怪しいが、鬼道のアイコンタクトはやはり力強い。怪訝げな豪炎寺にもその目を向けた。
「そうだ。雷門のエースとして、よそ見せずに食べろ、ウエイトをもっとつけろ、頼んだぞ豪炎寺! とお前だけに分かるよう語りかけているんだ!」
「そ……」
それだったら、直接言うだろ。円堂は。風丸はその言葉をなんとか押し留めた。鬼道の強い視線が送ってくるメッセージが「すまん」だということに気づきたくはなかった。カタン、カウンターに両手をついた豪炎寺は椅子を軽く蹴るようにして立ち上がった。
「そういうことだったのか……!」
一瞬、鬼道と風丸は呆けてしまった。豪炎寺がからかっているのかと思ったが、付き合いの長さで、あまり変わらない表情の中にも安堵があることは簡単に分かる。どうやら本当に鬼道の言葉を信じてしまったらしい。すとん、と座りなおしたかと思えば、伸びたかなんて言いながら呑気に醤油ラーメンを啜り始めてしまった。鬼道は気を取り直すべくひとつ空咳をした。
「そうだ。料理のマナーとしてもよそ見はよくないぞ、豪炎寺。食事に集中しろ」
「そうだな……。これじゃ夕香にも笑われるな」
ははは、空笑いしかできない風丸を誰が責められるだろう。ちなみにいつの間にか響木はカウンターから居なくなっていた。大人って本当にずるい。
それからはなんとか話をサッカーへ持っていきいつも通り盛り上がることができた。本屋へ寄るという豪炎寺と別れ、数歩。
「風丸……何も言うな」
「いや、俺もなんて言えばいいか……」
嵐になるか、いつの間にか霧のように消え去るか。敢えて言うならデータゼロ、未知の出場校。今の二人はまさに去年の雷門中サッカー部みたいなものだ。さて困ったもので、こう例えてしまうと、イナズマが走る未来しか見えてこないのだった。