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転回するILY



※ 2014-10-05 / ザ・ヒーローショウ4 / A5コピー2冊組 / 兎空
※ Pixiv掲載: https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=10309087

▽Dose one swallow make a summer? /NC1980

 掴んだ。

 やっと掴んだ。後は引き寄せるだけだ。強い力で、今ようやく手中に収めたこの――

「……この?」

 体中に満ちていた達成感が、自分自身の一言でぱっと霧散していった。一瞬では状況を把握できず呆然とする。まずは視界の確認からだ。長年愛用している大きな枕と、昨晩替えたばかりの洗い立てのシーツ。目の端でちらちらと輝くのは、どうやらカーテンの隙間から漏れる朝陽を乱れた前髪が反射している光らしい。鍛え上げられ筋張った腕が視界中央に真っ直ぐ横たわっており、その先へ目を動かせばベッドサイドに置いている時計をがっしりと掴んでいるのが分かった。針が指し示すのはアラームをセットした時刻の五分前だ。

「なるほど……そして、なるほど」

 呟いた後で何がなるほどなのか分からなくなり、寝ぼけている己をはっきりと自覚する。時計から手を離し、うつぶせの身体をゆっくりと起こした。ぎしりとベッドが軋む音を、まるで自分の身体の中から響いているように聞く。疲労を身体に蓄積させぬよう仰向けで寝ることを習慣づけていたはずだが、どうやら昨晩は油断してしまったらしい。凝り固まった筋肉をほぐすように軽く伸びをする。ジョギング前のストレッチを少し長めにやっておいた方がいいかもしれない。乱れた髪を撫で付けながらベッドから立ち上がった。あまり汗の感触は無い。今年の夏は雨が多い代わりに、あまり気温が上がらなかった。八月の終わりだが早朝には涼しさを感じるくらいだ。

 ミルクを飲むためにキッチンへ向かう。これも習慣だ。エネルギーの摂取と発散を全開で行って、今日という一日を余すことなく使い切るために始めたことだった。他にもキースにはいくつかの習慣がある。大半がスカイハイとしてデビューしてから手探りで始めたことだ。当時は不規則な生活に四苦八苦し、体調を崩すこともあった。だが最近ではそういう状態を未然に防ぐことができていると思う。それは、キースの一日の全てがスカイハイの万全のために最適化され、完成されたループになっているからだ。同じことをひたすらに、地道に繰り返すことができるというところは、幼い頃から自覚しているキースの長所だった。ゆるやかに、しかし強固に完結しているその生活に綻びが生じることは恐らく無いだろう。生じたとしても仰向けがうつぶせに変わるくらいだ。少なくともスカイハイを引退するまでは、キースとしてもこのリズムを守っていくつもりでいる。もっと言えば、この毎日の繰り返しをキースは好んでいた。苦労を重ねて作り上げたルーティンに沿って一日をやり切ることは、えも言われぬ充実感を腹の底に残してくれる。

 しかし、早朝の薄暗いリビングで牛乳の注がれたグラスを傾けて、そこに何の音も無いことにふと気が付いた。そんな朝をこれまでもこれからも繰り返していることに気が付く。キースは仰向けで眠り、寝起きに一杯のミルクを飲み、ストレッチをしてジョギングに出かける。そのことを誰かが知る日は来るのだろうか。

 気配を感じて目を動かすと、リビングに置いた寝床からジョンが首だけを起こしているのが見えた。キースがリビングに入った音で目覚めたのだろう。近づいて目線を合わせるようにしゃがみ込んだ。

「そうだった。君がいるというのに私は……いけないな。おはよう、ジョン」

 まだどこか眠たげなその様子に、君はもう少し寝ていたまえと苦笑する。撫でた毛並みの向こうからほんのり温もりを感じる。九月からは新しいシーズンが始まるのだ。上半期は堅調に首位を守ったが、下半期からはタイガー&バーナビーが復活しリーグは混戦状態になった。総合成績ではキング・オブ・ヒーローでも、第四クォーターで首位を奪われたバーナビーはやはり手強い。ライバルにも仲間にも恵まれて、キースは新シーズンを数多のHERO TVファン以上に楽しみにしている。万全の備えが必要で、ぼうっとしている暇は無いはずだ。

 ――今年の夏がもう少し暑ければ。
 しかしまた、性懲りもなくそんな取り留めもないことを考えている。今年の夏がもう少し暑ければ、こんなことは考えなかったかもしれないね。

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