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Be smitten with me



 朱雀野アレンにも言い分はある。だってきっかけは間違いなく夏準の方だ。

 基本的に楽曲作りはどの工程も好きだ。さながらフリースタイルのようなリリックのアイデア出しの時も、頭の中にメロディーラインだけが巡っている時も、フレーズを重ねて曲の構成を組み上げて行く時も、打ち込んで音を足し引きするのも、大好きな曲たちからサンプリングを潜ませるのも、苦しい時こそあれ嫌になる時なんて一秒もない。けれど、一番好きな工程はやっぱりリリックが乗せられるようになってからだ。それまで机上の空論でしかなかった曲に血が通い熱が生まれる。触れられるようになる感覚がするのだ。生き物のように曲はまた形を変えていき、それに振り回されながらまた音を足し引きするのが脳天が痺れるくらい気持ちいい。

 何をしていても曲とリリックが頭の中を巡り、自分の、夏準やアンの言葉がより深く聞く奴の心に刺さる最高の音を探そうとする。楽曲以外の大抵のことが頭の上を飛び越えていき、朝食の皿の端がビートを刻むドラムになるし、講義で教授が板書を行う静寂が譜面になる。タブレットをいじっていたらメトロの終着駅だったこともあるし、玄関の段差でずっこけたまま廊下でメモを取り続けていたこともある。アレンジを加える度に二人にも歌わせて、その度に生まれ変わる曲の姿に興奮する。時に二人の提案でリリックや楽曲にアレンジが加えられることもあり、自分一人では思いつかないアイデアに身悶えたりもする。お前たち最高だよ、と思わずハグが出るが、夏準には大抵華麗に躱され、アンには大抵呆れた顔をされているようだ。というのも、作曲中はそのあたりが全く気にならないので、後からなんとなくそうだった気がする程度の感覚しか残らないのだった。

「これだ……」

 そしてとうとう、今この眼前にその集大成が姿を見せた。毎度思うけれど、これまでを超える会心の出来だ。寝食を忘れて作業に没頭してきたのはこのためだったのか、という納得感に心が震える。

「できた」

 左右を見渡すが何の反応も返ってこない。ついさっき──数分前だったか数時間前だったが全く自信がないが、ともかくアンに何か言葉をかけられた気がするのに。

「アン、って……居ないのか? なんでだよ。夏準! 夏準起きてくれ、できた! できたぞ!」

 ソファの上で横になっている夏準に這い寄った。床に散らばっているメモで膝が滑ったが気にしている場合でもない。肩を掴んでぐらぐら揺らせば、すぐに薄く目が開いた。眠気を振り払うのに苦労しているしかめ面だ。作業の大詰めくらいしか見られない、無防備な表情だった。今はもうそんな小さなことすら脳内麻薬に変わって気分が浮つく。

「ああ……すみません、さすがにねてました。すこし」
「いいから! ちょっと聞いてみてくれ!」
「ああ、できたんですね」
「ほら!」

 動きの緩慢な夏準が焦れったくなり腕を無理やり引いて、すぐ隣に座らせる。編集ソフトの再生バーを開始位置に戻して音量を最大にした。鼻歌のような囁きでリリックが最後に収まった場所を教えると、センスの良い夏準はアレンの意図をすぐに察して声を重ねる。

 曲の再生が終わった。期待を込めて横を見れば、夏準もアレンを見ていた。ふ、と何の飾りもない笑みが唇から漏れる。いい曲ですね、寝起きの掠れ声。そこに一つの嘘もない。それが何故だか確信できることに、途方もなく堪らない気持ちになった。

「アレン……?」

 慌てて目元に手を当ててうつむいたアレンが何をごまかそうとしているかなんて簡単に分かるだろう。夏準は珍しく戸惑うような声を上げている。ダサいし恥ずかしい、顔を上げて思いっきり今回の曲の聞かせどころを解説してやらないと、と思うのに、手のひらが熱く湿ってきて堪えられない。

「いや……なんか、急に……キた……」
「徹夜のし過ぎなんですよ。アンの反応は明日の楽しみに取っておいたらどうですか?」
「うん……」
「曲はこんなにいいのに。アレンは困った子ですね」

 背中に手が触れ、するすると宥めるように撫でられる。手つきが優しい。

 いつからだろう。

 ほんの少し前まで、信頼の先に絶対に超えられない壁を感じていたはずだった。こいつとならFurthermoreをBAEをどこまでも高みに押し上げられると信じられたけれど、だからこそ、うっかり入ってはならない距離が暗黙の了解で保たれていたはずだ。

 いつからか、その境界があいまいになってアレンを歓迎しているような錯覚を感じるようになってしまった。一生秘めたままでいられるという自信があったのに、それがいとも簡単にぐずぐずに崩されていく感じがする。ふわふわ浮ついてる内に、とうとう本人に悟られるまでになってしまった。

「なあ、夏準」
「なんですか、アレン」

 甘ささえ感じる優しい声に寝不足の心がガタガタにぐらつく。体から力を抜いて額を隣の肩に乗せたが、今日は避けられる素振りすらない。相変わらず背中をあやすように撫でられている。

「お前……ひどい奴だよ」
「はあ。この状況でなかなか言いますねえ」
「もう勘弁してくれよ、夏準」

 人に好かれることが日常の夏準にとって、アレンがどう思っているかなんて娯楽のタネにくらいしかならないのだろう。度肝を抜かれるくらい近づいてからかってきたと思えば、何でもないことのように一番嬉しい言葉をかけてくれたりする。

 しょうがないだろ。もう放っておいてほしい。

 夏準が居なければこの曲どころか、他のこれまでの全ての曲も、アンとの繋がりやBAEだってここには無い。アレン自身ですら、否定されて否定されてどこかへ消えてなくなってしまっていたかもしれないのに。

 アレンにも言い分はある。好きにならないわけがない。きっかけは全部夏準なんてことは分かっているだろう。少しくらい責任を感じてほしい。

「これ以上好きにさせないでくれ」

 感情の高ぶりと眠気がぐちゃぐちゃに混じってわけが分からなくなってきた。背中に触れた手が動かなくなってしまったが、すぐ間近の熱が心地よい。アレンはそうして抗えずに眠りに落ちたので──

「헉 …………は?」

 普段では絶対に出ない間抜けな一音を漏らした夏準を見ることは無かった。

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