杏子に叱られ、本田に殴られ、城之内はひどくふてくされている。だがこればかりは助け船の出しようも無いので放っておくことにした。生暖かくそれを見守っていると、トントンと肩を叩かれた。
「……? モクバくん?」
「遊戯、ちょっと」
「ボク?」
手招きについていくと、人気の多い教室棟から離れていく。呼ばれたのは遊戯だけだったようでいつも一緒の兄の姿は見えない。居られるとまともに喋れなくなりそうなので逆に良かったかもしれないが。
「どうしたの? 何か相談?」
「……はー……」
それはそれは深いため息だった。齢十数歳とはとても思えない程の。純粋さに煌いていた瞳は、今や不穏な光を放って遊戯を射抜いている。そういうところは少し兄に似ていた。
「え……、あの、」
「せっかくお前と引き離して兄サマに文化祭楽しんでもらおうと思ったのに! 結局一緒になって行動しちゃってるし! また兄サマが医者呼んだらお前のせいだからな!」
「ご……ごめん……?」
話が飲み込めずあいまいな謝罪を口にするしかない。だがそんな態度すら、モクバを余計いらつかせているようだった。
「遊戯!」
「な、なに!?」
「お前、兄サマが好きなんだな!?」
「へ!?」
普段絶対使わないようなところから声が出る。その問いはあまりにも唐突過ぎる。なんてたってついさっき――そう、自覚したばかりの話なのだから。
「え……う、うん」
「何だその返事! 好きなのか!?」
「すっ、好きだよ!」
「本気で!?」
「本気で!」
モクバはもう一度ため息を吐き出した。それから、遊戯をとって殺さんばかりの勢いで睨みつめてくる。遊戯はうっかり本気で死を覚悟しかけた。
「お前……」
「は、ハイ!」
「兄サマ、泣かせたら、殺す」
だが身構えていた遊戯を襲ったのは、予想よりもかなり違ったニュアンスの言葉だ。つい呆けてしまっていると、モクバは既に元来た道を戻っていた。早くしろよ、と声をかけられて慌てて続く。黙ってその小さい背中を追ったが、見えないクエスチョンマークは胸の内から消えなかった。
「モクバ! どこに行っていた、帰るぞ!」
「あ……兄サマ、オレもうちょっとここに残るよ」
「何?」
「あと少しで終わるみたいだし、後片付け手伝って帰りたいんだ。そうすれば、貸した物もすぐ持って帰れるしさ」
「お前がそんなことをする必要は無い。誰か呼んで……」
「いや、オレが色々迷惑かけたから。だから遊戯、裏門のとこまで兄サマを送ってきてくれないか?」
「え!?ボク!?」
「うん。ホラ、カバン! 兄サマいいでしょ? 遊戯が持ちたいって言ってるんだ」
「わ、重……!」
「フン、勝手にしろ」
屋上で一度目が合ってから、どうにも気まずくなっていた。遊戯一人だけでの話なのだろうが、それでもハッキリしてしまうとより恥ずかしい。背筋をぴんと伸ばした高い背中の後に続く。裏門付近は一般客は立ち入れないから、人々のざわめきが段々足音よりも小さくなっていく。逆に、足早な足音と同じ速度で脈打つ心臓の音は大きく聞こえてくる。ああ、外に漏れ出てませんように。
「……遊戯」
「な、何!?」
「貴様が視界に居ると……」
きゅっ、と海馬がその場で足を止めた。そして遊戯を振り返ってくる。
「不愉快だ」
まさか遊戯と同じ気持ちを持っているなどと過剰な期待をしていたわけではない。だが、この言葉はかなりぐさっと胸に突き刺さった。わざわざ立ち止まってまで言うこと無いのに……、と心の中で少し腐る。
「わけの分からん動悸が起こって何もできなくなる。……忌々しい」
「動悸……? ドキドキするの?」
「ああ貴様が厄介なものをうつしたせいでな!」
ちゃんとうつってたのか。
遊戯は自分の胸に手を当てた。驚くぐらい早くて、心地よいリズムがそこに刻まれている。とく、とく、とく、とく……
「ね、手をつないでいい?」
「……っ」
「ねえ、触ってもいい?」
「いちいち聞くな……!」
熱いような、あったかいような、泣きたいような、笑いたいような、やっぱりこんな気持ちは多分初めてだ。でもそれはひどく簡単なことだった。
「うんって言ってほしいんだ、好きだから」