文字数: 37,863

恋とは



Cadenza

「ど……どーしたのかな?バニーちゃん?」

 視線にたっぷりと非難の水気を滲ませれば、さすがの虎徹もたじろがずにいられないようだった。虎徹とアントニオの行きつけのバー、そのカウンターに並んで座っている。互いの家を行き来することは珍しくないが、二人きりでわざわざ外に出て飲むのは珍しい――というのも、酒に対する趣向があまり重ならないためだ。

「……喋ったでしょう」
「へっ?」
「とぼけないでください。喋りましたね?ファイヤーエンブレムさんに」

 まず口元が引きつる。それから不自然な笑顔が浮かぶ。向かい合う距離もやや遠めになる。肝心なことはうまく煙に巻いてしまうが、どうでもいいことばかりは分かりやすい。つくづく理不尽な構造を持った人だと思う。

「お……おじさん、ちょっと酔っちゃったみたい……!」
「なるほど。ロックバイソンさんも加えて三人で飲んでいる内に次第に酔いが回ってきた。陽気になり最後にはうっかり口を滑らしてしまった。そういうことですか」
「いや!でも牛はな!あいつはもう潰れて寝てたから!な!ヤケ酒ってのかね、あん時あいつ荒れてて……」

 自分で墓穴を掘り、そこへ身を横たえたことに虎徹はやっと気がついたようだ。えへ、と微笑が傾げられるが当然可愛らしさは無い。

「何か言うことは?」
「……ごめんなさい」
「はい」

 深い溜息を吐き出して虎徹の杯を持ち上げ、引き寄せる。カランと氷がグラスの中で身を崩し、強いアルコールの香りが漂った。

「これは没収です」
「おい、おいおいおい……お前、それじゃなんのために来たのか分っかんねえだろお……!」
「ひどいな。僕と楽しい時間を過ごすために来てくれたわけじゃないんだ」
「いやあ、お前と二人っきりで酒ナシってのは正直ちょっと辛いだろ?」
「あの!すみません、この人にレジェンドコーラを」
「っだ!冗談だって!今日は大事な相棒のふかーい悩みを聞きに来たんだよな!分かってる分かってる」

 どうにも気分がアルコールへ向かず炭酸水だけを頼んでいたが、手慰みにグラスを傾け顔をしかめた。バーナビーにとってこの種の酒は、アルコールであることを主張するだけの飲料だとしか思えない。

「もちろん悪かったとは思ってる。思ってるよ!ほんとほんと。でもあいつ、俺なんかより結構頼りになると思うぞ?」
「僕だって貴方なんかに相談してどうにかなるだなんて思っていませんよ」
「っだ!お前、そこまで言わなくったって……!」
「貴方が自分でそう言ったんでしょう」

 バーナビーも虎徹がただ単に口を滑らせただけだとは思っていない。このところ悩みの尽きない相棒を見兼ね、酒が持ち前のお節介を緩ませてしまったに違いない。ネイサンにしても信頼のおける仲間だ。プライベートに対する相棒の観念に思うところが無いわけもなく、多少面倒なやり取りを強いられたことを恨まないわけもなかったが、バーナビーの感情ひとつが知られるくらいなら構わない。けれどこれはやはり、誰に何を言ったってどうにもならないことなのだ。

「ただ……愚痴を聞いてほしかっただけなんです」

 わざとらしく険しい言葉を選ぶバーナビーに文句を連ねていた虎徹が不意に口を閉ざした。背を丸め、話を促すように笑顔を浮かべる。レジェンドコーラを運んできた店員が離れていくのをじっと待った。冷えたコーラが独特な形をしたグラスに汗をかかせている。

「……前にも言いましたけど。僕はあの人に何も求めてませんよ」
「おう」
「あの人が貴方といい勝負ができる鈍感なのも、」
「おい」
「目を疑うくらいの天然なのも、」
「まあ、それはな」
「案外頑固なところも、考え過ぎるところも、唐突に僕の心臓に過負荷をかけるところも、」
「はあ……」
「全部しょうがないじゃないですか。それがあの人なんだ」

 ――どうして君は私の隣にいてくれるんだい?

 彼に他意が無いことは分かっている。それは純粋な疑問だ。だからこそバーナビーはその問いに少なからず傷ついてしまった。そんなこと分かりきってるじゃないか。分かりきってどうしようもないから、貴方の隣に居るんだ、僕は。

「でもさあ……悩んでるならそりゃやっぱり、何か求めてるってことじゃないのか?」

 悪いって言いたいんじゃない、当然のことだろ。虎徹は頬杖をつき、ストローを弄びながらのんびりと付け加えた。その声に滲む呆れについムッとしてしまいつつ、もう一度グラスを傾ける。

「それは……そうですよ。ただ言わないだけだ」
「あーあー、こういうことって言わないと分かんないモンだぞ!背中で分かってくれよってついつい思っちゃうけどさあ」
「……言えるわけないじゃないですか」
「なんで」
「僕を好きになった方が幸せになれますだなんて」

 そんな保証も無いのに無責任だ。幸せの定義を押し付けるだなんて傲慢だ。今まで数え切れない幸せを目の前で失ってきた。そんなバーナビーが果たして誰かの幸福を保証できるものか。その幸福の定義に歪みないことをどうやって知ることができるのか。

「……愚痴を聞いてほしいとは言いましたが、笑ってくれとは言ってませんよ」
「悪い悪い、すぐ止まる、すぐ止まるから……!」
「……今更でしょう。いいじゃないですか。好きなだけ笑えば」

 バーナビーが許可するまでもなく笑い続ける虎徹を睨み下ろしつつ、バーナビーはヤケ気味にグラスを空けることにした。アルコールが不満の噴出を促すのか、トレーニングセンターで耳にした話が脳裏に蘇ってきた。グラスをカウンターに振り下ろす。いいぞ、虎徹が場違いな歓声を上げてくれた。

「大体なんですか、みんなとデートしてるって。僕じゃ問題があるって言うんですか」
「あー……懐かしいなあ、この感じ……!あー友恵ー!俺の友恵……!泣けてきた……歳取ると涙もろくなってダメだな……」
「ちょっと、聞いてます?」
「あー友恵ちゃん柔らかかったなあ……!お前、よく考え直せよ、あいつは柔らかくない!カッチカチだぞ!」
「……知ってますよそんなこと」

 いつからかアルコールが入ると気楽に昔の話をこぼすようになった相棒の、無責任な陽気を眺めつつもう一度溜息をつく。笑われることは覚悟の上だ。

「どうしようもないじゃないですか。好きになってしまったんだ」

 どういうものかと問われれば、どうやらこれが、恋というものなのだ。

-+=

ご不便をおかけしますが、コピー保護を行っています。