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Be smitten with me



「んあ゛ぁ」
「なにその声」

 気の抜けた声と共にソファに腰かけた膝を背もたれにされてしまった。見下ろしたツンツン髪の頭をアレンは随分重そうに抱えている。入念に塗り込んでいたボディクリームの蓋を閉じ、コンコンと容器の底で軽く叩いてみるも、反応は鈍い。リビングのテーブルの上に置かれたデジタル時計が示しているのは既に3時過ぎ。そろそろ頭が回らなくなってきたのかもしれない。

「詰まった? このアン様が助けてあげちゃおっかな~」
「なんで嬉しそうなんだよ……違う。いや、違わないっちゃ違わないか……?」
「どーいうこと? もうこの時間だし、一回寝れば?」

 一度押し黙ったアレンは、胡坐をもぞもぞ崩して膝を立てた。そしてそのまま膝に頬を付け小さくなる。見下ろすアンからは相変わらず後頭部しか見えないが、腕の隙間から聞こえてくるのは拗ねの混じった不機嫌な声。

「……夏準に遊ばれてる」
「またぁ? いつものことじゃん」
「だから隠してたのに」
「アレンはリアクション良すぎ!」

 こういうとこが構いたくなるんだよ、などと思いつつ両肩に手を伸ばし軽く揺すってみる。

「今度こそ元カノのヤバイ写真でも見つかっちゃった? あー分かった! ラブレターだ! アレンってアナログマメ男だもんねー」
「違うって」

 永遠の反抗期の本領を発揮し、アレンは肩を大きく振ってアンの両手から離れた。その勢いで振り返ってきた顔がやっぱり拗ねた顔だったので、アンとしては面白がるしかない。それが伝わっているのだろう。アレンは肘をアンの膝先に置いて恨めしそうにこちらを睨み上げている。

「なーアン」
「なに」
「俺って……そんな分かりやすいか?」
「うん」
「即答かよ」

 正直なところ、ぱっと見だとアレンは得体が知れない類の人間だと思う。愛想を振りまくようなキャラではないし、目つきのせいで黙っているとぶっきらぼうに見える。けれど付き合えば付き合う程まっすぐしか突っ走れない奴だと分かってくるから、腹の中を探る必要が全く無くなってしまう。裏表が2WAYの夏準とは正反対だ。

「ってことはお前にもバレてんのか?」
「さっきからなに? ぼかさないで言ってくれなきゃyes or noなんて分かんないけど?」

 ばっさり切り捨てたのにアレンときたら往生際が悪い。顔を覗き込めば眉根を寄せてそっぽを向いてしまったが、そんなにバレてまずいことならそもそも触らせないはずだ。わざわざ話題に出すということは、考えが行き詰まって話したくて仕方がなくなったからに決まってる。

「絶対バレてる。好きなこと」

 とうとう観念したアレンがぼそりと零した呟きだったが、アンはすぐにその意味を理解することができなかった。いや、意味は分かる。理解が追いついていない。ぱち、ぱち、ぱち、瞬き三つ。

「んっ!? えっ!? ホントに恋バナ!? アレンが!?」
「いや、今はそこじゃなくて」
「待ってよ、絶対にまずそこでしょ!」

 居ても立ってもいられず、膝の上に乗ったアレンの腕を放り出してそのすぐ隣に座り込む。煩わしそうにしているアレンを逃さずに身を乗り出した。

「……悪いことじゃないだろ、別に」
「悪いわけないじゃん! むしろ最高! で、誰!?」

 アレンは一瞬きょとんとした顔をしたが、すぐにそれはくしゃりと歪み、深いため息と共にソファに伏せられてしまった。座面にしがみついてとんでもない早とちりを後悔しているらしい。ふっふっふ、不敵に笑う。アンが夏準と同じくアレンの想い人に勘づいていると思い込んだ──ということは、だ。相手は当然アンも知る人間に違いない。

「俺って馬鹿だな……」
「うん」
「即答かよ……」

 先ほどよりも深刻にうーうー唸りだしたアレンは正直面白いし、もっとからかってやりたくなったが、しばらく待っても全く回復しないのでちょっとかわいそうにもなってきた。しょうがない、とその背中をポンポン撫でてやる。

「まあ、いいよ。今は誰かはカンベンしてあげる。次のライブのための曲のほうが大事だし。っていうかそれは夏準も一緒でしょ。曲ができるまでハーフタイムにしてもらえば?」
「いや……もうそうなってると思う。全然話にも出してこないし……」
「そうなの? じゃあ、何?」

 くぐもった声に覇気が全く無くて我慢できずに笑ってしまった。アレンが悔しそうな顔をのっそり上げ、やっぱり恨めしげな顔でこちらを見てくる。

「どうなりたいとかじゃない。別に」
「ふうん?」
「何かしたいとか、そういうのも無いし。ただ……」
「ただ?」
「……そこに居てくれたらいい」

 言って、凝視するアンの目が気まずくなったのか、アレンはソファの上に組んだ両腕を枕にしてまた顔を伏せた。

「だから、あんまり茶化さないでほしいんだよ」

 アンも負けじとソファににじり寄り、同じようにソファに肘を預けて顔を覗き込む。アレンは不機嫌というよりは、痛みを無理やり抑え込むこうな複雑そうな表情をしていた。

「あのさ……アレンってひょっとして」

 アレンの瞳が少し揺れ、アンをじっと見上げている。表情が消えた途端に何を考えているか読みづらくなる顔立ちだが、それなりの付き合いが恐れを抱いていると気づかせた。ふ、と鼻で笑ってピョンピョン跳ねた前髪に指を伸ばす。

「……ヒヨコちゃん? この辺とかそれっぽいし」
「アン……!」

 今時雛鳥でもこんなにピュアピュアしていないと思うが。やっぱりアレンは何してもアレンなんだなと思いつつ、HIPHOP以外でこんなにもアレンの気を引く相手が一層気になった。

「ま、アレンらしいよ。僕は応援する」
「だから応援も何も無いって」
「まーまー。とにかくさ、バレたもんは仕方ないでしょ? 後はもう開き直ったらいいんだよ。さっきも言ったけど、リアクションを面白がられてるんだからさ」
「分かってるけど……俺が整理つかないっていうか……」
「恥ずかしいんだ? カワイイ~」
「からかうなって言ってるだろ」

 腕の中に顔を埋めて丸くなったアレンはとうとう動かなくなってしまった。指先でツンツン肩をつついてもピクリともしない。多分放っとくと朝までそのままになるだろう。毛布くらいかけてやっとくか、立ち上がった気配を感じたのかどうなのか。アレンがまたくぐもった唸り声を上げた。

「しょうがないだろ。好きなのは」

 聞いてないフリをしてやるのも優しさだ。何も答えずにブランケットを頭から被せ、さっさとベッドに潜り込むことにした。そしてそれからまた新しい一日が始まり。

「夏準」
「なんですか、アン」

 くるりと振り返ると、相変わらず夏準は隙の無い柔らかい笑みで答える。次のステージ衣装のアイデア出し──という体のショッピングに今日は夏準も付いてきていた。こだわりが強そうに見えて、アンのセンスが気に入っているからと案外買い物に付き合ってくれるところがある。名目としては「お互いの荷物持ち」なので、それぞれが買ったものを相手が持っているという謎の状況だったりするが。まだまだ買い込めそうですね? という優しい笑みには全力で気づかないフリだ。

「ねえ、誰なの?」
「誰? 何の話ですか?」
「アレンのこと。またオモチャにしてるんでしょ? 今回はさすがにもう許してあげれば? ヘコんでたよ、珍しく。意外と繊細なんだからさあ」
「心配しなくても、その内HIPHOPに飛びついて勝手に復元しますよ」
「それはそうなんだけど」
「ボクとアンとで繊細の定義が違うみたいですね」

 やっぱり夏準は平常運転、ふとした一言の先が不必要に尖っている。当然悪びれた様子も無く夏準は口元に指を添えた。さすがと言うか、ちょっとした仕草でも様になっている。

「それにしても、全く身に覚えがありません。いつの、どの話ですか?」
「まあ……いつの、どの、って言うくらいアレンで遊んでるもんね」

 フフフ、ちょっと爽やかな笑みが零れれば、すれ違う女の子たちの視線はもう釘付けだ。何に笑っているかなんて彼女たちには分からないだろうからしょうがない。うんざりしつつ、注目を集めているせいもあってなんとなく声を潜めた。

「知ってるんでしょ? アレンの好きな子のこと」

 一瞬、きょとんとした顔。顔立ちは全然違うのに、昨晩──最早「今朝」に近い時間帯だったが──のアレンの顔を何故だか思い出した。しかしそこからの表情の変化はまるで違う。満面の笑みがゆっくりと傾けられた。天使のように優しい笑みのくせに、背中に寒気をぞわっと走らせ、体中の毛が逆立つ感覚がする。

「……アンはいい子ですね。とっても」
「あああぁぁ……! アレン! ごめん! 僕も馬鹿だったみたい!!」

 もう人の目がとかなんとか気にしていられない。思わず道の真ん中で大声を上げて頭を抱えてしまった。肩に引っかけたショッパーがガサガサ鳴る。「いきなりなんですか、変な人ですねえ」、夏準には相変わらず血も涙も無いようだ。

「でも心外です。子供でもないんですから、ボクは誰が誰を好きか嫌いかで冷やかしたりしませんよ」
「ホ、ホント~? なんでか分かんないけど、アレン、夏準にバレてからかわれてるんだーって思い込んでるよ?」
「何がどうしてそうなったんですかねえ。こんなに親切にしているのに」
「……何も言わないからね、僕は」

 まあバレてしまったものはしょうがない。後は開き直るだけだ。そもそもアレンは既に相手が誰かまでバレていると思い込んでいるのだから、それに比べたらまだ傷は浅いはず。何回か風呂掃除とかゴミ出しとか変わってやってもいいし、数日くらいHIPHOP談義でランチタイムが潰れてもいい。自分に言い聞かせながら気持ちをなんとか押し戻す。ぜえはあ息が切れそうだ。そんなアンを心底楽しそうに観察している夏準が小憎たらしい。

「음……なるほど? 好きな子、ですか」
「誰なんだろ。アレンってHIPHOP以外恋人にできなさそうなのに」
「ですよね」

 とんでもないやらかしを引きずりつつも、アレンが女の子とデートしたりする様を想像しようとしてみた。が、レコードショップから出てこなくなりうまくいかない。終いにはラッピングで着飾ったレコードとデートしている姿を思い描いてしまった。ちらりと横を見れば夏準もアンを見ている。二人とも似たようなことを考えた結果、綺麗な視線の橋が架かったらしい。

「……興味はありますが、詮索は野暮ですね。素材は悪くありませんから放っておけばなるようになると思います」
「え~、でもさあ、アレンってそういう経験少なそうじゃない? うじうじ悩んで何もできなくなったりさあ、ハマってBAEのこと放り出すようになったらどうする?」
「あのアレンに限って、そんなことがあるとは思えませんけど」
「まーねえ。でも恋って人を変えるとかよく言うでしょ?」

 想像不可能なことを明らかにさっさと諦めた様子の夏準に追い縋ると、ピンと眉が跳ねた。口の端がきゅっと上がって顔を覗き込まれる。顎に触れるくらい指先が近づいてきたので愛想笑いでのけぞる。

「アンは悪い子でもありますね?」
「うだうだ言ってるからさ、背中押してあげよーってだけ! ね?」
「……まあ、活動に影響が出る、なんてことになれば問題ですからね」
「Yes! アレンにふさわしい子か見てやろうよ!」
「相手もHIPHOPオタク以外を選ぶ権利は充分あると思いますけど」
「確かに~!」

 味方にすればこれ以上心強い相手は居ない。まさに「危機が去った途端に神様なんてすっかり忘れられる」。罪悪感を脱ぎ散らかしてケラケラ笑っていると、夏準がふと呟きを零した。

「まだ早いと思いますけどね。離すには」

 いつもみたいに気取った殻に籠った素振りも無く、横顔にも声にも色が無い。アンに向けたわけでもなさそうな、ただの独り言。それがなんだか妙に寂しくて、けれどかける言葉が突然空中で全部分解して、一瞬二人の間がやたらと静かになった。

「ひとまず、曲が固まってくるまでは様子を見てみます。何が原因でそんな思い込みになったのか見当も付きませんから。リリックを乗せ始める頃には忘れてるでしょう」
「あ、うん。そうだね。いいと思う」

 パッと空気がいつもの夏準に戻ったので、慌てて追いつくしかない。ぎこちなく返事をするアンを鼻で笑って、夏準は長い脚を踏み出した。もうこの話は終わり、そう言われていると肌で分かっていたけれど、簡単に納得できない。夏準、呼びかければ、ドSでも毒舌でも陰険でも腹黒でも、一応は足を止めてアンを振り返ってくれる。

「あのさ。……どこに行っても、僕たち、帰ってくるのは夏準の家だからね」

 夏準の目がまた丸くなった。それからやっぱりまた表情が笑みになる。天使のような笑みとは言えない、ほんの小さな、けれどさっきよりずっと好きになれそうな笑みだ。

「なんですか、それ」
「分かんない。なんか、言っとかないとと思って。追い出されたら困るじゃん」
「へえ?」

 くす、夏準が喉を鳴らしたのが伝染してアンも笑えてくる。二人してくすくす笑いながら道を曲がる。次のお目当てはきっと夏準お気に入りのオーガニックティーの専門店だろう。

「いい心がけですね。じゃあ、もう少し重たいものも買い足して行きましょうか。いくら持たせても帰ってきてくれますよね?」
「そういうことじゃない!」

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